「著しさ」の感じ方


毎日新聞No.574 【令和2年10月4日発行】

 新型コロナウイルスの感染拡大がとまらない。「昨日、新たに感染が確認されたのは、東京都は〇〇人、大阪府は△△人でした。」毎日、耳にしていると、当初の戸惑いが薄れてきていることに気づかされる。慣れというのは本当に恐ろしい。すでに、世界中で3千万人超が感染し、死者数も百万人に近づきつつあり、山梨県の人口をはるかに超えている。

 感染者数は事実を客観的に表したもので「データ」と呼ばれる。カタカナで表記するのは「データ」に対応する概念が日本語にないからである。言霊思想の影響もあり、日本では事実を客観的に表す習慣がないともいわれている。
 データが事実を客観的に表しているといっても、それをどのように受け止めるかは人によってさまざまである。そのため、ある人は、大変だと思い、他の人は大したことではないという問題の認識に違いが生じる。場合によって、この違いが問題解決を難しくしてしまうことにつながる。
 タグチメソッドで有名な田口玄一博士は、著書の中で次のようなデータを示している。都市Aでは、交通事故が3件から6件に、都市Bでは、30件が33件に、都市Cでは、30件が60件になった。この場合、増加の著しい順は、都市C、都市A、都市Bの順で、これと異なる回答をした人に出会ったことはないと述べておられる。増加の著しさは、単なる差でもなく倍率でもない。詳しい理論は割愛するが、差を和の平方根で割った値が著しさを表しているとして、都市ABCの順に、それぞれ1.00.3…、3.1…を与えている。難しい理屈を知らなくても、人々は直感的に正しい評価をしていることに驚かされる。

 交通事故は、極めて稀に、しかも互いに独立に発生すると考えられる。しかし、新型コロナウイルスの感染は、独立とは考えられない。したがって、感染拡大の著しさを同じように考えることには無理がある。それでも、ビッグデータの時代である。「天にデータあり、人をして語らしむ」と胸に刻み、虚心坦懐にデータに接し、それが何を物語っているかを理解しようと努める態度を大切にしていきたい。

(山梨総合研究所 理事長 新藤久和