Vol.263-2 ヴァンフォーレ甲府が地域にもたらす幸福感~存続危機から20年を振り返る
公益財団法人 山梨総合研究所
主任研究員 鷹野 裕之
1.はじめに
サッカーJ2ヴァンフォーレ甲府(VF甲府)の今季ホーム開幕戦となる第2節は6月27日、山梨中銀スタジアムで新潟と無観客試合で行われ、終了間際にFW太田修介選手(甲府市出身)の執念のゴールで追い付き3-3で引き分けた。Jリーグ参入22年目の今季は2月下旬に開幕したものの、新型コロナウイルスの感染拡大を受けてリーグは4カ月間中断する異例の展開になった。クラブには、リーグ再開を待ちわびたサポーターから「VF甲府のゲームがないことがこんなに寂しいなんて」「早くゲームを見たい」「地元にJリーグチームがある貴さをかみしめた」などの声が寄せられたという。
リーグは7月の第3節(アウェー)も無観客で行われた後、第4節以降のホーム3戦は約3000席、8月のホーム4戦は約7000席に観客数が制限される予定で、スタンドをVF甲府サポーターで埋め尽くす光景はしばらくお預けとなりそう。Jリーグ調査で年間経済効果が約17億円規模とも試算され、「クラブが地域貢献しているから観戦に来る」サポーターの割合がJ1・J2クラブで5年連続トップになったこともあるVF甲府。しかし昨年は19年ぶりに単年度赤字となり、J1復帰と黒字経営復活の両立を目指すクラブにとって、感染症対策という大きな試練が立ちはだかる。再中断などによってホームゲームが消化できないなどの事態になれば、入場料だけでなく広告料など広範に影響が及んで営業収入が大幅減収となる恐れも出ている。VF甲府は20年前の存続の危機以来の大きな岐路に立っているのかもしれない。
本稿では、山梨日日新聞のVF甲府番記者として、存続の危機に揺れた激動の4年余りを間近に見てきた筆者が、02年サッカーワールドカップ(W杯)の年に、月刊「地方自治職員研修」(公職研)[1]=02年2月号=に寄稿した内容を再掲して、存続の危機とは何だったのか、そしていかにしてピンチを乗り越え、地域に浸透し、貢献してきたかを振り返る。VF甲府の経営が再び苦境に立てば、山梨の経済や活力に与える影響も少なくない。「ピンチはチャンス」を合言葉に切り抜けた20年前に、今季のピンチを乗り越えていくヒントを見いだしたい。
2.「ヴァンフォーレ甲府問題は何を示したか」
~2002年2月 月刊「地方自治職員研修」特集から~
「地域に根差したスポーツクラブ」を核にスポーツに親しみ、世代を超えた交流を広げ、豊かな人生を過ごす―。「Jリーグ百年構想」が目指すのは、新しいスポーツ文化の醸成だ。
サッカーのJリーグチームは現在、1部(J1)16、2部(J2)12の計28チームある。特にJ2は、平均観客1万5000人余りのJ1に対し5000人余りと少なく、クラブ経営にはその多くが苦労している。そのJ2で3季連続最下位に低迷するのがヴァンフォーレ甲府(VF甲府)だ。VF甲府は8カ月、44試合の長丁場を終え、8勝2分け34敗(勝ち点25=当時は延長勝ちが勝ち点2)、得失点差で水戸ホーリーホックに届かず、最下位(12位)に終わった。2001年は対戦11チームのほか存続問題とも戦ったシーズンだった。幅広い支援が結集した結果、存続の条件として主要株主4者(山梨県、甲府市、韮崎市、山日YBSグループ)が示した観客動員数など存続3条件をすべてクリア、初の単年度黒字見通しとなり、W杯の年を迎えることができた。ただ地域への浸透はまだ十分とは言えず、03年以降の存続については今年再び判断される。成績もその判断材料の一つに挙げられ、4季連続最下位だけは許されない。生き残りへ正念場は続く。
純粋な市民クラブ
VF甲府は1965年、甲府一高OBを中心に川手良萬氏(故人)の呼び掛けで創部した甲府クラブが前身。日本サッカーリーグ(JSL)2部創設当初から参加し、大企業の後ろ盾がないこともあって解散の危機に何度か直面したが、一度も降格しない粘り強さも。92年から、新設されたアマ最上位のリーグ、ジャパンフットボールリーグ(JFL)に移行、95年にヴァンフォーレ甲府と改称した。「ヴァンフォーレ」とは戦国武将・武田信玄の旗印でもある「風林火山」から「VENT(風)」「FORET(林)」のフランス語を組み合わせた。
97年に運営法人設立、99年、JFLを発展解消したJ2設立とともにプロリーグに戦いの場を移した。Jリーグ加盟に伴いホームタウンは甲府市を中心にした30市町村と決まった。広域ホームタウンはVF甲府の象徴でもある。
98年からこれら30市町村の担当職員によるホームタウン連絡会議も定期的に開かれているが、クラブ側からの協力要請の場に終始することも多く、盛り上がりはいまひとつ。「特定企業に行政は深く関与できない」「サッカーだけ特別扱いできない」などの声があるのも事実。その一方でホームゲームを「〇〇町サンクスデー」と銘打ち、特産品をハーフタイム抽選会の賞品に提供し、対戦相手に特産品を贈ってPRするなどVF甲府を積極的に広告塔として活用する自治体もあり、スタンスには温度差がある。
経営は火の車
チームを運営する株式会社ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ(以下、VF山梨SC)の収入の大きな柱は①入場料、②クラブサポーター会費、③広告料―の三つ。しかしいずれも目標を下回り97年の発足当初から赤字続き。2000年5月にJリーグ経営諮問委員会が当時のJリーグ27チーム中初めて「緊急性がある」としてVF甲府を訪問、「観客を増やさない限り、経営改善は見込めない」と指摘した経緯がある。
VF甲府はJFL6位の97年に1億5200万円、4位の好成績を残した98年(第7回JFL)に2億3900万円の単年度赤字を出し、J2入り前に累積赤字は約3億9000万円に膨らんだ。特に98年は現在J1清水エスパルスで活躍するFWバロンらを擁し、22勝8敗と過去最高成績を挙げたことで、皮肉なことに選手に支払う勝利プレミアムも経営を圧迫した。
J2入りした99年を控え「身の丈に合った経営」方針を打ち出し、選手の大幅年俸ダウンなど人件費を削減、主力選手も放出した。勝てないことで観客数も伸び悩む悪循環。移籍金収入などもあり、単年度赤字を1700万円程度に抑えたが、2000年は再び約6300万円に膨らんだ。00年12月26日、VF山梨SCの深沢孟雄社長(当時)が「運営資金不足で経営が極めて厳しい」と天野建知事に追加支援を要請、存続の危機が現実問題として伝わった。
県HPに大きな反響
天野知事は97年に県が8000万円の出資をした際、追加出資や運営費補助、人的派遣など経営参画は行わない内容の覚書を取り交わしたことを挙げ「基本的に県は追加的な財政支援は行うべきではない」とクラブに自助努力を求めた。その一方で開幕が迫り「Jリーグに対しても迷惑を掛け、サッカーくじへの影響も考えなくてはならない。チーム運営は経済界や関係市町村の考え方よりも県民、市民の支援・支持が得られるかどうかが重要」と県民の考えを広く聞き、支援策について結論を出す含みも持たせた。
同日夕、県ホームページ上に「県民フォーラム~ヴァンフォーレ甲府の経営危機について」のコーナーを設け、経営実態などを開示し、電子メールなどで広く意見を求めた。初日だけで5600件のアクセスがあり、チーム存続の是非が活発に議論された。コートに身を包んだサポーターも師走の街頭に飛び出し、JR甲府駅前などでチーム存続のための署名活動、県内の青年会議所や各種団体の代表、サッカー関係者らによる「VF甲府の存続を求める会」の誕生、募金活動…。横浜、大阪の天皇杯会場でも署名活動をするなど「山梨からJの灯を消すな」という大きな渦が巻き起こった。
クラブの存在価値
01年1月14日にはVF甲府の存続を求める会がJR甲府駅南口の信玄公像前広場で総決起。サポーターもVF会を結成した。同19日には川淵三郎Jリーグチェアマンが主要株主を精力的にまわり「単年度黒字になるようJリーグも指導していくので、引き続き支援を」と要請。NPO法人県ボランティア協会は「支援にばかり目が向きがちだが、ピンチはチャンス」と逆転の発想で、VF甲府が試合運営で培ったノウハウを活用してスポーツボランティアコーディネーター養成講座を開講、チームに付加価値を持たせた。修了生はVF甲府のゲーム運営ボランティアスタッフの核ともなった。
2万7000人の存続を求める署名が集まったこともあって、主要株主は開幕が迫った01年の存続は認めた。筆頭株主の山日YBSグループは人材派遣と当面の資金手当てを、県はスタジアム使用料の減免措置(約1000万円)を検討。01年は2億円規模の運営費を設定し①平均観客数3千人以上、②クラブサポーター会員5千人以上、③広告料収入等5000万円程度―というこれまでの実績のほぼ2倍に当たる「3・5・5」目標のハードル(条件)を設定し、9月までの実績で判断するとした。
VF山梨SC新社長に元山梨日日新聞社編集局長でアドブレーン社常務の海野一幸、新常務に山梨日日新聞社広告局次長(当時)の輿水順雄両氏を出向させ新体制づくりに入った。存続を求める会が窓口となった「千円」募金では推定約1万800人から1080万円が集まり、新体制発足に勇気を与えた。
ホームタウンの核である甲府市、韮崎市は初めて「燃えろ! ヴァンフォーレ甲府」などと書いたのぼり旗を作製、支援機運を盛り上げた。収入の少ない選手のためパンやめん類を選手寮へ差し入れする業者がある一方、焼肉店、フランス料理店などが激励食事会を催した。選手ユニホームは無償でクリーニングされ、ビル清掃会社はホームゲーム時のスタジアムのごみ処理を無料で行った。ゲームや練習後の選手の疲労回復にと温泉施設を無料開放したスパランドもあった。協賛企業・団体は220社に上り、「スポンサー、法人会員だけでなく、さまざまな物品提供が大きな経費節減につながった」(海野社長)。
経営委で情報公開
同時に主要株主4者による経営委員会を設け経営状況をガラス張りにした。2月下旬に県庁で開かれた第1回経営委では、旧経営陣のもとでの累積赤字が4億5000万円に上る一方、ユニホームスポンサーに「はくばく(胸、今季からの新規)」「インデックス(背中、継続)」「山日YBSグループ(袖、新規)」が決定し、初めて三つそろったことも報告された。第2回(4月)では3条件のうち広告料5000万円はクリアしたが、ホーム3戦で平均2600人台と観客動員が伸び悩むことに注文も。5月には会員5千人を突破、第3回(6月)、第4回(8月)では単年度黒字の見通しが示された。第5回(9月)では存続した場合の仮構想をクラブ側が示し、サポーター主要3団体の代表も基盤強化を強く求めた。
観客数アップに苦心
観客数は天候にも大きく左右される。VF甲府のホーム小瀬陸上競技場では試合の度、後半30分ごろ発表される観客数にスタンドから大きな拍手やため息が起きた。存続を求める会がアウェーにキャラバン隊を派遣し、相手サポーターに「あなたが小瀬で自分のチームを応援することがVF甲府の存続につながる」などとするチラシを配り、それにこたえた相手サポーターによって観客数が大きく伸びたことも。「とにかく一度ゲームを見てほしい」と支援組織がチケット代を負担し、無料招待企画も行った。結果、存続判断対象となった9月最後の試合を1試合残して平均3千人をクリア。11月の最終戦にはシーズン最多の5541人が足を運び、最終的には3130人。98年の1044人、99年の1469人、2000年の1850人と比べ大きく伸び、12チーム中10位の数。ともに存続問題の苦しみを味わった横浜FCサポーターとはサッカー、フットサルなどを通じた交流も深まっている。
経営再建への指標
主要株主は02年度の努力目標として①平均観客動員3200人以上(01年度実績3130人)、②クラブサポーター会員6000人以上(同5588人)、③広告料収入等6500万円(同5600万円)-を設定。「毎年、数字に追いまくられるのか」という一部の声もあるが、あくまで目安で、存続条件とは異なる。単年度黒字が存続の最低条件である以上、むしろ明確な目標設定が経営再建への賢明な方法だろう。
01年度の場合、J2の12チームの営業費用平均は7億9600万円(VF甲府2億2400万円)で最多は19億円規模。選手、監督、コーチの人件費平均は3億8900万円(同8000万円)で順位は一部を除きほぼ費用に比例した。01年リーグ終盤、VF甲府とともに下位に甘んじたサガン鳥栖と水戸の経営危機が表面化。VF甲府サポーターも存続署名に協力した。累積赤字は両チームともVF甲府に比べれば少ないが、一時はリーグ撤退も危ぶまれた。
大企業の後ろ盾を持たず、市民が支えるVF甲府(自治体職員も選手として活躍している)は「最もJリーグの理念に近いチームの一つ」といわれる。02年は人件費を3000万円増額して中位浮上を期す。ある意味ではJ1よりタフなJ2で、その道のりが厳しいことはこの3年間の経験で明らか。危機感をバネに芽吹いたチーム支援の輪がさらに大きなうねりとなって地域に根付いていくか。Jリーグ百年構想同様、拙速は禁物なのかもしれない。
(2002年2月15日発行、公職研・月刊「地方自治職員研修『特集W杯2002と自治体』所収 公職研編集部の許可を得て掲載、肩書などはすべて当時)
3.大きく成長したこの20年
VF甲府がJ2入り以降、営業収入が最も少なかったのは2000年の1億8260万円。経営再建がスタートした01年に2億5174万円、02年に3億円台、03年に4億円台、04年に5億円台、05年に6億円台と順調に伸び、初めてJ1に昇格した06年は倍増の13億4320万円、J1残留の翌年は16億5519万円にジャンプアップした。以来、J2で戦った6シーズンも含めて10億円台を堅持。J1で8季目となった17年は過去最高の営業収入17億2720万円を記録した。
過去10年の営業収入をみるとJ1では14億~17億円台を推移し、J2では10億~15億円台を推移していることから、J1の舞台に戦いの場を移すことが、Jリーグ配分金の増配を含め、営業収入増につながりやすいと言える。
過去に存続条件にも位置付けられた収入の大きな柱として①入場料、②広告料、③クラブサポーター会員(会費)-の3項目がある。これは今も収入の柱として変わらない。
入場料収入は、J1かJ2かで大きく違うが、観客数にほぼ比例する。山梨中銀スタジアムでのJ1ホームゲーム(8季)の1試合平均観客数は1万833人~1万3734人と1万人台をキープしていた一方、J2の18年は7384人、19年は8273人と1万人を割り込み、ホーム観客動員はJ1とJ2のシーズンでは1試合平均で最大6350人も違う。J1のホームゲームではVF甲府のサポーターの増加とともに、対戦相手チームのサポーターが大挙して山梨中銀スタジアムを訪れる効果が表れた。県外から多くの人が山梨に足を運べば、地域への経済波及効果はより大きくなる。
広告料収入は、VF甲府がJ1で戦った8季は年間5億7154万円~7億7838万円だったが、過去最高額は意外にも昨季J2での7億9961万円。J1昇格プレーオフに進出するなど一定の盛り上がりを見せたことや、幅広いスポンサー企業が協力してくれたことが大きい。クラブの営業スタッフらが、うちわ広告企画などあらゆる企画提案をしながら広告料収入を増やすために奔走した営業努力も見て取れる。
クラブサポーター会費収入は、J1時代は2億1000万円台~2億5000万円台で推移。J2時代は最高でも2億1000万円未満と、J2ではなかなか増えにくいのが実情である。
VF甲府のクラブサポーター会員は、J2初年の1999年が2818口、2000年が2698口と低迷したものの、存続条件の一つとなった2001年に5588口となって以降は一度も5000口を割り込んだことはない。J1に初めて昇格した2006年には過去最多の9950口に達し、以降は7000~9000口台で推移している。3年ぶりJ1復帰を目指した昨季は最近10年では最低の7031口にとどまり、金額でも9年ぶりに2億円を割り込んだことが赤字に直結してしまったという見方もできる。スポンサー企業の広告効果を高める意味でも、観客数の増加と、クラブサポーター会員の増加は大切なポイントだ。
VF山梨SCは今季、クラブサポーター制度の見直しに着手。これまでクラブサポーター会員証が年間観戦パスポートも兼ねていたが、旧来の会員制度を廃止し、公式ファンクラブ「Vent Club(ヴァンクラブ)」を立ち上げ、年間を通じてホームゲームを観戦できるシーズンシートと別の制度とした。
「Vent Club」はゴールド会員、ふるさと応援会員、レギュラー会員、ジュニア会員の4コースがあり、「地元山梨をチームを通して応援できる会員グレード」であるふるさと応援会員は年会費が2(ふ)万6310(るさと)円で、山梨のフルーツ特産品、クラブスポンサー提供の商品カタログからギフト、特製リュックまたは特製Tシャツ、ホームゲーム自由席招待券などのプレゼント特典を付けた。クラブ会員に山梨の農産物やスポンサー提供商品など特産品を贈ることで、地域活性化にもつなげる狙いだ。
年間観戦権を意味するクラブサポーターシーズンシートは、例えばバックスタンド自由席大人が3万1000円。クラブ会員と同時入会すれば1000円割引とはなるが、これまでのサポーター会員に比べ特典は大幅に増えるものの、いかに割高感を払しょくするかクラブ側の腕の見せ所だろう。
今季はシーズンシート6000席、「Vent Club」6000口を目標にしており、5月末現在でそれぞれ5134席、5217口とまだ目標の9割には届いていない。しかも無観客試合や観客数制限試合が数試合生じてしまうことで、払い戻しを希望するファンがどれくらいになるのかなど不確定要素が残っている。
4.今後のクラブ総合力を占うシーズンに
Jリーグが2009年8月に発表した「Jクラブの存在が地域にもたらす効果」調査報告書によると、VF甲府の経済効果は約17億円で、「特筆すべき効果」としてホームゲームが常時1万人以上の観客を集めるイベントになっていることや、地域のイベントやボランティアに選手が参加しているコミュニティー活動を挙げた。「幅広い活動はJリーグでも屈指で、地域の一体感やスポーツ文化、青少年の育成への効果は大きい」(09年8月4日山梨日日新聞)と評価した。
また、Jリーグスタジアム観戦者調査によると、VF甲府サポーターが観戦の動機として「クラブが地域貢献しているから」を理由に挙げた割合はJ1・J2全チームの中で06~10年の5年連続でトップとなり、それ以外の年も常に上位に位置しており、ファン・サポーターからもクラブの地域貢献の姿勢が評価されていることが分かる。
VF山梨SCによると、今季当初予算は営業収入を昨季(14億5491万円)に近い13億6980万円、経常収益として1000万円前後の単年度黒字をそれぞれ見込んでいたが、今後、再びリーグ戦が中断するなどの場合には、クラブは最悪のシナリオとして営業収入10億円割れをも覚悟しなければならないとしている。経費を最大限切り詰めたとしても、シーズン途中での修正は難しく、この20年間で穴埋めしてきた約3億5000万円分の累積赤字が一気に元に戻ってしまう恐れさえある。
クラブの地域への浸透度、貢献度は20年前とは比較にならない。クラブ運営費も当時の7倍くらいに膨らみ、簡単に縮小できない。クラブの経営面での苦境が予想される今季こそ、県民一人一人が20年前のクラブの姿を思い起こし、地域のため、クラブのために何ができるかを考えるシーズンにしたい。
クラブによると、「コロナの問題で本業の業績が芳しくなく、協賛額を予定通り出せるか非常に厳しい」という企業もごく一部あるという。その一方で、「コロナでみんな大変な年だからこそ、うちも苦しいけれど協力をさせてもらう」と話してくれた経営者もいるという。ホーム開幕戦で並んだピッチ看板や、バックスタンドに隙間なく掲げられたスポンサー企業の横断幕には、VF甲府を応援しようという企業の熱い思いが感じられた。
今季のJ2チームは、どこも厳しい条件の中をやりくりしながら、それぞれの目標に向かって、ファン・サポーターやスポンサーらの思いを背負って戦っていくだろう。VF甲府の今季スローガンは「アグレッシブ」。存続の危機を脱し、山梨と共に成長してきたVF甲府だからこそ今季J2を沸かす熱い戦いをしてくれると期待したい。地域に感動と、幸福感をもたらすプレーを見せてほしい。
[1] 月刊「地方自治職員研修」公職研発行。2002年2月号は「ワールドカップを活かして自治体・地域を変える方法」として「W杯2002と自治体」特集を組んだ。当時の編集担当者の友岡一郎氏は現在、公職研編集部編集長。FC東京サポーターとして山梨中銀スタジアムに2度ほど足を運んだことがあるという。「地方自治職員研修」は2020年3月号で休刊。