誰がために宿題は出る


毎日新聞No.572 【令和2年9月6日発行】

 我が家では、この4月から小学生になった長男が、初めての夏休みを経験した。コロナ対策のため入学式から異例ずくめの1学期であったが、初めての夏休みをどのように感じたであろうか。
 短い夏休みの中、「宿題の量が多く大変だなぁ」と感じたのは、長男よりも筆者だろう。なぜなら、親が子に出された大量の宿題をちゃんとチェックする必要があるからである。積極的に宿題に取り組まない我が子の宿題をみることはなかなか骨が折れる業務である。
 しかし、それ以上に大変なのは教員だろう。宿題の作成や確認などに大きな労力がかかっていることは想像に難くない。近年、さまざまな社会的背景を持った家庭への対応、英語やプログラミングなどの新しい授業科目への対応、さらにはコロナ対策など、教員の多忙化に拍車がかかる中、頭が下がる思いである。

 先日、ある計画の策定を支援している自治体との打ち合わせで、自治体内の子どもへの意識啓発の役割を学校に担ってもらえないかと提案してハッとしたが、教員の多忙化が問題となる中、さらに学校や教員への負担を増やそうとしていた。子どもを対象とした取り組みを行うのに学校ほど便利な機関はなく、教員への期待は大きくなる一方となっている。
 これに加えて、教員は児童のためなら苦労をいとわず頑張ってしまうということも多忙化の一つの要因となっているだろう。宿題についてもそうであるが、教員が児童を思う「気持ち」に親が負けてはならない。
 夏休みの宿題には、算数の足し算や引き算、国語のひらがなの練習などの反復問題だけでなく、親子読書による感想文や、夏休みの思い出を綴る絵日記など、親子で一緒に楽しめるものもあった。学校から出される宿題は、子どもの学力向上だけではなく、親子の絆を深める役割も果たしている。

 児童への教育を考えるうえで、家庭教育はすべての教育の出発点であり、人格形成の基礎を培うものであるということを忘れてはならない。学校からの宿題が、親子のコミュニケーションの一つの種となり、さらには、家庭における教育力の向上につながることを期待したい。

(山梨総合研究所 主任研究員 伊藤賢造