Vol.235-1 これからの自治のかたち 〜市民とICTとの有機的協創を目指して〜
新世紀甲府城下町研究会
会長 小宮山 要
公共事業の功罪と自治精神の終焉
山梨県池田村村長であった祖父、小宮山清三は、昭和8年11月4日に長逝した。享年53歳4ヶ月。各新聞は「消防の父死す」の大見出しを付けた。消防思想に関する多くの著作を残し[1]、山梨県内はもちろん日本全土を講演行脚した祖父清三は、自治組織としての全国消防網を作り上げた人物といえる。第二次世界大戦後、GHQによる民主化政策の中にあっても消防団が解体されなかったという事実は、消防団が民主的組織であると認められ、また消防思想が人々の生活に溶け込んでいたことを示している。
国家の根幹は「自治」であり、その自治精神がなければ民主国家は成立しない。清三が心血を注いだ消防団はまさに自治精神そのものであり、多くの青少年が地域に誇りを持って生きるための礎となった。そこには「社会や地元に役立ちたい」という人々のアイデンティティが確かに存在していた[2]。
祖父の功績に影響を受けて育った私は、次なる時代に向けた生活・産業基盤の整備として、全国に橋梁を建設することを生業とした。隔てられた場所を安全に繋ぎ、人やモノの輸送を可能にした橋梁事業は、我が国の高度経済成長に資する営みであり、社会のために尽くしてきたという自負がある。一方で、特にバブル景気前後には、建設行為自体を目的とした公共事業が蔓延し、企業経営の中でそうした箱物行政に図らずも加担したのではないかとも考えるようになった。
更には、箱物行政への批判や財政悪化を理由に公共事業費が削減されると、負の遺産として残ったインフラはずさんに管理され、施設の赤字経営や設備の老朽化問題が浮き彫りとなった。笹子トンネルの痛ましい事故は記憶に新しいが、市民本位ではなく政治・経済本位であった公共事業の功罪を鑑みると、最早これは人災といわざるを得ない。
個人主義が浸透するにつれ、自治組織も形骸化した。行政は、市民が対価として税金を支払う代わりに、行政サービスという商品を吐き出すだけの機械的組織となった。自治会の役割は回覧板を回す程度に縮小し、有機的に市民を結びつけ、地域の安全は地域で守ろうという自治意識は希薄になった。身を守るには他人と関わらないこと。優しそうな見回りのおじさんが、実は子供への犯罪を犯していたというご時勢である。我が国の自治精神は終焉を迎えた。
ICTによる代替と効率化
代わりに人間が生み出したのがICT[3]、すなわち情報通信技術である。インターネットの爆発的な普及は情報革命をもたらし、物理的な距離に依存しないコミュニケーション手段が一般的なものとなった。近年では、インターネットの領域はパソコンなどの電子機器のみならず、生活に必要なあらゆるモノにまで拡大する、IoT[4]という概念が生まれた。IoTの世界では、あらゆる情報がインターネットを経由してリアルタイムかつ広範囲に、人の手を介さず一つの場所へ集約される。俗にいうビッグデータ[5]というものである。例えば水道管にセンサーを付け、振動などのデータを通信技術で遠隔に飛ばす。取得したデータを分析することで、漏水を検知したり破損箇所の特定が可能となる。その結果、以前と比べ人が出向き調査するという労力が不要となり、一定のアルゴリズム[6]に則って分析することで属人的な要素もなくなる。加えて、観光客の周遊情報など、人の手ではデータ取得が難しかった部分についてもIoTの技術を用いてデータ化、これまで経験的に解釈・判断されていた事象に論理や根拠を持たせることができるようになったのである。子供を見守るのは地域の優しいおじさんではなく、ランドセルにつけた位置情報取得機器に置き換わったのである。
あらゆる情報を取得し分析する通信技術は、政治・経済本位であった公共事業を一新し、データに基づいて適切な政策を打ち出すことを可能にした、という点で評価できる。例えばバス路線の改廃を検討する際に、データを用いて人の動きを可視化することができれば、経営的視点での政策立案が可能となり、行政の赤字を減らすための一助となり得る。一方で、データのみに頼った政策執行は過度の効率化を招く恐れもあり、市民生活をないがしろにしてしまう可能性もある。
繰り返される行政の失敗
行政のIoTに対する取り組みを俯瞰してみる。IoTと一口にいっても、その対象範囲の広さから、多くの取り組みは実証実験段階である。児童や高齢者の見守りや観光客の人流解析など、位置情報をもとにしたサービスは比較的シンプルで企業側も製品化しやすく、汎用品として利用可能なものも出てきている。一方、特に生活インフラの死活監視や老朽化検知、災害における現場の状態把握などについては、その重要性からセンシング[7]技術やアルゴリズムの設計がシビアになり、商用化が進みにくいのが現状である。加えて、そうした市民サービスは企業からすればビジネス化しにくい側面もある。IoTが技術的には注目されながらも思うほど浸透していないことには、それなりの理由があるのだと推測される。
そうした背景の中、多くの自治体は企業の経営努力、すなわち手弁当を期待するだけで、事業誘致の戦略を練ろうと努力しない。あるいは取り組みを進めている自治体であっても、継続性を考慮せず補助金頼みとなりがちである。しかしながら、補助金を得るためには通りやすいストーリーを作文しなければならないのが現実で、既存事例の横展開が関の山、事業パターンは限定的になっている。その結果、IoTによる先進的な取り組み、と大義を掲げているにも関わらず、内実は画一的で戦略のない事業計画となってしまうのである。この一連の流れは、かつての箱物行政を彷彿とさせる。同じ失敗が、また繰り返されようとしている。
かつての公共事業が政治家の人気取りであったのと同様に、IoTもICT施策としての政治家のパフォーマンスに過ぎない。その結果、どこの街でも同じような取り組みがなされ、地域の特色は失われ、負の遺産のみが残る。
地域活性化のジレンマ
2014年に安倍内閣のもとで策定された「まち・ひと・しごと創生総合戦略」では、人口減少対策と成長力の確保を中長期目標とし、地方における雇用の創出、地方への人口流入、若い世代の結婚・出産・子育て支援や地域連携におけるKPI[8]を2020年の成果指標とした[9]。
そのビジョン自体は、今後の日本社会を見据える上で至極妥当な戦略であるといえるし、KPI達成に向け、各自治体も喫緊の課題として取り組みを始めている。一方で、中長期目標を無機質に言い換え「ヒトとカネをどう呼び込むか」と読むならば、国内市場におけるヒト・カネというパイは短期的には限りのあるものである。そのため、同じような方針のもとで各自治体が施策を展開した場合、必然的にパイを奪い合う構図となり、地理的に優位性のある地域や歴史・文化的な特長のある地域が競争に勝利することになる。結果、東京一極集中は改善しても、強い自治体と弱い自治体の格差はますます広がる可能性がある。ここに地域活性化のジレンマが存在する。
一極集中の改善に努めることは間違いではないが、いかに奪い合いではなくパイを増やすか、あるいはパイの質を高めるか、という視点での方針策定及び自治体の事業構想が重要なのではなかろうか。
例えばふるさと納税という制度は、確かに高所得者の多い都市部へ集中しがちな納税額を、地方に再分配する仕組みである。しかし一方で高額返礼品レースと化し、相乗りしなければ損をするとの懸念から納税額の大部分を返礼品調達に使うため、市民サービスに還元できる税額は国全体として見ると下がっており、パイの縮小を示している。また返礼品調達により地元は潤うというメリットも考えられるが、自治体が地元から品を買い取ることは必ずしも地元企業の競争力向上を意味していない。むしろ地元企業へのバラマキ政策の一種であり、公共事業に近い側面を持つことにも留意が必要である。
だからこそ、ヒトやカネを増やす努力だけでなく、他市町村との地域の文化・歴史・地理的相違を俯瞰的に分析し、ヒトが減っても街が成立する、あるいはカネがなくても住みたくなるような自治体の在り方を模索しなければならない。カネがないから自分たちで創意工夫し創っていこうという気概が今、地方自治に求められている。
他市町村がやっているから我々もやらなければ乗り遅れるという動機で事業に取り組み、カネがないから補助金に頼り、既存のメニュー選定に終始するという悪癖は、箱物行政時代の公共事業と何ら変わりがない。
米国のオープンガバメント
地域活性化のジレンマを克服し、行政の失敗を繰り返さないために我々は何を為すべきだろうか。そのヒントを、米国のオープンガバメントに見いだすことができる。
Code for America(以下CfA)という非営利組織は、全米中の自治体の行政府に、全米中から応募してきたITプログラマーやデザイナーを送り込む1年間のプログラムを運営している。行政府への助っ人として送り込まれるエンジニアは「フェロー」と呼ばれ、毎年25〜30人が年間35,000ドルという決して高額とはいえない給与でプログラムに参画する。しかし、参加を希望するエンジニアは年々増え、名だたるIT企業でのキャリアを捨ててまでCfAへの参加を望む者がいるほど、本プログラムの意義が広く認知されている[10]。
しかしCfAの注目すべき点は、そのプログラム自体でもなければプログラム期間に作られたシステムでもない。フェロー経験者は下記のように述べている。
「何がクールだったかと言えば、技術的なことよりも役所の人と市民が一緒になって、お互いのことを知るチャンスをつくれたことだと思う。役所は、どうしたって保守的でリスクを避ける傾向があるけれど、地域コミュニティや民間と安全なやり方で信頼を築いていくことはできる。ぼくらはそのことを証明できたと思う。」
「ぼくらが行政に与える最大のインパクトは、むしろプロセスを変えていくことだと思う。このやり方じゃなくてもいいんじゃない?ほかのやり方があるんじゃない?って新しい思考のプロセスをもたらすことが重要なんだ。ホノルルの例で言えば、こういうふうに市民が参加したらもっとわかりやすくて便利になるよねっていうサンプルを提示したということだよ。」
「オープンガバメントっていうのは、つまるところみんなが参加していくことで、税金のより賢い使い道を考えよう、っていうことなんだ。政府は、そこでは、市民も民間企業も乗り入れることができる“プラットフォーム”として機能していくことになるんだと思う。」(https://wired.jp/2013/10/21/code-for-america/よりフェローのコメントを引用)
CfAの事例から学ぶべき一番の教訓は、ゴールではなくそこに至る過程なのである。箱物行政時代の公共事業に対する反省を鑑みると、大事なのは何を作るかではなく、どのように行政と市民が協創するか、ということだったのだと気付かされる。
非合理性の文化論
冒頭で私は橋梁事業を生業としたと述べたが、もう一つの柱として取り組んできた事業がコンピュータソフト会社であった。ICT事業に着手した最大の理由は、善きにせよ悪しきにせよ、これからはICTとの付き合い方が人類の命運を分けるという、ある種の直感があったからである。それは過去の箱物行政への加担に対する自戒の念ともいえるのかもしれない。
2045年に我々が直面するであろうシンギュラリティ[11]。AI(人工知能)が進化を遂げ、人類の知性をはるかに凌駕し、レオナルド・ダ・ヴィンチと一般人のIQすら誤差の範囲となる世界である。マイクロソフト社のビル・ゲイツや、スペースX社の創業者イーロン・マスクさえ警鐘を鳴らすシンギュラリティの世界では、合理的判断や効率性が当然の理とされ、人類は鉄腕アトムと共生するどころか、合理的に劣っている存在としてターミネーターに支配・排除されているかもしれない。
というのは些かSFじみた話であるが、現代社会があまりに合理性のドグマに支配されていることには留意すべきである。その最たるものが民主主義の概念だ。本来は人民主権の考え方であるにも関わらず、今日では単なる議会主義、すなわち多数決と混同されている。多数決はあくまでも民主主義を実現するための合理的方法論であり、教義の本質ではないはずだが、方法論に支配されてポピュリズムがはびこり、結果として一人ひとりの人間がないがしろにされていることは実感するところだろう。経済においても、金融資本主義の行き過ぎでサブプライムローン問題が発生した。これは金融という合理性を追求し、信用という非合理性を軽んじた結果ではなかろうか。
過度な合理化・効率化のみをトレンド的に追求することは、しばしば手段と目的を入れ替え、創造力の欠如を招く。創造力が欠如すると、箱物行政の教訓が示すように、型にはまったメニューから選択することしかできない人間が量産される。そうして人間はロボットの劣化品に成り下がっていき、やがて淘汰される。
人間を人間たらしめるのは、合理性ではなく非合理性である。人工農業により効率的に農作物を生産し、食糧難を解決できるという大義名分は確かに素晴らしいが、他方で自分の手で汗だく泥まみれになって育てた野菜が、何よりも美味しく感じるといった非合理的な理屈を至上の価値と思えるのが人間である。その非合理性こそが、シンギュラリティに対抗できる唯一の手段なのだと私は確信している。
有機的な自治組織の形成に向けて
とはいえ、飽くなき人間の知的好奇心は技術の進歩を止めないから、シンギュラリティの波を我々は拒否することができない。いや、そもそも拒否しなくともよいのではないか。ICTへの反論として、AIが人の仕事を奪うといわれているが、一方で過剰なサービス提供が当たり前となった現代社会では、およそ人間扱いすらされていないような仕事も存在しているのが事実である。誰でもできる単純作業や、ストレスフルな業務、それらをAIによる自動化でロボットに任せ、創造的な仕事に人間が従事するという分業の可能性を、今後は模索していくべきである。創造的な仕事という言葉は、有機的な仕事、と言い換えてもよい。
CfAはICTを介して市民と行政の思考プロセスを変革した。ICTは人類の敵ではなく、形骸化した自治組織に命を吹き込み、市民と行政を結びつける鍵なのである。IoTがデータの収集を効率化するのであれば、それをどう活用するのか、市民と行政が協創し考えればよい。人間の考える作業は、荷物の振り分けではない。その箱にどんな品物を詰めれば皆が喜ぶかという、高揚感を伴ったものであるはずだ。共に考え共に創る作業を主導しマネジメントしていくこと、本来の行政の役割はそこにある。清三が目指した消防団という有機的組織、その中にある自治精神と郷土への誇り。これからの自治のかたちが市民とICTと行政をつなぐ有機的協創となっていくことを切に願う。
[脚注]
[1]小宮山清三の著書については、下記一覧を参照されたし。『消防道要領』『模範消防指導大綱』『農村消防の革新』『消防応用動作の価値』『団体禁酒運動』
[2]小宮山清三の活動については下記文献を参照した。『郷土の偉人 小宮山清三』昭和36年 内藤好文、『郷土史にかがやく人々 小宮山清三 青少年のための山梨県民会議』昭和49年 野沢昌康、『消防団の源流をたどる』平成13年 後藤一蔵、『消防時代12号』昭和8年 東京朝日新聞・東京日日新聞
[3] Information and Communication Technologyの略。
[4] Internet of Thingsの略。モノのインターネット。
[5] Big Data。データの集合体。
[6]問題を解くための手順を定式化したもの。
[7] センサーを利用して、質量・音・光・圧力・温度などを計測すること。
[8] Key Performance Indicatorの略。達成すべき成果目標。
[9] まち・ひと・しごと創生総合戦略については、下記のWebページを参照した。https://www.kantei.go.jp/jp/singi/sousei/about/pdf/h29-12-22-h30tousyo.pdf、http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kyouginoba/h26/dai3/siryou3.pdf
[10] Code for Americaについては下記のWebページを参照した。https://wired.jp/2013/10/21/code-for-america/
[11] Singularity。技術的特異点。人工知能が人間の思考速度の限界を超越することで、人間の想像力が及ばない超越的な知性が生まれるという仮説。2045年を目処に到達するとの説が有力であり、2045年問題とも呼ばれる。参照文献:『人工知能 人類最悪にして最後の発明』[2015] ジェイムズ・バラット著 水谷淳訳