Vol.249-1 地方創生の決定打「アルベルゴ・ディフーゾ(Albergo Diffuso)」


エリアポータル株式会社
代表取締役 晝間信治

 スローシティという言葉をお聞きになった事があると思うが、これはイタリアで始まったスローフード(slow food)活動の考え方を拡張したものである。スローフードは、ファストフード(fast food)の対極的な意味で使われ「手軽にすぐ出てきて安価でそれなりに美味しい」ではなく、「生産者の顔が見える地の食材を用いて、丁寧に作られた食事」といった意味である。事の発端は、ローマにマクドナルドが出店する事になった時に、イタリアの食文化がアメリカ型のマスプロダクションによる均一的なものに駆逐されてしまうのではないかという危機感があり始まったもので、その後、次第に食文化のみならず、街全体の文化も含むようになってきた。これがスローシティであり日本では気仙沼市、前橋市が加入している。
 皆が通勤電車で新聞を読みながら毎日会社に行き、同じ事を毎日繰り返し定年を迎える事が、果たして人生にとって幸せな事であるのか?イタリア人の人生観からすると、まったく逆の価値観であり、マスプロダクションのアメリカ社会へのアンチテーゼなのかもしれない。このような土壌で、観光による地域経済の活性化を目指して、さらに進化させた概念がアルベルゴ・ディフーゾであり、日本では岡山県矢掛町が認定第一号となった。

アルベルゴ・ディフーゾ(以下AD)
 ADは、1980年代、地震で崩壊した北イタリアの小さな村を復興するためのプロジェクトの一環として始まったが、現在ではイタリア、欧州を始め世界各国で過疎化に悩む町や村の救済策として熱い視線を浴びている。アルベルゴはイタリア語で「宿」、ディフーゾは「分散」、ADは文字通り「分散型の宿」という意味である。下図のように町全体でホテルの機能を構成する分散型ホテルシステムであり、そこに歴史的なバックグラウンドを加えて、その土地に根付く歴史、文化、人の営みを、観光資源化する点がポイントである。

分散型ホテルイメージ図 出典:JB Press 

 ADの発案者で、アルベルゴ・ディフーゾ協会の会長であるジャンカルロ・ダッラーラ教授にインタビューを実施した。

「持続可能な経済」をもたらすAD

 「ADの本質は、“持続可能である”ということにあります。小さな田舎町の過疎化はイタリアだけに留まらず、今や世界各地で同時進行している問題ですが、これを食い止める鍵は、それぞれの土地で“持続可能な経済”を生み出すことにあるのです」。観光マーケティングを専門とする経済学者でもあるダッラーラ教授は、「空き家が10軒ある村なら、ADを始められる」と言う。実際、イタリア各地の集落では、空き家を利用してADを始めようという動きが活発になっている。しかしながら、成功例は少ないのだそうだ。
 「ADをB&B(Bed and Bbreakfast:注参照)や短期貸しアパートと勘違いしている人が非常に多いのです。しかし、空き家の鍵を渡すだけではADは成功しません。ただ単に、村の各地に宿を分散させるだけでは人々は集まってこないし、そこに経済を生み出すことはできません。ADを成功させるには、それを運営する人の情熱やスキルが必要不可欠です。観光業、ホテル業、ホスピタリティの最低限のスキルを身につけ、なおかつその土地を心から愛している人でなければADを成功させることはできないでしょう」。
 「分散型の宿」と聞いて、単に集落に点在している空き家を借りるのかと思っていた私は、想像していたものとはかなり違うらしいADの実態にさらに興味を持った。これはやはり、実際に体験してみるのが一番だろう。そこでダッラーラ教授におすすめのADを紹介してもらうことにした。
 「『テルモリ』という町があるのを知っていますか? アドリア海に突き出た小さな港町です。そこのボルゴ(古い集落)のADは素晴らしいですよ! ぜひ行って体験してみて下さい。」

アルベルゴ・ディフーゾ協会の会長であり、ADの発案者である経済学者ジャンカルロ・ダッラーラ教授(今回のインタビュー時に撮影)
※ B&B Bed and Breakfastの略で、欧米で使われる宿泊と朝食の安価なホテルのことで、近年、米国の民泊紹介サイトAirbnb(エアビーアンドビー)が有名になった。

アドリア海にポツンと佇む港町

 テルモリという町は観光地としてはあまり馴染みのないモリーゼ州の州都カンポバッソからアドリア海側へ向かって約60km、プーリア州のバーリ、アブルッツォ州のペスカーラという二つの大きな町の中間に位置している。町の地図を見てみると、鉄道の駅の周りには整備された近代的な新市街が広がり、その先に突き出た半島にボルゴと呼ばれる古い集落がある。ダッラーラ教授が言っていたADは、どうやらこのボルゴの中にあるようだ。賑やかな商店街が続く新市街を抜け、中世時代の煉瓦造りの城壁に囲まれたボルゴに入ると、周りの空気が一変した。平日のお昼時、ボルゴの中はしんと静まり返って物音一つしない。

FSイタリア鉄道のテルモリ駅
駅周辺に広がる近代的な新市街
テルモリ市街地の地図。ボルゴは海に突き出た小さな半島になっている
新市街の突き当たりにあるボルゴの入り口。ボルゴ内は車両進入禁止になっている
城壁のアーチをくぐると、新市街の喧騒とは無縁の別世界が広がっている

たった2部屋の宿から始まった村の大復活劇

 ゆっくり歩いても20分足らずで一周できてしまう小さな集落にある二つのアルベルゴ・ディフーゾは、どちらも一年を通して宿泊客が絶えないという。その秘密は一体どこにあるのか?
 最初に出会ったオーナーに、なぜADを始めようと思ったのかと尋ねると、意外な答えが返ってきた。
 「最初は宿を運営するつもりなんてなかった。ここは自分と家族で住むために買った家なんです」。ボルゴにはもともと漁師達が住んでいた空き家がたくさんあって、どこも損傷が激しいから安く買えたらしく、大きな家を修理して家族で住もうと思い、快適に暮らすために改装を頼んだ建築家に、「どうせなら上の階も買い取ってB&Bを始めたら?」とアドバイスされたのがきっかけとなり、2004年に2部屋だけのB&Bをスタートさせたとのこと。
 別のADのオーナーであるファブリッツィオ氏は、古い館を格安で買い取って夏のバカンス客向けの短期貸しのアパートでもやってみようか、と動き出していた。どんな宿ならお客さんが来るだろうかとイタリア各地を旅しながら構想を練っていた時、トスカーナの片田舎でADに出会った。そのアイデアに惹かれたファブリッツィオ氏は貸しアパートの案を捨て、当時、日に日に進んでいたボルゴの老朽化・過疎化を食い止めるためテルモリ市が提供していたプロジェクトの融資を受けて一軒の館を買い取った。その後もう一軒もオープンし、二軒のADは協力しながらテルモリで「アルベルゴ・ディフーゾ」を始め、徐々に拡大して行った。
 「ADの素晴らしいところは、全てが持続可能である、というところ。館も町並みも、全てもともとそこにあったものを再利用するというのが原則です。私達は、廃れていた漁師の家を格安で買い取り、滞在客が何不自由なく、しかも快適に過ごせる空間と設備を取り入れて改装したの」。駅前の味気ない高層ホテルより、第二の我が家と思えるような居心地の良い宿を作れば、お客さんは何度でも戻ってきてくれるという。

テルモリのアルベルゴ・ディフーゾ
客室の一例。こちらも古い建物の壁や天井、家具などを装飾として残しつつ、海の青と重厚感のあるファブリックで統一。ロカンダ※とは全く異なるスタイルで個性を打ち出している。どちらの宿も全部屋異なるが、全部屋に共通するスタイルを貫くことで「宿の個性」を確立している。
※イタリアの長期滞在型ホテル

集落全体を「一つの宿」として捉える

 ADが成功した背景にはインターネットの存在も大きい。
 「私たちはホテルの検索サイトに『テルモリ・ボルゴ(集落)のアルベルゴ・ディフーゾ』として情報を載せている。そうすることによって、宿を探している人は一軒ずつのホテルの情報ではなく、街全体を一つの宿として検討し、私たちのどちらかに空室があればそこを予約してくれる」。こうして一度宿泊した客を個性的な客室や温かなもてなしで魅了し、リピーターを増やしていったのだそうだ。一方、ファブリッツィオ氏も、「ボルゴのADが知られるようになってから、新市街で宿を探している人を見かけると、住民の人達が『ボルゴへ行けば部屋がある』と言ってくれるようになった。駅前のホテルが満室で困っている人に、『〇〇ホテル』ではなく、街というエリアを紹介してくれるようになった」と語っている。
 集落全体を一つの宿として捉えることにより、一軒の宿だけに客が集中するという事はなくなり、双方の宿に客が満ちるようになったのだそうだ。また、どちらの宿も客室はボルゴの住民達が暮らす家々の中に溶け込んでいるため、住宅街を動き回る宿泊客の存在によって通りに活気も生まれ、住民達にとっても喜ばしい結果をもたらしている。

メイン施設と客室を分散して運営

 宿泊客の動きがボルゴの暮らしに活気をもたらす、というのは「縦型ホテル」ではなく、「横型&分散型ホテル」という概念を持つADの一つの大きな特徴である。実際に泊まってみると、その実態がよくわかる。
 宿泊客はまず、レセプションのある施設へ行ってチェックインを済ませる。その時、レセプションと同じ建物内にある朝食用のサロンや、施設の利用法などの説明を受ける。鍵を受け取ると、宿のスタッフの案内でボルゴ内を歩き、目的の部屋がある建物に移動。その時に、各部屋の設備と建物の入り口の開け方などの説明を受けたら、後は普通のホテルと同じように利用できる。翌朝は指定の朝食時間帯に朝食用サロンがあるメイン施設へ移動する。チェックアウト時も荷物と鍵を持ってレセプションがあるメイン施設へ行く。小さなボルゴの中では、これだけでも3〜4回、通りを人が動いている様子が見られるわけだ。もしも、これが大きな一つの縦型ホテルであったらどうなるだろう。1階のレセプションでチェックインを済ませた客は、翌日の朝食を含めチェックアウトまでは「箱の中から出ない」ことになり、隣接する民家の人達も通りに人影を見ることはないだろう。ボルゴという限られたエリアの中で人の流れができることは、過疎化に悩んでいた住民達にとっては歓迎されることであり、それゆえ住民達も見知らぬ宿泊客を温かく受け入れる。すると、宿泊客は初めて訪れた場所でも居心地の良さを感じ、また戻って来たくなる、という好循環が生まれている。

ロカンダ・アルフィエーリのメイン施設は、1階にレセプション、地階に朝食用サロンがある(左)。朝食用サロンは正面入口と反対にある通りの客室からも簡単にアクセスできるよう、建物の裏側に中庭を設けている(中)。手作りのタルトや地元のフルーツなどが並ぶ朝食(右)。
明るく開放的で広々としたレストランの店内(左)。地元で水揚げされた魚介類は新鮮そのもの(左中)。テルモリの代表的な料理は、魚介の旨味がたっぷり詰まっている(右中)。クアドルッチと言う小さくて四角いパスタはテルモリの伝統料理。シャコとイカ、リコッタチーズのスープが絶品(右)。

http://tabilista.com/cat/global6/osika/
#14 イタリアの過疎の集落を蘇らせた「アルベルゴ・ディフーゾ」体験 (Vol.1)
#15 イタリアの過疎の集落を蘇らせた「アルベルゴ・ディフーゾ」体験 (Vol.2)
イタリアのテルモリ取材 は、筆者がイタリア在住の田島麻美さんに依頼した。

 このように、本場イタリアでは、スローフード、スローシティの延長線上で、「食」やその街の「文化」、そこに住む人のホスピタリティと郷土愛を加えたアルベルゴ・ディフーゾへと発展していった訳である。次に日本の例を見てみよう。

1)岡山県矢掛町の例
 矢掛町は、江戸時代は山陽道の宿場町で、西国や四国の武士が参勤交代で行き交っていて、歴史的に交通の要衝であり、宿場町であったにもかかわらず、現在は宿がない場所だという悩みがあり、そこにインバウンドをどう呼び込むかが課題であった。
  そこで、古民家の特徴を活かした宿泊施設の整備を、賑わいのまちづくりと観光消費による産業の発展と位置付け、古民家再生で宿泊施設矢掛屋としてH27年にオープンした。
 なお、古民家再生事業は、過疎債を利用して地元の企業、役場が官民連携して街おこしを行い、アルベルゴ・ディフーゾ協会の会長に直談判して、日本での認定第一号を昨年とった。

矢掛屋(別館:レストラン、温泉)

 山陽道宿場街という文化的なバックボーンがあり、伝承されてきた文化があり、それを核にした官民一体の街づくりが行われてきたことが、アルベルゴ・ディフーゾ協会の日本認定第一号のポイントであった。
 AD認定は、古民家再生と古い町並み再生(ハード)と、それを運営するノウハウ(ソフト)が一体となってはじめて可能になるものと考える。矢掛町は官民連携でそれを成し得ている。

2)上野谷中の例
 上野谷中のADは、まだ認定は受けておらず、昭和の下宿用アパートを改装して、民泊風の宿にしたのが特長であり、地の利が良いので調査した年末年始は、休みを使って来日しているインバウンド観光客が目立った。特にフランスからの若年層が多く、フランス語が飛び交っていたのが意外だった。やはりこのエリアは日本の伝統文化が残っており、文化的な欧州人が好んで来ているようだ。谷中といえば、谷中霊園の周りの数多くの寺、階段を降りて千駄木まで延びる谷中ぎんざ商店街が有名である。ここ数年は昭和に建てられた木造住宅が更新時期を迎えており、取り壊してマンションにするか、木造のままリノベーションをして、逆に日本的な木造建築を前面に出した店舗や宿泊施設にするケースが増えている。周辺に上野恩賜公園があり、文化会館、美術館、博物館、芸術大学と並び文化的なエリアである。上野から日暮里にかけてと、谷根千と言われる谷中、根津、千駄木界隈もすべて徒歩30分圏内で楽しいお店がたくさんあって賑わっている。

京成スカイライナーで成田→日暮里36分

 これだけインバウンド観光客が多い理由の一つに、京成スカイライナーが20分間隔で成田から到着し、交通の利便性が抜群であることがあげられる。
 同社もホームページで積極的に谷中をバイリンガルで紹介しており、交通事業者、地元商店街、宿泊施設の3竦みの成功例である。また、後述のHAGISO-Hanareはエールフランスの機内誌で紹介されているようだ。フランス人が多い理由がわかった。
 このように、交通事業者やエアライン関連との連携はかなり効果的だと思われる。


アルベルゴ・ディフーゾ「HAGISO」

 日暮里駅から徒歩で5分HAGISOに着いた。最初はわからずに通り過ぎ、再度地図をみて岡倉天心記念公園前という事を確認して、ようやくわかった。外観は黒くおしゃれな感じだが、要するに昭和によくあった2階建ての木造アパートである。中に入ってみると萩荘という昔使っていた看板が掲げてあり懐かしい。

 ここの1Fは、HAGI CAFEというしゃれた喫茶店に改装されていて、一部2Fまで吹き抜けになっている。明かりもとれてこれは妙案で開放感がある。
 階段を上ると、2Fがフロントルームになっているが、15時から受け付け開始らしく、いまは鍵が閉まっていた。ここでチェックインを済ませて宿泊棟やレストランを案内されるのだろう。なお、宿泊棟はここから徒歩3分のところに別の木造アパートがあり、こちらで宿泊することになる。

HAGI CAFEとフロントルームと2Fミーティングスペース
宿泊棟hanareで玄関には番号式電子ロックがあり、フロントで番号を聞く

3)宮城県石巻・牡鹿半島の事例
 石巻市は平成の大合併で牡鹿郡が統合されたが、その牡鹿半島にある月浦という浜は、日本で最初に海外に行ったサンファンバウティスタ号がアメリカに向けて出港した地であり、現在でもサンファンパークに復元船が静態保存されている。また半島の先には金華山があり、東北の三大霊山であり、信仰の島として、昔は全国から参拝者が訪れていた。現在は、この歴史的背景を考古学者が裏付けを行っている段階で、この後、東日本大震災で被災した観光地の修復や道路の整備を行い、観光による経済復興を目指している。その際に、地元の主力産業である1次産業、2次産業に観光サービス業という3次産業を加えた6次化を検討している。
 牡鹿半島の鮎川まである12の浜のうち、観光客受入に対して小渕浜の民宿「あたご荘」が興味を示し、AD導入の準備を進めている。 ただし、石巻版ADは、地元の公共交通が少なく、特に牡鹿半島では移動手段がネックになるので、MaaSを使った公共交通を繋いだシームレスな交通を提供できるかが課題となるが、その場合、 観光動線確立と地域コーディネーションが重要である。 ADを牡鹿半島で展開するには、イタリアのテルモリのように周囲が1~2kmで歩いて20分ぐらいのコンパクトさではなく、半島の先端迄は約20kmあり、地域交通手段も路線バスが一日4便程度しかないので、マイカーでの観光が主流である。先ずはパッケージツアー(募集型企画旅行)で観光地をまわるようにするが、その後ADフロント機能を地元ホテルのサンファンビレッジに置き、将来的にはここまで民宿の送迎バスがお迎えに来る。将来的にはシャトルバス(ハイエースクラスの9~14人乗り)で、移動手段を確保する。また、各浜間の連携は諸々の問題が絡むので横連はせずに、すべてサンファンビレッジがハブになる予定である。

サンファンバウティスタ号と隣接するホテルサンファンビレッジ
サンファンビレッジのADのプロモーションビデオ(ドローンで撮影)

 現在、構築中の石巻版ADの各プレイヤーの関係図を下記に示す。

業務提携は小渕浜、古川で検討中
震災伝承、各浜でのサービスは、一社)サードステージと実施予定

 このように、アルベルゴ・ディフーゾは、発祥の地イタリアでは30年間で100ぐらいのADがイタリア各地に普及していて、日本でも岡山県矢掛町が認定済み、上野谷中が導入中で、石巻・牡鹿半島が導入検討中である。
 武田信玄が居を構えた甲府や、ワイン醸造では世界的に有名になった山梨ワインといった観光資源が豊富な山梨であるが、一方で人口減少が進んで盆地周辺部では過疎化が進み、空家率全国一である側面もあり、イタリア発祥のADで山梨の「食」、「文化」、「人」でおもてなしをして、スローシティから更に一歩進めて、スローライフというイタリアンスピリッツで、インバウンド観光客による地方創生を狙っていくのも一つの手かもしれない。北杜市の別荘地に移住してくる定年を迎えた日本人もスローライフを楽しもうという人たちであり、こういうマインドが若年層にも広がりつつあるのが平成であったと感じている。令和になってこのような動きがどう浸透していき、このような地域観光資源を持つ山梨の地方創生をどうしていくかが、今後の課題である。