Vol.254-1 伝統文化を学ぶということ
古流清光会教師 華道家 梅田一穂(うめだ いっすい)
1.はじめに
私は、現在日本語の講師と花道の師範をしている。外国の方に日本語や日本の伝統文化である花道を教えたり、また若い世代にも花道を教えている。
日本語の語学指導において、試験でよりよい点数をとる技術、花道においては花を生けるのに決まった技術を教えることは、ほぼマニュアル化しており一定水準で教えることができる。だが、教えるのは技術だけではない。
長年教えることをしてきた私には当たり前のようなことが、若い世代や外国の方には不思議に感じるようだ。時たま、はっとさせられる質問をうけることがある。どうしてこのように生けるのか、どうしてこのように表現するのか、当たり前と思いすぎていて、かえって答えに窮してしまう時もある。だが、どんな当たり前のことも、そこには、日本人が今まで培ってきた独自の思想、宗教観、世界観や美意識がある。そういった質問を受ける度、それらを教え伝えることが本当に大切なことなのだと思う。
花道には、型や決まり事がたくさんある。それは花や花木それぞれに意味をもたせ、何かを表現し、何かのために生けるという目的をもっているからである。花や花木はツールであって最終目的ではない。花それ自体を見せるのではなく、花のために生けるのでもなく、花をもって何かを生けるのである。その何かは信仰であったり、自然・宇宙そのものであったり、伝統であったり、また自分自身の感性の表現であったり、多種多様である。今回、花道を通して、日本の伝統文化とは何か、またそれらを今、学ぶ意義について考えてみたい。
2.伝統文化とは・・・
花道というと日本の伝統文化の代表のひとつとしてあげられるのだが、そもそも伝統文化とはなんであろうか。
「伝統」の意味は以下のようである。
- ある集団・社会において歴史的に形成、蓄積され世代をこえて受け継がれた精神的文化的遺産や習慣(「大辞林」三省堂)
- 古くからのしきたり・様式・傾向・思想・血筋など、有形無形の系統を受け伝えること。また受け継いだ系統(「日本国語大辞典」小学館)
どちらも「受け継がれた」という言葉がキーワードとしてあげられ、普遍的価値を持ち、長い年月にわたり受け継がれたものが伝統といえる。
そして文化は、
- 学問・芸術・宗教・道徳など、主として精神的活動から生み出されたもの(「大辞林」三省堂)
- 人間の生活様式の全体、特に哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、その所産(「広辞苑」岩波書店)
言葉の意味から考えると「伝統文化」とは、「長年にわたり受け継がれた日本の精神性」ということになる。
日本の伝統文化として、茶道、華道、書道、また剣道、柔道、弓道など、「道」がつく芸道がよくあげられる。
これら芸道は茶や花、剣などをツールとして、そのプロセスを学び、日々稽古を行うことにより、自己の精神的、また肉体的な鍛錬が目的とされ、結果よりもその学ぶ過程が大切ともされている。
こういった精神性は、仏教や神道、また儒教などの宗教的思想がもとになっている。宗教は、精神的活動つまり、日常生活の中の善悪などを判断する基準であったり、自分が行動する基準になったりする。これらの基準を学び、その宗教的教えを伝え広めていくのに、これらの芸道は、創り上げられ普遍的価値をもっていったといえる。なぜなら芸道の教えを表現するために仏教の言葉を借りていることが多いからだ。芸道の精神性は仏教や神道などの宗教をもとにしており、切ってもきれない関係なのである。つまり芸道は、日本の精神性をもつものであり、長年にわたり受け継がれているもので伝統文化なのだ。
3.花道の精神性
1)花道の成立
花を飾るということ、それは人間にとってどのような意味があるのだろうか。人間と動物との一番の違いは、人間は感情を持ち五感をもって様々なことを感じるということである。動物は野に咲く花を見て、食料または目印としか認識しない。人間はその色、形、香りに感じ入る。美しさや芳しさを感じることができるのは人間のみに与えられた特権である。
霊長類の中には、感情が豊かで人間に近いものもいて、仲間が死んだとき、しばらくの間、亡骸の側を離れず悼んでいることがあるという。しかしそれでも花をたむけることはしない。
死者に花をたむける習慣は、古代より世界中でみられ、古い例だとネアンデルタール人の骨とともに花粉や花弁が出土し、花を供えていたのではないかという説もある。
宗教的なものを別にしても、人には、死を悲しみ悼む感情があり、その気持ちの表れとして、自分が美しいと思う花を死者にたむけるという行為となる。人間にとって花はそれだけ、神聖なものであるといえるのではないだろうか。
古代、自然は厳しく、それに対して知識も技術もかなり不十分であった。自然は人間にとって驚異であり畏怖であった。また人々にとって自然は恩恵を与えてくれる神であり、敬うものでもあった。荒ぶる神への鎮魂儀式の中で花を供える行為は、美しく神聖な花を捧げ、少しでも神をなだめたいという意向もあったであろう。
また人間の力だけでは到底どうにもならないこと・・・豊作や自然災害の回避など神へ願いがあるとき、人々は神事を行い、天にいる神を地上へ招いた。神が天から降りてくるのに目印が必要とされ、山や石、そして木や花などが使われ、これらは「依り代」と呼ばれた。依り代は花道の始まりのひとつとされ、天からの目印となるよう高く立てられた。
今でも地鎮祭などで竹が立てられたりしている。また現在では「花をいける」と言うが、当初は「花をたてる」と言われていた。
その後、仏教が伝来し、仏さまに花をお供えする供花の習慣も伝わり、それも花道成立の要因のひとつであるとされている。
神にしろ、仏にしろ人は尊い存在に対し、美しい花とともに祈りを捧げた。従って花を捧げるという行為は祈りである。
神や仏に対し、より素晴らしい花を捧げたい、誰がみても納得するようなものを捧げたいと試行錯誤する中で、人々はそのルールを信仰の中に求めた。
花を捧げるのに、信仰にのっとったルールで飾り、そのための技術が生まれ、思想が生まれ、伝承された。そして花を飾り捧げるという行為を通して人がどう生きていくべきか、その生き方も教え伝えられていったのである。
2)花道の変遷
歴史上、花道という日本独自の文化として現れたのは、大体室町時代頃である。室町幕府の将軍足利氏をはじめとする権力者の邸宅や寺院には、床の間の原形といわれる押板や違い棚などが設けられ、花瓶も飾られた。
このような座敷の花飾りは、将軍の身の回りの世話をする同朋衆によって整備されていき、仏に花・香・灯明をささげるための三具足(花瓶・香炉・燭台)も採り入れられたりした。
東福寺の禅僧の日記『碧山日録』によると、寛正3年(1462)、六角堂の僧侶・池坊専慶が武士に招かれて花を挿し、京都の人々の間で評判となったと記されている。
それ以前から既に花を生けるということは職業的に行われてはいたが、座敷飾りの花や専慶の花は、仏前供花や神の依り代といった従来の枠を超えるもので、ここに日本独自の文化「花道」が成立したといえる。江戸時代までは、花道は茶道・香道・歌道などの芸道と共に男性社会でのコミュニケーションツールとして必要不可欠なものだった。江戸末期、大政奉還がなされ幕藩体制が崩壊した。明治政府が設立され、貿易が自由化し、西欧文化が入ってくると、日本の伝統文化にも大きな変化が起こった。西欧のものが先進的で近代的であるとする風潮となり、日本の伝統文化を低くみる傾向がでてきた。
花道をとりまく状況も変化した。政府は明治の学制により女子教育に力を入れ始め、花道や茶道が女性への教育として本格的に取り入れられた。また昭和期、特に戦後は、花道・茶道は花嫁修業として、女性の習い事として流行した。
戦後は、居住空間や生活スタイル、また宗教に対する考え方も変わり、生け花も古典的なスタイルから自由な創造的な生け方が出始めた。
形骸化してしまったそれまでの花道に対して、個人の美意識や芸術としての表現が求められるようになった。現代においては、少子化や様々な習い事の多様化などにより、花道を学ぶ人口は激減しており、存続が厳しい流派も多い。
4.現代において伝統文化を学ぶ意義
日本文化は禅や武士道などの精神的なもの、伝統工芸などの芸術的なもの、また最近ではアニメや漫画など様々なものがあり、クールジャパンと称され、世界中で大変関心が高まっている。
従って海外にでて国際交流を深めるとき、必ず日本文化の知識が必要とされる。外国語を学び、文法や単語の知識はあったとしても、話す内容がなければそれらは何も役にたたない。大切なことは外国語を話すというツールを使い何をするかである。
人として中身を濃くするもの、それは知識教養である。また、日本人という立場として、世界の中でより活躍するために日本の伝統文化を学ぶというのは必要不可欠である。
日本文化の知識習得のためには表面的な知識でなく、実際に稽古を行い、肌で日本文化を知ることである。
花道でいえば、四季折々の草花を手に取ることにより、香りや色彩など五感をフルに刺激される。花道に限らず、茶道や書道などのお稽古事は実際の制作を通して文化を体得でき、真の国際人としての教養を身につけることができる。
しかし、外国の方に日本文化を紹介するのに、どうしてもわかりやすいよう外国人からみた日本文化論をもとに、私たち日本人もそのステレオタイプの日本文化を紹介してしまいがちである。私たち自身もそれが特徴であると思い込んでいるのではないだろうか。日本の伝統として、花道をはじめ芸道とは何であるか、教授陣側も、もう一度原点にたち帰り、教え伝えていかなければならない。
5.おわりに~これからの花道の道~
日本は、古来より気候が優しく、春夏秋冬それぞれの季節の特徴が世界の他の国々に比べはっきりしている。その季節ごとに咲く草花は豊富で、手に取り生けるとき、人々は四季の移ろいを感じ、楽しんできた。生けられた花の中に、季節や時の流れを感じ、自然に感謝し敬う、そういった日本人の意識が、花道の思想の中にはある。
近年、日本では各地で地震や台風による想定外の災害が起こったり、また異常気象により季節感も変化している。
これまで、人間は科学の発達により、自然を思いのままにできると錯覚してしまった。しかし、災害が起こる度に、大自然の中で人間の存在などなんと小さく、そしていったん自然が猛威を振るえば、私たちは知識や技術がなかった古代の人々となんら変わることがない無力な存在であることを痛感させられる。
花道はここ最近「いけばな」として、個人の表現や芸術性の向上を重視している。しかし、花道が代表的な日本の伝統文化であるならば、日本人が何のために花を生けるようになったか、日本人が古代から持っている自然への崇拝と感謝の念、祈りの意味を忘れてはならず、そしてそれらの思想を若い世代に伝えていかなければならない。
なぜなら、生きた花を手に取り、自由に活ける喜びを感じながら、伝統が培ってきた色々な思想や型を学ぶことにより、古くさいと思っていた伝統のなかに新鮮な驚きやアイデアや美しさなどを、若い世代ほど発見できるからである。そして、さらにそれらを上手く使いこなすことにより、若い感性を活かした新たな表現をうみだすことができ、日本の伝統文化は受け継がれ、道となっていくのである。