Vol.247-1 司法書士という仕事を通じて感じる平成時代の世相変化


司法書士 河埜裕子

司法書士という職業のなりたち

  司法書士が誕生したのは明治5年、その時の名称は「代書人」であった。それは近代日本の司法制度がスタートした時期であり、司法職務定制として、代言人、証書人、代書人という3つの基本的な職能が定められたものである。ちなみに、ここでいう代言人は現在の弁護士、証書人は現在の公証人にあたる。
 その後、大正8年に制定された「司法代書人法」により、一般代書人と分離され、訴訟書類の作成と登記申請代理を行う裁判所構内の代書人を司法代書人としたのが司法書士のなりたちである。現在に至るまで140年近い歴史を持つ職業だが、社会の状況や市民の要求に合わせて仕事の内容は変化してきている。不動産登記や会社登記などを通じ、市民に身近な相談相手として活動しているため、景気や世相の変化などの影響を直に受け易い職業でもある。
 何ごとも同じだと思うが、同じことを続けていると定点観測のように、いつの間にか違ってきたと世の中の変化を感じることがある。私が司法書士を開業したのは、平成も一桁の頃であるから、この仕事を通じて平成という時代を見てきたわけで、そこに感じる変化としては、次のようなことがあげられる。

  • 不動産に必ずしも価値を感じなくなっている。
  • かつてはまだ残っていた長子相続という社会的因習が相当薄れてきた。
  • ルール重視の契約社会になってきた。

 

「負動産」の出現 

 一昔前、「地主」という言葉には、「財産家」という響きがあった。また「土地神話」という言葉もあり、不動産は持っていれば値上がりするものだという思い込みすらあった。それから考えると隔世の感があるが、今や不動産は必ずしも財産ではなく、誰しもが欲しがるものではなくなってきているのだ、と日ごろの業務を通じて肌で感じている。
 というのは、相続などのタイミングで「親の遺産である土地を行政で引き取ってもらえないものだろうか?」という相談を何度か受けたことがあるからだ。利用する予定のない不動産を管理したり、固定資産税負担を巡って相続人の間で折合いがつかず、苦肉の策として行政に引き取って欲しいというのだ。そのような相談について、私も最初のうちは、困っている依頼者のために、依頼者と一緒に市町村の窓口に出向き、事情を何とか分かってくれるよう説明し、土地を寄付するから受け取ってくれるように説得したりもした。しかし、何度かの経験を経て、今はその依頼者の要望を通すことはほぼ不可能だと分かった。行政は、行政目的に適わない寄付を受け取ることはない。
 民法には「所有者が存在しない不動産は国庫に帰属する」という旨が定められている(民法239条2項)。この規定が適用されるのは、相続人が一切いないために、「所有者不在になった」などの場合であり、それが認められる状態は限定的である。「誰も管理せず放置している」場合はこの規定に該当しない。相続放棄以外の場面で土地の所有権を放棄する手続きの規定もない。 

 我が国の法律では、そもそも「不動産は、価値あるもの」という前提で構成されている。それにも拘わらず、現実社会では「負動産」などという造語が生まれ、それで十分話が通じるようにもなっている。つまり、不動産は、管理コストがかかり、ただ保有しているだけで利益を生む物ではないと一般にも認識されるようになっており、そこに法律と現実のギャップが生じている。
 特に相続のタイミングは、個々人が資産価値を再評価する機会にもなり、空家、耕作放棄地などを発生させるきっかけになる。
 今、全国的に問題になっている空家の増加は、少子化と人口減少の影響で住宅が余っていると言われるが、別な言い方では長寿化の影響だともいえる。日本人の平均寿命が80代後半になっている現在、一般的に80代、90代で亡くなった親の相続に関して、相続人である子供たちはたいてい50代、60代になっている。つまり既に自分でも家を持ち、生活基盤が出来上がっている世代である。その年代になってから親の家に住むという選択が容易ではなくなっているのである。

  このような社会状況にあって、今、まさに私たち司法書士が長期相続登記未了調査や空家対策に取り組んでいるところである。その活動を通じて感じるのは、何十年も登記が放置され、数世代の相続を経て何十人もの相続人で共有することになった土地を今後どうやって活用することができるのだろうか?という暗澹とした思いである。
 活用できず、誰も管理しないで放置された不動産は、災害や犯罪など治安に対しても悪影響を及ぼす。そして、その影響がさらなる価値低下の連鎖を生んで地域全体の衰退を招いている。
 かたや、少子高齢化、人口減少が著しい社会状況において、コンパクトシティを目指すことはもはや既定路線になりつつある。コンパクトシティにメリットがあるのはもちろんだが、その実行には多くの課題が立ちはだかっている。いったん広がってしまった都市機能を小さくたたむとしたら、それ自体コストがかかり、「それ以外の部分をどうするのか?」ということも含めてデザインする必要がある。都市機能の集中は当然に不動産の資産格差を広げる方向へ働くので、都市機能周辺の土地はどうなっていくのだろうかとも思う。
 また管理不足の不動産を外国人が投資目的で購入するという動きも話題になっている。国の基盤的要素である不動産が市場に委ねられたままでは、管理不足のエリアが無秩序に広がっていくことは、もはや必至である。
 そこで議論されているのが空家や放置された土地を集約するシステム「ランドバンク」である。これを実現させるにも不動産に関する法律が深く関わってくる。

 

家制度の社会的因習の衰退

  私が司法書士になった平成も一桁の時代、その頃は旧民法時代の残滓、「家制度」の名残、「長子相続」という刷り込みが我々の意識の中にまだまだ残っていた気がする。「家の財産」という感覚や「家を出た子には相続させない」という考え方が多くの人々の内部にあり、暗黙のうちに認め合っていたように思う。もちろん、これは法律の領域ではない。いわば、社会的因習の話である。
 法律の上で、家督相続が廃止されたのは昭和22年(1947年)、第二次世界大戦後、日本国憲法が施行された時である。長男相続制が廃止、配偶者に相続権が与えられ、子供たちは平等に相続権を持つことが規定されたが、その民法改正から30年以上の時を経た平成初期でも家督相続によく似た「遺産分割」が相当に多かった。
 つまり、実家で親と同居している相続人(多くの場合、長男)は、相続財産の内容を明らかにしないままに「すべての遺産を〇〇が相続する。」という遺産分割協議書を作成し、「ここにハンコを押して欲しい」と言い、またそう言われた側(家を出た相続人)も遺産の内容を知ろうともせずに要望に応じていたケースがとても多かったのだ。それほどに、目には見えない「家」という組織の存在感は大きく、かつ永久の継続を目指すという価値観で家族を繋げていた。
 それからさらに30年を経て、今は、歳月を経て法律が浸透してきたというべきなのか、個人の権利意識が高まって、理解できるまでの説明や手順を踏まない限り一方的な話では通用しなくなっている。ここにきてようやく法律の規定が判断基準として浸透してきたようだ。
 その一方で、「家や墓を守ることは子孫の責任」という旧来からの価値観を持ち続けようとする人にとっては、時勢や世の中のしくみに向かって歩くようで、とても生きにくい世の中になっていると感じる。先祖の墓を守れない、実家を守れないと責任を感じて苦しむ人にも時々出会う。やはり人の価値観はそう簡単に変えられる話ではないのである。

 

これからの契約社会への貢献

  さて、これから世の中はどうなっていくのだろうか。人々の生活圏が飛躍的に広がり、日本中へ海外へと視野が広がっていく時代にあって、「不動産」や「家」、「墓」というキーワードは人々の足元を縛るものになりつつあるのかも知れない。
 さらに、働き方関連法案が成立し、外国人労働者の受入れも法制化された。こうしたことは、社会に多様化、複雑化の変化をもたらすことは当然であり、これまでになかった様々な問題に遭遇することになるであろう。人々の生活圏が拡大すれば、共通認識をベースとする「気心が知れた相手」との「言わなくてもわかる」文化の範囲は徐々に狭まり、あらゆる面でなるべく取りこぼさないようにきっちり決める契約社会への動きはますます進んでいくだろう。司法書士として、こうした問題に対処することにより社会に貢献していきたいと思っている。