Vol.242-1 細分化医療の問題点と対策
やました内科クリニック院長、山梨県立中央病院顧問
山下 晴夫
本年6月上旬千葉大学病院の放射線検査で、がんの発見が遅れ患者さんが亡くなるという事件があった。腎臓腫瘍の患者さんのCT画像で肺にもがんがあったのだが領域以外のがんを見落としたのだ。その後他の医療機関でも同じような見落としがあったことが複数報道されている。何故そのような過誤が発生するのか。その対策には何が考えられるのか。現在の問題点と対策を考えてみたい。
1.医療の進歩と情報過多によるミス発生リスク
自然科学としての医療は進歩すると医療の細分化・高度化が進む。今回問題となったCT検査は私が医師になったころは出現したばかりで、その精度も今とは比べ物にならないくらい低かった。現在では磁気を使うMRIもあり、体の内部を詳細に見ることが可能であり情報が格段に多くなった。その結果、目的とする病変外の部位で想定しなかった病変が見つかることは良くある。医師の過誤は判断の間違いより、「見なかった、見ることをしなかった」ことによる事例が多いが、過去と比べ格段に情報が多い現在ではその意味でミスをするリスクが大きくなったといえる。
もちろん個々の病気については深く狭く迫る必要があるが、医療では一つの病気を専門的に深く追求する必要と、患者さんのすべてを把握する必要の双方があり、それを求められる現代の医療は困難さが増している。
私が内科の初期研修を受けた講座の一つに老人科があった。指導医から「老人は疾患が一つではない、複数の疾患を持つのが老人である」と聞かされていた。医師になってからすでに45年を過ぎているが、日本人は大変高齢化して患者さんの多くが老人となった。医療は高度化・専門化して深く狭くなり医師もそれに対応してきたが、その対象の患者さんは老人となり幅広く多くの疾患を持つ人間となっている。今日では医師は病気を一つ見つけても安心できない。医療の進歩・高度化による医師の専門化と患者さん自身の変化が今回のがん見落とし問題の根底にある。
2.細分化医療の進展
次に医師の現状を理解するためその専門科目について述べてみたい。医学部在学中は専門に分かれず同一の教育を受けるが、在学中も国家試験も全科目必修であり希望する専門科目は選択できない。逆に言うと医師免許はすべての専門科目に与えられる。私が医師国家試験を受験したのは昭和48年であるが、当時の試験科目は内科、外科、小児科、産科(婦人科ではない)の4科目が必修で、他の科目はいくつか指定されて試験科目となっていた。現在でも基本的に同じで、内科、外科、小児科、産科の4科目が国家試験の内容の中心である。内科と外科、それに小児科が大事であることは理解できるし、昔の医師はお産に立会いをしたので産科が大事なことも当然である。最近の国家試験には放射線科、皮膚科、眼科など4科目以外のすべての科目内容が試験に含まれているが、それらの割合は少なく基本内容は変わっていない。
専門資格はさらに数年の専門科の診療経験を経た後に、学会が実施する専門医の試験に合格し資格を取得する。どの専門分野の医療も時間の経過とともに細分化・高度化が進んだ。特に内科はもともと範囲が広いので多くの分野に細分化し、臓器ごとに循環器、消化器、呼吸器などに分かれていき、内科本体は次第に曖昧化していった。現在でも内科学会そのものは存在し続けるが、それは臓器別に分かれてしまうことの欠点を内科医自身が避けるためである。現在の内科学会は全体のまとめ役、内科医のよりどころ、勉強や研修の場となりその役割を果たしている。
ここでさらに具体的な事例として私の場合を述べてみたい。私は卒業時点で内科を選択し研修は大学の複数の医局で内科研修医として行った。その後、山梨県立中央病院へ赴任したが、当時県立中央病院の内科は細分化が始まったばかりで、年配の医師のなかには専門性の薄い医師も専門分野を持つ医師と一緒に診療に当たっていた。それぞれが専門家を目指している時期であり、時とともに専門分野を持たない医師は努力して専門医になったり開業して病院を去ったりした。私は腎臓病を専攻していたが、その一方で病院に専門分野の医師がいなかったリウマチなど膠原病分野の診療も行った。また、最初のうちは呼吸器や肝臓病、脳卒中などにも専門医がいなかったので、それらの分野の診療を担当したこともあった。しかし、次第にそれぞれの分野の専門医が充足し、腎臓分野の診療だけをする医師になっていった。
内科の細分化・専門分野が確立すると、自分の専門分野以外の患者さんを診察することが少なくなる。医師は高度の医療に向かうことを好む傾向もあり、また指導的な立場に立つためにも高度の専門性が必要なため、病院や大学などどこにいても専門性の向上に専念することになった。時が進み私の後輩の時期になると職場はすでに専門分化が完了していて、卒業後ただちに専門分野に入る時代になった。全体を知らないで専門に進むことの弊害は当初より考えられていたが、細分化・高度化が進めば進むほど問題となってきた。このため内科では内科全体を重視する立場がとりあげられ、学会で総合内科専門医をつくり認定することになった。実は私も長く腎臓・透析専門医として勤務してきたので、開業に当たって他の分野を広く勉強する必要を感じ、すでに69歳と高齢であったが受験し総合内科専門医の認定を取得した。
3.医師として必要とされる幅広い医療知識習得
以上は内科に限っての話であるが、国家試験の科目のごとく、医療には広く内科以外の科、たとえば一般的な外科の知識、小児科の知識、特に救急医療の知識などが必要である。広く浅い知識を持った医師は医師が少ない地域で住民の要望が特に強く、長い間続いてきた自治医大卒業生による地域診療はそれに応えるものであった。
その後、基本的な医療知識・技術は、地域の医師だけでなくどの科の医師にも必要であるとの考えが強く打ち出され、10数年前から医師免許を取得したすべての医師に新たな研修制度が設けられた。それまでは循環器内科に進む医師はいきなり循環器内科に、脳外科に進む医師は直ちに脳外科での研修を受けていたが、専門科目にかわらず卒業後2年間は共通の研修を受けることになった。基礎研究に進む場合はこの研修を受けなくても良いが、あとで臨床の場に戻る場合、医療施設の長となることは出来ない事になった。このためほとんど全員が新制度の初期研修を受けることになり、専門科目を選択する時期は実質2年間遅れることになった。この制度のおかげで最初の2年間で広い分野の医療を経験することになり、すべての医師が全体を見てから専門に入る形になった。さらに内科では、近く臓器別専門医の認定にまず総合内科専門医であることが条件とされる予定である。もともと新たな研修制度は医療の高度化・細分化による弊害を出来るだけ防ごうとして始められたもので、政府もその対策を制度化したのである。
一方専門医制度も強化され、内科を含めすべての専門医認定を学会が独自に行っている現状を改め、近いうちに国がその認定を行う予定となっている。すなわち医師は国家試験合格後に、基本科目の研修を受けることで医師としての基本を身につけ、さらにそれに続く専門医も国の試験で認定されることになった。制度として医師の基本的な知識と専門性の保証を国が行う体制が整いつつある。
4.細分化医療の問題に対する改善策
専門性を高めながら広く専門以外にも通じていることの必要性は、医師自身も感じていたことである。医療が進歩し日ごとに詳細な知識が必要となる一方、患者さんは高齢で同時に多くの病気を持つ今日の現場ではその双方が欠かせない。それに対して国でも学会でも対策を立てているところであるが、現状の困難さはすでに一人の医師の能力を超えるところにきているのかもしれない。医師それぞれは大変忙しいので、どのようにすれば現状を改善できるのか、新たな抜本的な方策が必要だと思われる。
その対策としてこれからは、一人ではなく医師のチームワークが必要とされるだろう。病院内ではいろいろな分野の医師が出席し症例を検討するカンファレンスの機会があるが、これをさらに強化することも考えられる。しかし、実際にはそれぞれの医師が大変忙しく活発化しない。また冒頭の医療過誤でみられた放射線専門医からの連絡・受け取り不備については改善も必要だろう。しかし主治医の能力向上や放射線医師の助力など現在のやり方での欠点を考えると、さらに別の観点からの手段も必要だと思う。
その方策の一つは人工知能による医師の補助である。特に画像診断についてはコンピューターに診断させることができれば、コンピューターは機械的に全体を見るので大きな見落としは無くせるだろう。さらに疾患診断についても専門分野医師に依存しなくても、かなりの精度で診断できると想像している。現在でも心電図診断は心電計付属のソフトが表示する結果を、医師が見て参考にしながら診断しており、その精度の高さからコンピューターによる画像診断や、複雑な状態の病態診断においてもかなり期待できるのではないかと思う。
また現在ではインターネットの発達により情報の伝達が大変容易になっているので、これを利用することも有用だろう。最近一部の遠隔診療で例外的にこれが認められるようになったが、しかしまだ端緒に着いたばかりである。医療情報は高度の個人情報とされてきたのでセキュリティの問題があるためだ。いやだという人がいるので問題となるだろうが、場合によってはそれらの人を除外したシステムにすれば良い。医師同士を回線で結び、気楽に不特定多数あるいは特定医師の意見を聞くことが出来れば担当の医師もかなり助かる。情報の共有化により一人の医師による間違い、思い違い、見落としも減り、医師の診療レベルも全体的に向上することが期待できる。また結果的に検査の重複もなくなることで高騰している医療費の低減にもつながると想像できる。
5.まとめ
現在の細分化・高度化の弊害に対するため今まで研修制度の改革など制度的な対応がとられてきた。それらにより一人ひとりの医師のレベルを上げることは欠かせないが、私は現状を考えるとそれだけでなく、違った方面からの対策が必要であると思う。その対策としてAI技術による診療援助や、インターネットを利用した医療施設連携・医師連携網などが考えられる。診断ロボットの導入や患者情報ネットワークの構築は、もし実現出来れば、医師にとっても、患者さんにとっても、国家にとっても大きく役立つと思う。