もっとおせっかいを焼こう


毎日新聞No.538 【令和元年5月10日発行】

 長い連休が終わり、日常が始まった。私は身延線で通勤しているが、朝夕の車内はリュックを背負った学生で混雑している。足下に置いたり、おなか側に持ったりといった配慮をする者は皆無に近いため、リュックが顔に当たったり、移動ができなかったりと、大変迷惑している。
 背負っている物がどんなことを引き起こしているかの想像ができないのだろうか。車内のマナーとして啓発活動がなされていると思うが、イヤホンを付けてスマホに夢中で、声をかけても気づかれないことが多い。ただ、声をかけると、素直に聞いてくれることも多いとも感じている。教えてもらっていないだけ、周りの迷惑に気が付かないだけ、ということもあるのだ。

 人間関係が希薄になった、といわれて久しいが、私たち大人ができること、するべきことはいろいろある。先のリュックの件でも、JRや学校だけに対応を委ねる、ということでよいのか。他人に声をかけづらい時代ではあるが、触れ合いを求めている人も実は多いのでは、とも思う。
 国の調査によると、2040年には、65歳以上の高齢者世帯のうちひとり暮らし世帯が全国平均で40%を超える。身近な話し相手がいない、近所づきあいをしないというケースも増えるだろう。行政サービスに限界がある中で、人々の生活を維持し、地域コミュニティの崩壊をつなぎ止めるものは、各自が主体としての自覚を持った「周りへの配慮、関心、おせっかい」ではなかろうか。

 10年位前は、学校に通う息子と一緒に電車を利用していた。ある朝通勤途中で日食があり、立っていた小学生の息子をボックス席にいた二人のご婦人が「こっちにおいで」と言って呼び、太陽が欠けていく様子を見せてくれた。その後、違う時間帯の電車に乗ることになり、ご婦人方と会うこともなかったが、大雪で電車が運休しバスに乗った時に数年ぶりにお会いし、「大きくなったね」と息子に声をかけていただいた。「おせっかい」からこんな思いがけない再会ができるのが、地域の良いところだろう。 地域で生活する一人として、良い意味での「おせっかい」をもっと焼こうと思う。

(山梨総合研究所  専務理事 村田俊也