Vol.266-2 VUCAの時代の新しい「公(おおやけ)」参加の仕組みについて


公益財団法人 山梨総合研究所
主任研究員 山本 直子

1.はじめに

 今の時代を「VUCA」の時代と表現することがある。

Volatility(激動)」
Uncertainty(不確実性)」
Complexity(複雑性)」
Ambiguity(不透明性)」

 各単語の頭文字をつなげた造語である。この表現はここ数年、よく見聞きするようになったが、各単語をみれば新しい時代の幕開けというほどではなく、しばらく前から私たちはVUCAの時代を生きているように感じる。その意味では、新しい表現を必要とするほど、より一層社会の不確実性や混沌の色合いが濃くなってきたのかもしれない。
 さて、VUCAの時代に生きる私たちは、社会の変化の速さに戸惑うだけでなく、東日本大震災やコロナ禍により、よりどころとしていた「当たり前」の環境や考え方があっけなく崩れることを経験した。また、一方ではSNS(会員制交流サイト)疲れに表現されるように、他人の評価に一喜一憂する生き方に疲れが見え始めているようにも感じる。このように、未来がよくなるという期待を持ちづらく、むしろ先行き不透明ともいえる環境にあっては、だれかがどうにかしてくれるという「他人ごと」スタンスでいることは、気楽でいられるというプラス面よりも、「不安」という呪縛から逃れにくいというマイナス面がより強くなるのではないだろうか。「他人ごと」「自分ごと」というこの表現自体に目新しさはないが、この2つのスタンスの違いは、言い換えると「自立度」の違いとも表現でき、また両者の違いは、結果として「幸福感」や「充実感」に非常に大きな影響をもたらすように感じる。
 そこで、今回は社会とのかかわり、特に身近な施策を考える行政との関わり方を「自分ごと」の観点から考察し、VUCAの時代の新しい「公(おおやけ)」参加の仕組みについて言及していきたい。

 

2.社会の現在地(現状認識)

 情報通信ネットワークの発達やIoT(ものづくりのインターネット)、AI(人工知能)、ビッグデータの広がり等により第4次産業革命とも呼ばれる大きなイノベーションが生まれている[1]。この大きなイノベーションによって、例えばインターネットの普及前後[2]では、個人が保有する情報量も情報伝達スピードも桁違いの社会になった。令和元年度情報通信白書によると、SNSを中心とするさまざまなサービスの出現により、情報の送り手と受け手は流動化され、インターネット利用者の誰もが情報の発信者になり得る時代になったとされている。

出典:令和元年版 情報通信白書

 また、多くのメディアに取り上げられ、瞬く間に150万ダウンロードを記録し、賛否両論を巻き起こした経済産業省次官・若手プロジェクトのレポート[3]の冒頭では、次のように現状認識が記載されている。

 かつて、人生には目指すべきモデルがあり、自然と人生設計ができていた。今は、何をやったら「合格」「100点」か分からない中で、人生100年、自分の生き方を自分で決断しなければならない。世の中は昔より豊かになり、日々の危険やリスクは減っているはずだが、個人の不安・不満をこのまま放置すると、社会が不安定化しかねない。我々は、再び「権威」や「型」に頼って不安・不満を解消するのではなく、「自由の中にも秩序があり、個人が安心して挑戦できる新たな社会システム」 を創るための努力をはじめなければならないのではないか。

 

出典:経済産業省次官・若手プロジェクト「不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」

 レポートには3つの提言[4]が示されているが、ここではその一つ、「『公』の課題を全て官が担うのではなく、意欲と能力ある個人が担い手に」を取り上げたい。いつからか、「公は官が担うもの」という思い込みにより、「住民は税金の対価として官からサービスを受けるもの(お客様)」 「民間に任せるかどうかは官が判断するもの(民営化、規制緩和)」となった結果、官業が肥大し財政負担が増え続けるとともに、「公」についての個人や地域の多様なニーズに応えられなくなっていると問題提起をしている。また、本来、「公」の課題こそ、多くの個人がやりがいを感じられる仕事であり、潜在的な担い手が大勢いることから、新しいネットワーク技術を活用し、多様な個人が「公」に参画してはどうかと提案している。
 上記の問題提起に賛同するとともに、「多様なニーズ」について、補足的に「住民像の変化」にも言及しておきたい。右肩上がりの経済成長を背景に、「ある程度画一的な」家族像・高齢者像等の住民像を描くことができた状況はすでにない。画一的な住民像が描けた時代は、「描く住民像」を意識した施策を行政主導で決定・実施するやり方でも、「ある程度の納得感」が住民にも得られていたかもしれない。そして、あくまで想像だが、このやり方が「お任せ民主主義」とも揶揄される風潮を助長してきた可能性もある。
 しかしながら、住民像が多様化し、行政主導の決定・実行では住民の納得感が得にくくなっている今、住民の「公」への参加は必要不可欠と言える。一方で、今後も「公」にかかわる行政の割合は当然に高く、行政の立場として、公平性や平等性の確保は譲れないところである。このことから言えるのは、かつてに比べて発信力を持った住民の「公」参加の機会が増えた時に、両者の主張が、場合によっては「ぶつかりあう」ことがあるということである。例えば、行政の立場では限りある財源を前提に、優先順位が低く、事業の実施ができないという判断をする一方、さまざまなニーズの中で、その事業を必要とする住民がいる場合がある。このことからいえるのは、行政の一方的な判断による決定ではなく、回り道のようでも関係者それぞれの主張を建設的に議論する「ぶつかりあい」を当然のこととして、どのようなことを重視しながら、決定・実行していけば多くの方の納得感が得られやすいか、を考えることが重要であるということである。

 

3.「公」とはなにか

 では、「公」とは何であろうか。
 行政と住民の関係を考えるにあたり、行政が担う分野である「公」とは何かを理解する必要がある。
 元内閣府行政刷新会議事務局参事官であり、一般社団法人構想日本総括ディレクターの伊藤伸氏によると、「公=社会一般、公共」を言い換えると「不特定多数」ということであり、さらに言えば、「誰にでも開かれている状態」と表現している。また、行政の事業は、税金を使って行うため、公益性は低いよりは高いほうがよく、すべてではないが、事業実施の重要な判断基準としなければいけない一方、公益性が高い事業(みんなのためになること)は、すべて行政がやることなのかという問題提起をした上で、公共分野の考え方を以下の概念図で説明している。

出典:一般社団法人構想日本 伊藤氏作成

               

  「公」はpublic。公の対義語は「私」=private。「官」はgovernment。「民」は、ここでは大衆、公衆の意味だが、それらは「public (general public)」と訳され、つまり、「公」と「民」は同じ意味ということである。このことは、「みんなのことは行政だけが担うものではなく」、そもそも「みんなのことは自分たちのことそのもの」であり、自分たちのことの中にできないことを、行政という存在を民が作って、自分たちの代わりにさせているという仕組みであるという。
 上記概念図については、官民の関係は完全に割り切れるのではなく、官民協働や官民連携(PPP/PFIなど)がまじりあう部分もあるように思うが、「公=みんなのこと」という意識が欠けているという指摘を踏まえ、今後の大きな方向性として、それぞれが社会のことを「自分ごと」として考えることが重要であると考える。
 ただし、そのような方向性への異論は少なく、問題はどのような仕組みがあれば、実際に私たち一人ひとりが「公」のことを「自分ごと」として考えられるようになるのか、ということである。つまり、「自分ごと」として関わることのできる、「公」参加の具体的な仕組みを考えることが重要といえる。

  

4.これまでの住民参加の限界

 一般財団法人 地方自治研究機構[5] の「市区町村における住民参加方策に関する調査研究報告書」(平成26年3月)によると、住民参加方策の制度化及び実施実績は以下のとおりであり、さまざまな方策があることが分かる。

 また、追跡調査の結果、多くの地方自治体で、審議会委員等の住民公募、パブリックコメント、住民討論会、ワークショップなどが日常的に行われ、住民参加手法として定着したものの、関わる住民の減少・固定化・属性の偏りや、意見数が少なく、また意見が取り入れられないなどの限界があることが明らかになった。
 さらに、従来の方法は意見を述べる機会があるとはいえ、建設的な議論をする機会とまでは言えず、一方通行の発言になる傾向から「他人ごと」の域を超えることが構造的に難しく、具体的アクションを担うまでには至らないという限界があるのではないだろうか。

出典:一般財団法人 地方自治研究機構「市区町村における住民参加方策に関する調査研究報告書」

  

5.「公」参加の新しい仕組みの紹介

 上記の「限界」を乗り越えるための一つの事例として、前述した伊藤氏が属する一般社団法人構想日本が実施している「自分ごと化会議」を紹介したい。自分ごと化会議は、2009年に開始して以降、これまで71自治体で145回開催され、参加した住民の総数は1万人に及ぶ実績をもっているようである。

 

・自分ごと化会議とは

 構想日本HPに次のように掲載されている。

出典:構想日本HP

 

 自分ごと化会議には、事業仕分けと住民協議会という2つのタイプがあるが、ここでは住民協議会を紹介する。

 ・目的

 子育て・介護・防災など、身近な問題、地域の未来などを政治や行政任せにせずに、住民自らが「自分ごと」として考え、意見を出し合うことを目的として、構想日本が始めた仕組みであり、自治体の依頼に基づき、構想日本が実施している。

・特徴

 最大の特徴は、参加する委員の選び方が「無作為抽出(=抽選)」という点である。住民基本台帳からランダムに抽出して案内を送り、応募のあった人に委員になってもらう。ポイントは、行政が用意したシナリオの中で議論するのではなく、「住民の日常生活」を出発点として議論することである。さらに、「行政対住民」ではなく「住民同士」の議論になることも特徴の一つである。行政が住民の意見を聴くために開催する会議は、行政の説明に住民がさまざまな指摘をし、行政側は「検討する」などの表現を使いながら現状維持をする場合が多く、結果として住民側が反発する、といった対立構図になりがちだが、第三者が客観的に論点の整理をすることで不要な感情的対立が防げる仕組みになっている。

・参加者

 深い議論をするために一班あたり20人程度を上限とし、同じテーマで複数班がそれぞれ議論する。無作為に選ばれた住民のほかは、行政担当者とコーディネーター[6]、スポットで参加してもらうナビゲーター[7]しかおらず、従来の会議によくある学識経験者や公募委員などはいない。

・会議の進め方

 コーディネーターが議論の進行役になり、不要な感情的対立を避けて話しやすい雰囲気をつくり、論点提示や整理を行っている。議論の方向性としては、行政への要望や批判ではなく、まずは自分たちにできることを考えるように進行し、「何をすべきか」ではなく、「自分たちはどうありたいのか、どうしたいのか」を議論することで、具体的な行動の変化につなげることを大事にしている。

・効果

 従来の公募や行政が指名する方法では参加しなかった政治・行政と縁の少ない人や参加を躊躇していた人などの幅広い参加が期待できる。これまで政治・行政に関わるきっかけがなく「他人ごと」になっていた住民の多くは、一度参加すると自分の町の事情や行政が行っていること、さらには社会全体のことに関心を持ち、自ら何かをしようとするようになる(自分ごと化)ことが多いという成果が得られている。

 

・自分ごと化会議の可能性

 多様な住民が社会のことを「自分ごと」として考え、発言し、具体的なアクションを担うためには、住民と行政、住民と住民が建設的な議論をする機会が必要である。しかしながら、その時に問題となるのが多様な住民や行政の間に共通言語がないということである。そこで、両者をつなぐ橋渡しとしてのファシリテーター(進行役)の役割が重要になる。ただし、ファシリテーターはゴールを示すのではない。参加者みんなで混沌とした中から進むべき道を探す、そのプロセスを共有することではじめて、地域課題を「自分ごと」として考えることができるようになる。「自分ごと化会議」は、こうしたプロセスの一つの例を示している。山梨県ではまだなじみが少ないようだが、新しい「公」参加の仕組みのヒントになるのではないだろうか。
 なお、今後、住民の「公」参加は特別なことではなくなるため、従来のような計画策定時はもちろん、課題が生じたときに臨機応変に実施する柔軟性が、多様なニーズへの対応として望まれるだろう。
 以上より、先行き不透明な時代にそれぞれの納得感を得るには、建設的な「ぶつかりあい」のプロセスが非常に重要であり、そのためには、行政にも、そして住民にも、状況・過程を明らかにしながら、「自分たちの地域はどうありたいか」「そのために何ができるか」という前向きな議論を怖がらない風土・文化が必要であると考える。

 

 6.類似の仕組み

 前述の自分ごと化会議は、無作為抽出による住民参加という点で、裁判員裁判に似ていると捉えることができる。裁判員裁判は導入後10年が経過し、一定の評価報告がなされているので最後に紹介したい。裁判員裁判は司法に国民の視点を生かすことを期待され2009年に導入された。最高裁判所事務総局報告書[8]によると、参加者は当初好意的ではなくても関わっていくプロセスにより、評価が高まることが伺える。つまり、偶然ともいえる「きっかけ」からの参加であっても、関わることにより、より主体的に、より「自分ごと」として考える機会になることが示唆されている。
 同様に、自分ごと化会議についても、偶然の「きっかけ」から「公」のことを考えることにより、地域や社会のことを「自分ごと」として捉えることが可能になり、さらに、継続実施で関わる住民が増えることによって、住民の意識変革に一定程度影響を及ぼす可能性も十分にありうる。 

出典:裁判員裁判10年の成果と課題を総括した総括報告書

 

 7.おわりに

 社会のあり方やさまざまなシステムは時代とともに変化してきている。ただ、環境変化に向き合うことは必要なことだが、そのような受動的な態度ではなく、もっと能動的な捉え方はできないだろうか。
 今回見てきた社会のことを「自分ごと」として考え、行動することに関して言えば、「自分ごと」化は必ずしも負担ばかりとは言えない。「自分が想うこと」を素直に発信し、行動することは、例えば、自分の求めていることを実現する近道といえないだろうか。
 一方で、社会の構成員であることから、当然、他の方の想いを大事にすることも大切であり、そこで、お互いの想いや考えを共有し合う「場」が必要かつ重要になる。行政と住民の関わりで言えば、住民は要求や行政批判ばかりではなく、「自分ごと」として社会のことを考える姿勢、行政もそのような住民を信用して、任せたり、協働したりする姿勢を生み出す「場」が必要である。
 「気づかい」という日本の素敵な文化を大切にしつつ、素直に想ったことを出し合い、他人のことも同様に尊重し、納得し合える着地点を模索する世の中はもっと素敵だと思う。そのような文化・風土づくりのために、今後も「公」参加の仕組みについて研究を続けていきたい。


[1] 平成30年度 年次経済財政報告。また同報告にはこれまでの産業革命の経緯が以下のとおり記載されている。「第4次産業革命は、18世紀末以降の水力や蒸気機関による工場の機械化である第1次産業革命、20世紀初頭の分業に基づく電力を用いた大量生産である第2次産業革命、1970年代初頭からの電子工学や情報技術を用いた一層のオートメーション化である第3次産業革命に続くものとされている。」

[2] 1980年代半ば頃からのパソコン通信やJUNETを中心としたインターネットにおいては、限られた人々が参加するある意味クローズドなコミュニケーション空間であった。Windows95の登場や、固定/移動通信回線の高速・大容量化、優れたUI/UXの登場により、インターネットが広く一般に普及したことで、オンライン上のコミュニケーション空間は限りなくオープンとなり、やりとりされる内容も単なる「情報」から「コミュニケーション」へと変化してきた。(令和元年版 情報通信白書)

[3] 国内外の社会構造の変化を把握するとともに、中長期的な政策の軸となる考え方を検討し、世の中に広く問いかけることを目指す次官・若手プロジェクトプロジェクトから平成29年5月に発信されたレポート「不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」。https://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf

[4] その他の提言は以下の2つである。
「一律に年齢で『高齢者=弱者』とみなす社会保障をやめ、働ける限り貢献する社会へ」
「子どもや教育への投資を財政における最優先課題に」

[5] 地方自治の充実発展に寄与するとともに、活力ある地域社会の実現に資することを目的に事業を実施している。(機構HP)

[6] 様々な地域の現場や制度の現状・課題を熟知している構想日本が選定

[7] 論点を提示する役割として参加してもらう外部の専門家

[8] 裁判員裁判10年の成果と課題を総括した総括報告書(令和元年5月)