多様なモノサシ


毎日新聞No.535 【平成31年3月29日発行】

  「少子高齢化」という言葉は、メディアをはじめ、行政の計画や文書、果ては酒の席に至るまで、様々な場面で登場し、耳にしない日の方が少ないのではないだろうか。
 まるで、この時代を生きる日本人であることを、互いに確認し合うための合言葉であり、物事がうまくいかないことの言い訳にすら聞こえてくることもある。

 事実として、2025年には団塊の世代と呼ばれる約800万人が75歳以上の後期高齢者となる。さらに、国立社会保障・人口問題研究所の人口推計によると、2040年には日本の総人口は約1億1000万人となり、総人口に占める65歳以上の高齢者の割合は35%を超えるとされている。
 日本社会は少子高齢化への適応を、必達目標として自らに課していると言えるだろう。しかし、少子高齢化は通過点であることを忘れていないだろうか。
 本来のありかたとして、日本という国や私達の生活が安定的に継続されること、言い換えれば国民の幸せが最大の目的である。それにもかかわらず、目的達成の手段であるべき少子高齢化社会への適応自体が目的化され、国民の幸せという視点が抜け落ちているように感じる。
 少子高齢化のその先、どんな日本を創りたいのか。その将来ビジョンを持った上での、課題や資源の取捨選択、優先順位の決定が求められている。
 将来のビジョンを定めるにあたっては、多様な立場からの視点が必要になる。性別や年齢、職業やその立場など、「今」を切り取った視点が一般的であるが、物事を時間軸で捉え「過去から現在、そして未来へ」という一連の繋がりに重きを置いた視点を持つことも重要である。

 どの程度まで過去を遡るか、何年先の将来像を設定するか、タイムスパンは自由で良い。未来を例に挙げると、同じ課題に相対した場合でも20年先を見据えた場合と、100年先を見据えた場合とでは、最善とされる対応に相違が生まれる可能性があるからである。これは対応の選択肢が増えたことを意味する。 多様なモノサシを持ち寄り、共に考えてこそ、未来を生きる人々から評価される判断が可能となるのではないだろうか。

(山梨総合研究所 研究員  大多和 健人