Vol.243-1 スポーツ現場とビジネス現場、そしてスポーツ科学の応用



山梨学院大学スポーツ科学部 学部長・教授 遠藤俊郎

1.スポーツにおけるコーチ・コーチングとは?

 スポーツ現場においてコーチやコーチングという用語は、指導に関わって極めて頻繁に耳にすることと思われるが、結構慣習的に用いているケースが多いのではないだろうか。様々な辞典等を総合すると、コーチ(Coach)とは、はじめてこの馬車が用いられたハンガリーの村の名(Kocs:コーツ)に由来するものとされており、馬車、バス、客車等の本来の意味と共に、今日ではスポーツ等におけるコーチ、実地指導者(trainer)、師範(instructor)等の意味で用いられることが一般的になっている。この後者の意味は、指導を受ける者(例えば、選手やチーム)を運ぶ道具として指導者を見立てたところから用いられるようになったものであり、したがって、コーチングを「大切な人をその人が望むところまで送り届けるための様々な営みの全体」と捉えると、コーチとは「専門的知識を基にコーチングを行う任を担う人」というように解釈できよう。
 言い換えると、スポーツにおけるコーチにとっては、自らの経験や知識、指導能力等を生かして、練習や試合といった競技生活(その他、時として一般生活をも含む場合がある)において、選手もしくはチームの良いところを認める、それを伸ばす、更なる可能性を引き出す、といったことにより、選手もしくはチームが当初の目的を達成できるように最善を尽くして介入・支援すること、すなわちコーチングを行うことがその活動の全体と言える。
 さらに、「コーチ」を「上司」、「選手やチーム」を「部下や課(例えば)」と読み替えると、コーチングの考え方はビジネス現場でも応用できるものであり、今日では「ビジネスコーチング」として参照されている。例えば、部下が指示通りに動いてくれないという悩みを持つ上司は少なくないかもしれない。しかし、部下が指示通りに動かないのは、上司が部下に一方的に命令を下していることが一因とも考えられる。上司が部下に指示を与える時には、スポーツにおけるコーチと同様にコミュニケーションに留意しながら部下自身にどのように対応すべきか考えさせ、自ら納得できる方策を決定させた上で求められている業務に取り組ませることが部下の目標達成へのモチベーションのアップや心理的成長につながるものと思われる。
 しかし、ここで確認しておきたいことは、コーチまたは上司はコーチングに際して選手や部下が効率的に発展するために様々な工夫や努力を施すことが責務であり、そこには経験や他者からの模倣のみではなく、ある程度科学的背景に立脚することが求められるということである。特に、これまでややもすると修行感覚で捉えられていたスポーツにおけるコーチングも、今や関連する諸理論を駆使して対応することは必須であり、この際に参照される専門諸学は「スポーツ科学」と総称され、一種の総合科学として近年研究が進んでいる。
 筆者は、これまでスポーツ科学の一領域にあるスポーツ心理学を専門領域として研究活動を進めてきた。もちろんスポーツ心理学は元来心理学を基幹学問として発展してきた学問領域である。そこで本稿では、特にスポーツ社会心理学的観点からビジネス現場にも当てはまるようなスポーツ現場の話題を事例的に紹介して、スポーツ科学を認知して頂く機会と成ることを期待したいと思う。

 

.選手はなぜコーチの言うことを聞くのか?

 筆者は専門がバレーボールなのでバレーボールスポーツ少年団の大会や練習場面を覗くことが多い。体育館では指導者の皆さんが熱心に指導し、子供たちもそれに応える様に必死でボールを追っている姿には思わず「頑張れ!」と声援したくなってしまう。指導者の指示にも「ハイ!」と大きな返事と共に素直にそれを実行しようとプレーしている。それにしても、どうして子供たちは指導者の言うことをこんなにも聞こうとするのであろうか?指導者はどうして子供たちにこんなにも影響力を持っているのであろうか?
 このように子供たちが指導者からの指示にしたがったり、時には拒否したりという一連の過程は、社会的な影響過程の一つとして捉えることができ、指導者が子供たちに影響を及ぼすことができるのは、指導者に何らかの「社会的勢力(social power)」が備わっているからだと考えられている。そして、このような対人間の一般的な勢力は、その基盤あるいは属性の違いによって幾つかの種類に分類されている。
 例えば、フレンチとレイブン(1959)やレイブン(1965)は、影響の送り手に対する受け手の認知に基づき以下の6つを挙げている。これらの勢力の分類は一般的な対人関係に関して言及されたものであるが、指導者や上司、選手や部下の関係にも当てはめて考えることができ、指導者や上司のどういった要素を選手や部下が評価して彼らの指示に従うかを理解することの一助になるものと思われる。

  1. 「報酬勢力」:報酬を与える能力を基礎とした勢力
  2. 「強制勢力」:影響の受け手による、送り手に従わない場合に発生する罰の予想から生じる勢力
  3. 「正当勢力」:影響の送り手が自分に正当な権利であるとして影響力を行使し、かつそれに従う義務があるという価値を、影響の受け手が内在化していることから派生する勢力
  4. 「参照勢力」:影響の受け手が送り手と同一視したいという気持ちに基礎を置く勢力
  5. 「専門勢力」:影響の送り手が持つ当該の分野の実際の知識量やその知識量について受け手が持つ認識によって決まる勢力(特に送り手が受け手の集団に属している場合)
  6. 「情報勢力」:影響の送り手が持つ当該の分野の実際の情報量やその情報量について受け手が持つ認識によって決まる勢力(特に送り手が受け手の集団に属していない場合)

 しかし、スポーツの指導者と選手としての子供たちの関係について、筆者が山梨県下の小学校3年生以上のバレーボールスポーツ少年団員375名に調査を実施したところ、以下の6勢力が抽出されている。

  1. 「親近・受容勢力」:指導者に対する心理的距離が近いという認識と指導者から受容されているという認識に基づく
  2. 「専門・参照勢力」:指導者がバレーボールの専門的な知識や技能を持っているという認識と指導者をお手本としたい、参照したいという認識に基づく
  3. 「罰勢力」:指示に従わない場合に指導者から罰を受けることの予想や指導者への畏怖の念に基づく
  4. 「外見・同一化勢力」:指導者の外見上の容姿に関する認識と同一視の認識に基づく
  5. 「正当性勢力」:指導者の影響を当然のこととして受け入れようという認識に基づく。
  6. 「利益勢力」:指導者の指示に従うことが自分の利益になるといった期待に関連した認識に基づく

 このように、スポーツ少年団等の児童期におけるスポーツ活動においては若干一般的な対人関係とは異なる特殊な勢力の資源が考えられた。したがって、普段子供たちが指導者のどの様な側面を意識してスポーツ活動に参与しているかをうかがい知る一資料として参照しておくことが重要と思われる。

3.やる気のない選手を育てる?

 前項でバレーボールスポーツ少年団員が認知する指導者の勢力資源の一つとして「罰勢力」を指摘した。これまでのスポーツの現場ではその活動を修行感覚でとらえ、指導者が思いの外にこの罰勢力を行使していると感じられる場面が少なくないかもしれない。
 例えば、スポーツ少年団の大会や練習場面でも、これまで子どもたちがどんなに良いプレーをしても特に大きな反応を示さない指導者が、子どもたちのミスや指導者の思い通りのプレーをしなかった場合には、ここぞとばかりに声を荒げて叱責する姿にその例を見て取ることができる。それにしても、どうして指導者はこんなにも絶えず怒りたがるのであろうか?そして、このような指導の結果、子どもたちにはどんな結末が待ち受けているのであろうか?
 このような懸念に示唆的な研究が知られている。それはセリグマンら(1967)が行った実験で、犬を鎖に縛りつけたまま電気ショックを何回も繰り返し与え続けるというものである。当然犬は電気ショックのたびに逃げだそうとするが、縛られているので逃げられもしないし電気ショックからも避けることはできない。そのような経験を繰り返し、最悪の事態から逃避も回避もできないということを犬自身が認識すると、例え縛(いまし)めを解かれ、その場から逃げだせるような状態になっても、もはや動くことすらしなくなり甘んじて電気ショックを受けるという状態になるというものである。
 セリグマンらは、この現象を「学習性無力感」と呼んだが、文字通り、無力感が学習されるというのである。つまり、逃げることのできない苦痛な状態(この場合は縛られた状態で電気ショックを受ける)を繰り返し経験していると、なんとかしてその場から逃げだしてやろうという意欲がなくなり、さらに悪いことには、たとえ逃げだせる状況が与えられても「自分はもう何をやってもだめなんだ」と思ってしまい(無力感の形成)、逃げ出そうという努力や行動すらも生起しないということである。
 すなわち、前述の例で言うと、指導者から「駄目だ!」「何をやっているんだ!」と常に叱責され続けた子どもたちは、「どうせどんな良いプレーをしても怒られるんだ!」「一生懸命にプレーしても無駄だ!」ということを悟り、更には「どうせ何をやってもうまくいかないに決まっている!」という気持ちから、最終的には自身から積極的にプレーをしなくなる、という負のスパイラルに陥っていくことが予想されるのである。
 しかし、幸いなことに学習性無力感は、「やれば、なんとかなる」という外界統制可能感により回復させることが出来ることが分かっている。簡単なことで良いのでうまくできたことには積極的に褒めてあげて、「できた」という成功の喜びを経験させることだ。そのような小さな成功感・満足感の積み重ねが自信につながり、「自分も頑張れば何とかできるんだ!」という統制可能意識の生起が期待できる。それがやがて大きな意欲・やる気に変わっていくことが期待される。
 最近、アメリカンフットボールや体操競技等で「罰勢力」に起因するコーチングの問題が話題となった。スポーツ科学に立脚したコーチングが重要視されている今日のスポーツの指導場面では、このような旧態依然としたコーチングスタイルからの完全なる脱却が求められている。
 ビジネスの場面でも、上司が部下を「褒める」代わりに「叱責し続け」(失敗や苦痛の連続的経験)、「自分は何をやってもだめだ」と思い込ませているとすると、セリグマンの犬を養成していることになりかねない。

4.チームでやる仕事は必ずしも生産的とは限らない?

 良くプロ野球の選手たちは、公式のキャンプイン前に「自主トレ」と称して自身の所属チームの如何に関わらず複数の選手が合同でトレーニングを行っていることがニュースになっている。野球というチームスポーツであるからキャッチボールをするにしても複数の方が練習効率の良いことはもちろんだとは思うが、それ以上に自分一人で練習するよりも誰か他の人と一緒の方が必ずしも気の向かない自主練習にポジティブになれるということかもしれない。これは何もスポーツに限ったことではなく、できればあまりやりたくはない定期試験に備えての勉強でも、一人でやるよりも複数の仲間と一緒にやる方が少しはやる気が出て勉強もはかどる場合も同様なケースであろう。
 このように、人は、一人で作業をするより、他者が見守っていたり他者と一緒に同様の作業をする方が作業効率が促進され、作業量が増大することが分かっており、オールポート(1924)はこの現象を「社会的促進」と呼んでいる。すなわち、他者の存在によって動機づけられた状態であり、重要な他者からの評価を気にしたり、他者に自分を誇示したい、という動機が関連しているようである。また、特に簡単な課題や自分にとって得意な課題において、よりこの効果が生まれ易いと言われている。したがって企画案を検討させるのに、ワーキンググループを作って作業させると、この場合には「3人寄れば文殊の知恵」的効果が期待できるのである。
 しかし一方で気をつけなければならないことは、同じように他者が存在した場合でも、自分にとって困難な課題や不得意な課題・経験の少ない課題の遂行においては、作業効率が低下したり自身の能力を十分に発揮できない現象もあり、この場合には他者の存在が効果的ではなく逆にネガティブに作用しており「社会的抑制」と呼ばれている。他者の存在が緊張感といったプレッシャーになったり、失敗に対する恐れ等が原因していると考えられている。上記のワーキンググループの例で言うと、若手社員が急に皆の前で意見を求められた様な場合には、先輩社員の前ということもあって若干の委縮感を持ってしまい、自分の思った意見を十分に発言できないような場合が考えられる。このような場合には「若い時は失敗を恐れるな!」といった直接評価にはつながらない意のフォローが求められる。
 またさらに厄介なのは、この「社会的抑制」は、単純な作業・課題でも観察されることが分かっている。この場合には、「社会的手抜き」と呼ばれ、共同作業をするときに、集団の人数が多くなるにつれて一人当たりの作業量が低下する現象を指している。極端な話、重い荷物を何人かで運ぶ作業時、運ぶ作業の体は成していても中には意識的でないが全力を尽くさずある意味単なる参加状態にある個人が発生するケースがこの現象に当たる。これは、メンバーの匿名性が高い場合(メンバー個人の作業量が特定できない場合)などに集団の成果への貢献度が比較しにくいために 起こると言われている。スポーツでも、フォーメーションプレー等で自身の役目を果たしていない選手に対して、よく指導者が「サボっているぞ!」という注意を与える場面に出くわすが、これも社会的手抜きの一形態と考えられよう。
 このような社会的手抜きを防止し、チームの作業効果を高めるための方法として、これまでの研究から、①チーム全体の目標を設定する、②個人目標を明確にする、③個人の達成量をオープンにする、の3ポイントが指摘されている。
 したがって、特にチームやグループをまとめるリーダー(コーチや上司)には構成メンバー(選手や部下)個々人の努力をしっかりと認めて評価をしてあげることが、社会的手抜きを起こさせないためには重要となろう。
 このように人間の心理はいささか複雑ではあるが、チームによる作業でもちょっとした配慮の有無が、「社会的促進」にも「社会的抑制」にも繋がることを胸に刻むべきであろう。