VOL.101 「3,256+12=3,268件」
国の史跡名勝天然記念物への新たな登録に向けて、11月16日に開催された文化審議会文化財分科会による審議・議決を経た12件について、文部科学大臣に答申が行われた。
史跡名勝天然記念物は、既に指定されている3,256件に12件が加えられ、3,268件となる見込みである。
追加される見込みとなっている12件の中に「甲府城跡」(山梨県甲府市)がある。「舞鶴城」と言えば、思い当たる方も多いかもしれない。
甲府城は甲府市中心部の一条小山と呼ばれる高さ約30mの丘陵に築かれた、近世の平山城郭である。豊臣方の浅野長政・幸長の親子によって本格的な甲府城造営が行われ、関東に本拠を置く徳川氏を抑える重要拠点とされた。西暦1600年頃には完成していたと考えられている。関が原の戦いの後は徳川幕府直轄領となり、城番制による統治や、徳川綱重、徳川綱豊(家宣)が藩主の時代を経て、柳澤吉保が藩主の時代には大規模改修が行われた。その後は甲府勤番支配となり幕末に至っている。
あまり知られていないことが残念でならないが、柳澤家が治めた時代には、甲府は隆盛を誇り、他の都市が羨むような豊かな文化が花開いていたという。
また、甲府城の天守閣については、その存在の可能性を示す大型の金箔鯱瓦などの遺物が出土している。しかし、絵図面や古文書など、論争に終止符を打つ決定的な資料は未だ発見されておらず、県などが継続的に調査を行っているという。
文化財行政には「研究・保存」と「活用」のバランスが求められる。「活用」に偏重すれば観光客は来るかもしれないが、文化は変質や陳腐化を起こし、文化財は損耗し失われる。「研究・保存」に偏重すれば、人々が文化や文化財に触れて理解する機会が減り、関心を持たなくなってしまう。長い目で見れば、研究や修復に携わる人材や資金の確保が難しくなり、研究・保存活動に支障をきたすことになる。
甲府は開府500年の節目を迎えようとしている。行政には、100年後や200年後の山梨県民に「ありがとう」と感謝されるような取組みを期待したい。そして、県民の方々には、歴史や文化に触れ、その価値を子どもや孫の世代に伝えることをお願いしたい。
山梨総合研究所 研究員 大多和 健人