検査しなければ感染者ゼロ?
毎日新聞No.563 【令和2年5月3日発行】
新型コロナウイルスの感染が地球全体を覆っている。パンデミックという言葉は知っていても、感染者や死者の信じられない膨大な数を突きつけられると、その意味と重みに当惑せざるを得ない。毎日報道される感染者数のグラフを見て一喜一憂するしかない非力な自分を思わずにはいられない。
最初に感染者が見つかったのは、中国湖北省武漢市で2019年11月だとされている。12月31日になって、中国当局から「原因不明のウイルス性肺炎」を27人が発症したことが発表された。新年を迎えて16日に国内初めての感染者が確認され、20日に専門家が人から人への感染を認めた。こうして、感染が拡大する中で、中国が10日間で病院を建設したとか、武漢市を封鎖したといったニュースが報じられた。韓国はドライブスルー方式の検査を実施して話題になった。
日本では、当初はクルーズ船の乗客の感染に注目が集まっていたが、非常事態宣言が全国に出されるに至り、医療崩壊という危機的状況に直面している。これからどうなるか考えながら、ふと、昔のことを思い出した。それは、ある工場で不良品を減らす検討をしていたときのことである。参加者の一人が、生産をやめれば不良はゼロになると冗談交じりに発言して一同苦笑いをしたことである。その工場は、経営環境の激変に対応しきれずに閉鎖に追い込まれたのであった。
生産をやめるということを検査をしないと置き換えれば、検査をしないのであるから、発見される感染者はゼロである。しかし、実際には感染者は増え続けるであろうから、検査体制の増強にともなって検査で発見される感染者数は増えていくことになる。検査能力が限界に達すると発見される感染者数は頭打ちになることは明らかである。それをもって、感染者の増加にブレーキがかかったと勘違いしてはいけない。感染者数というデータに目を奪われて、それが意味するところを見誤ると、取り返しがつかないことになる。こうした誤りを避けるためには、何人検査してそのうち何人が陽性だったかを示すことは不可欠である。
(山梨総合研究所 理事長 新藤久和)