「当たり前」のある夏にむかって


毎日新聞No.569 【令和2年7月26日発行】

 「新しい朝が来た♪」と聞けば、「ラジオ体操」を思い浮かべる方も多いのではないだろうか。かんぽ生命によると、ラジオ体操は90年余りの歴史を持ち、かんぽ生命の起源である逓信省簡易保険局が1928年に「国民保健体操」として制定、日本放送協会のラジオ放送で普及してきたという。
 夏休みの早朝、小中学生が広場でラジオ体操を行う姿は夏の風物詩の一つといえる。自分の幼少期を振り返ると、眠い目をこすりながらも、朝のさわやかな時間に活動する特別感を感じていた記憶がある。

 今年の県内公立小中学校の夏休みは昨年より13日程度短いそうだ。例年にない夏休みの短さと、まだ手探り感のある「新しい生活様式」の中で、当たり前にやってきた恒例の行事でさえ実施に悩むこともあるだろう。例えば私事だが、地域の育成会長として、夏休みラジオ体操の実施可否について、つい最近まで非常に悩んでいた。いろいろ調べたが、一律の方針はなく、各団体が決めるほかないという状況であった。そこで、区長や役員に相談した結果、参加の強制はせず、3密を回避する方法でいつもよりほんの少し期間を短くして実施することに決めた。子どもたちにとっても、何かと制約の多かったここ数カ月を思い返し、状況の許す限り、「当たり前の夏らしい経験」をさせてあげたいという関係者の気持ちからである。
 一方で、実施可否の判断に正解があるわけではなく、実際のところ、他の団体の様子も気になるところである。それでも、ラジオ体操に限らず、地域の当たり前の行事について、実施可否の判断を迫られる機会が年度末から増えたことにより、「自分たちが判断する」という感覚が生まれてきたようにも感じている。誤解を恐れずにいえば、それは思考停止でやってきた「当たり前」の行事の意味を、改めて問い直しているのかもしれない。今後も、私たちはどのような状況にいるのか、選択肢は何か、その中で大事にしたいことは何か、といったことを関係者と一緒に考え決めていく機会は増えていくだろう。

 来年は、たくさんの「当たり前」に囲まれた夏を過ごしていたいものだが、今回の経験を通じて、きっと、「当たり前」のありがたさや尊さもかみしめているに違いない。

(山梨総合研究所 主任研究員 山本直子