人は人によりてのみ人となり得べし
毎日新聞No.520 【平成30年8月3日発行】
2015年3月に学習指導要領の一部が改正され、2018年から小学校では「道徳」が教科となった。2019年には中学校でも教科になる。道徳は今後、教科の一つとして、週1時間、年35時間、授業として学んでいくこととなる。
文部科学省が作成した学習指導要領の中では、小学校の道徳で学ぶ「22の価値」があげられている。その中には、「善悪の判断」、「自律」、「正直」、「規則の尊重」、「公正」、「公平」、「社会正義」などの項目が並ぶ。小学校1・2年で学ぶことの中には「よいことと悪いこととの区別をし、よいと思うことをすすんで行うこと」とある。「よいことと悪いことの区別」は道徳の基本ととらえることができる。そうであるからこそ、小学校低学年から「善悪の区別」を学ぶのだろう。
道徳とは、人が心の中に持っている善悪の規範であり、悪いことを行わないような心の在り方である。人にはまず道徳心が形成され、その上でコモンセンス(常識)を身に着けていく。善悪の判断ができて、なお社会常識的に正しい行動がとれることが人格形成上大変重要だ。
人が本来持つべき道徳やコモンセンスが期待できない状態となったら、法律を作って罰則を設けるしかない。法律は最後の手段である。「法律で罰せられるからやらない」では余りにレベルが低い。道徳の教科化は、「道徳をしっかりと教えないと、人の良心に期待することができなくなってしまうのではないか」という危機感の表れではないだろうか。
我が国の教育を司る文部科学省には、教育基本法で示されている教育の目標である、「人格の完成」、「心身ともに健康な国民の育成」を期して今後の「道徳教育」を行ってほしいものである。
かつて哲学者カントは「人は人によりてのみ人となり得べし、人より教育の結果を取り除けば無とならん」との言葉を残した。カントは教育が人のすべてであると言っている。人は生まれただけでは人ではない。人は教育を受けて人になっていく。人を人たらしめるものは教育なのである。
(山梨総合研究所 主任研究員 小池 映之)