Vol.268-1 山梨・身延を世界に開く~身延山宿坊「覚林坊」の取り組み


身延山宿坊「覚林坊」大黒(女将)
株式会社鶴林精舎 代表取締役 樋口 純子

 

.はじめに

 今年は激動の年でした。
 私どもばかりでなく世界的に、歴史的に人類の生き方・働き方・考え方の変革を来した年だったでしょう。
 こうした中、私は800年の歴史を背負う身延山の中に生かされ、最も打撃を受けたといわれる観光業に属し、このコロナの荒波に打ちのめされながらも、もがき、トライ&エラーを繰り返し、一日一日、必死に舵を取り続けている最中です。
 私は身延に嫁いで今年でちょうど30年になり、生まれ育った東京の生活より、山梨の暮らしの方が長くなりました。この山梨暮らしの30年で、ここまで閑散とした身延を見たのは初めてでしたが、すでに近年は先行きが不安になるほど、町の活気が失われており、団体客も個人客も減少の一途をたどっていました。
 さらに門前町は少子高齢化、人口減少、空き家、後継者不足。そんな中、寺院崩壊、寺院消滅などという本がベストセラーになる昨今、日本三大総本山、富士山、しだれ桜100選、関東随一の宿坊群という地域資源を持ちながら、私たちがこれからどうやって次世代にこれらを伝え、また観光地としても、国内外からのお客さまにどう感動を与え続けることができるのか、今ここにいる私たちの大きな課題だと感じています。

  

.世界中のガイドマップに載る日を夢見て

 ご挨拶が遅れましたが、私は、身延山内に30軒ある宿坊の中の1カ寺の「覚林坊」という、550年前に開山された、「目」と「学業」の神様をお祀りしたお寺の大黒(住職の妻)樋口純子と申します。

 

 私は30年前に美術系大学を卒業するとともに身延に嫁ぎ、以来、宿坊運営、沙弥(しゃみ=修行僧)達の世話、寺庭夫人としての学習・業務に追われながら、3人の子供を育て、泣き笑い、楽なことはほとんどありませんでしたが、あっという間に30年が経ち、この身延に生かされております。今年はコロナ禍の中、息子たちが家業継承のために帰ってきましたが、気がつけばそんな年になっていました。でも、この時代に帰ってくるという判断をしてくれたことには、母親としてはとても複雑な心境ですが、感謝しています。


 そして50歳を過ぎた私ですが、7年くらい前から夢に向かって仕事をするようになりました。嫁いでから今まで「どうして宿泊業? 飲食業? 接客業?」と疑問を持ち、地域になじめず、色々色々、内面の葛藤はありましたが、なぜか今は地域のことやそのサービス業の発展ばかりを夢見るようになりました。
 そんな私の最終の目標は「身延が世界中のガイドブックに必ず載っている町になる」、そして「誰もが知っていて、一度は行ってみたいと言われる町になる」ことです。
 「みのぶに行ってきたよ」と聞くと「いいなー、私も行きたかったー」と言われるような町になる、こんなことを7年くらい前から思い始め、少しずつ自分の中で改革を試み、そのために今、一日一日を一生懸命積み重ねています。

 ただそれは、この古き寺町で容易でないことは、今までの経験で承知しています。
 古い寺町は封建的思想、男尊女卑の思想がまだまだ根深く残り、田舎特有の新しいものへの偏見と、30年たってもよそ者に対する警戒心。小さな改革ひとつにしても、とても困難な作業の積み重ねでした。
 いつまで経っても、私は東京から嫁に来たよそ者、若くもないけど、諸先輩方からしたらまだまだ若輩者、未だ完全には理解されませんし、誤解しかされないような立場ですが、明るい未来の身延を夢見て、一歩また一歩進み、後退したり、立ち止まったり、そしてまた歩を進めています。

.「自我寺参(じがじさん)」のビジョン

(1)それぞれのスタイルでお寺参り

 今、私が勝手に考える未来の身延のビジョンは「自我寺参」です。
 自分のわがままに寺町を参る…と書いて、身延を訪れる人それぞれが、それぞれのスタイルで、お寺参りを楽しんでいただきたい…という意味で、カップルがデートでも、バイクのツーリングでも、海外から観光・リトリート休暇でも、ワーケーションとしても、その人その人のスタイルで身延山というコンテンツを楽しんでいただき、未来は皆さんの心のふるさとになってくれたらいいな…と願っているというのが、「自我寺参」の意図するところです。

 

 そのために、今何ができるか、何をすべきかを模索しています。
 自我寺参プロジェクトの中には、さまざまな私の夢や妄想が詰め込まれていますが、30年間この地で、よそ者の目を持ち、この地で暮らしてきた者の目も持っている私の、「これからは、こうだったらいいな」と「昔はこうでよかったな」を基本として、変えるべきもの、変えてはならないものを精査しています。いつかは町全体のボトムアップのために、そして訪れてくれた人たちがハッピーになるために、またゲストを迎える私どももハッピーになるために、そして子供たちが帰りたくなる町に、誇りに思える町に、仕事のある町になってほしいという夢をかなえるために、まずは覚林坊の中で、次のようなさまざまな取り組みにトライし、地域に汎用できる形を模索し続けています。

 

(2)身延らしい山の創作料理に

 地域資源であるゆばを、宿坊のお料理にふんだんに使い、地域をアピールしました。それまで、宿坊の料理は、時代的に、観光地どこでもそうであったように、贅沢志向があり、身延もお膳の上に冷凍の刺身やエビフライなどがのっており、海のない寺町と思えないようなお膳でした。
 お刺身は湯葉に、揚げ物や和え物、甘煮は山のものを中心とした創作料理に変え、地域の特性を表現することに努力しました。
 また、あけぼの大豆で納豆を作り、名物の大豆を一年中楽しんでもらえるよう試み、お客さまに提供し始めました。大豆の収穫期は短く、その時だけしか味わえないのではチャンスが少な過ぎますし、あけぼの大豆の納豆は臭みが少なく、海外のお客さまもほぼ全員食べられる人気の一品となりました。

 

(3)「おてらんち」をスタート

 お寺で食事をとっていただくことで、身延山内での滞在時間を延長していただくことになると思い、「おてらんち」という名でランチをスタートしました。それには目玉になる地域の食材が必要で、あけぼの大豆やゆば、そして鍵になるデザートも欲しいと思い、豆乳のソフトクリームを開発し、そこにはフルーツ王国山梨の余剰フルーツを使った、自家製のコンフィチュールを4種類いつでもお出しできるような仕組みをととのえました。
 それが目玉となって、今ではバスツアーでのお客さまも多くお見えになっています。

あけぼの大豆や湯葉を使った「おてらんち」

 

 そのデザートのコンフィチュールですが、これは15年くらい前に、あることをきっかけに、山梨には余剰フルーツが大量にあり、高齢の農家が畑に埋めて処理していることを私は初めて知り、都会育ちの私には、もったいなくて仕方ない想いがこみ上げ、これをどうにかできないのか? と考え、とにかくまずは自分の所から…と、コンフィチュールを作り始めました。
 私独自の製法で、水を加えず、果汁たっぷり、低糖度の手作りコンフィチュールです。
 お食事の後のデザートの豆乳ソフトクリームにかけていただけるように4種類提供しています。この活動をパーフェクトハーベスト(完全な収穫)という名前を付けて、農家に協力を仰ぎました。さくらんぼから、すもも、もも、ブドウ、ラフランス、リンゴ、キウイ等など。今では、これが食べたいといらしてくださるお客さまも少なくありません。

豆乳ソフトクリームにたっぷりかけて味わえる4種類のコンフィチュール

 

(4)インバウンドにも挑戦

 その当時、東京にあふれかえっていたインバウンドにアタックしようと思いました。東京まで来ていて、身延を通り越して新幹線で京都へ…。でもゲストはもうゴールデンルートには飽きていて、どこかレアなリアルジャパンを求めていることがお客さまへのヒアリングから分かり、スタッフ一同、一生懸命トライしてみました。

 

 身延山は800年の歴史があり日本三大総本山、文化的にも歴史的にも自然も人も、ポテンシャルはある!と私は勝手に信じ切っていましたので、このことを知っていただきたい一心で、コマーシャルいたしました。その結果が次のグラフです。
 宿泊客は5年間で120倍になり、昨年は全体の40%が欧米系の外国人客になり、ワシントンポストやナショナル ジオグラフィック、JNTO(日本政府観光局)などからの取材もいただくことができましたし、多くのインバウンドをお招きしたとして、知事表彰もいただきました。

 

(5)外国人向けに着物体験

 そのインバウンド客への取り組みの一つに、着物体験を無料で提供しました。
 はじめは一枚しかなかった着物を、着てみたいというお客さまに着付けして、写真をお撮りしていましたが、いつも同じ写真ばかりになり、SNS的にも魅力的ではなく戸惑っていた時に、私の取り組みを知った貸衣装会社の女性経営者が、12枚の昔の高価な打ち掛けをご寄付くださったので、廊下に飾り、その中から選んで着ていただけるようになりました。
 そのおかげで、グループでお越しのお客さまにも、同時に着せて差し上げることができたり、複数組が同時に体験できたり、集合写真も撮れたりしますし、ゲストそれぞれが、それぞれの携帯からSNS発信してくださることで、拡散のスピードも増し、お客さまがお客さまを呼んでくださるという、絶大な広告効果を上げてくれました。

 

 (6)桜寺栖(さくらてらす)を建設

 桜寺栖を宿坊の中につくりました。
 これは大雪で壊れたお寺の洗濯場の再活用でした。その頃、お寺に多くのインバウンド客がお見えになっていても、周辺に夜楽しめる施設がないことが懸念材料の一つでした。そこで、テラスを造り、昼は緑と小鳥の声、夜は星空を堪能していただける施設に生まれ変わらせました。お寺の境内の中なので、無料でお休みいただけるようにし、時には音楽イベントや結婚式、バーベキュー、ワールドカップ観戦、お花見、夜はお祭り体験をしていただいたり、バーとして飲みなおしていただいたりと、自由な発想で多くの方にご利用いただける施設に変わりました。
 また宿坊は、本山の朝勤にお出になる早起きのお客さまも多いので、遅くまで飲みたいお客さまと早くお休みになりたいお客さまのエリアを分けるためにも好都合でした。

 

(7)地域のお祭りやコンテンツを体験

 地域のお祭りをお泊りくださった方々に体験していただくことを始めました。お食事の後で、少しお酒が回って皆さん陽気になられた後、お囃子につられて、桜寺栖や中庭に出ていただき、手拍子や、掛け声を促し、一緒に参加していただいています。これは大人も子どもも楽しめて、身延の思い出の1ページにしていただいています。


 このエリアならではの体験コンテンツを、宿泊の際に楽しんでいただけるよう組み立てています。お客さまからのヒアリングを積み重ね、要望の多かったヨガ・茶道体験・写経体験・調理実習・農業体験はスタッフも参加し、地域の先生をつなげ、インターンの学生さんたちにもアイデアや力を借り、地域交流も兼ねた取り組みにしています。

 

 山梨の本物の和…をキーワードに、和を売り込みたい山梨の旅行会社と、山梨の唯一の能楽師と、身延山の宿坊でタッグを組み、山梨の南のエリアの本物の和体験として、年に1度の能のイベントを開催し、地域の食材を堪能していただいておりました。3年続いた活動でしたが、今年はコロナで行事が中止となってしまったのが残念です。
 このような和をコンテンツにしたイベントや、アートはアフターコロナには必ず復活させたいと思っております。

 

(8)大学生が協力

 先ほどもちらほら登場しましたが、県内大学のインターンシップによる、町のリサーチや翻訳による英語マップ作りです。よそ者の若者が町を歩き、地域の方々に声をかけ、リサーチしたり、地域のいいものを探し出したり、若者の感覚で写真を撮ったりは、この古い町の頑固な閉鎖感を解きほぐしてくれました。マップのデザインも若々しく、明るく、いいものができました。
 今では当坊スタッフとの勉強会に発展し、自主的な活動になってきています。

 

 各所で講演をさせていただく機会が増えました。
 元来そういったことは苦手でしたが、地域の良さや、私どもの活動を知っていただき、ファンになっていただくには話すしかない!と、毎回頑張って、勉強の気持ちでトライさせていただいています。

 

(9)沙弥やホームステイの受け入れ

 最後に書いていますが、実は私にとって一番大きな動きです。
 元々身延山の宿坊には、本山で勉強する沙弥を寄宿させ、行学二道の精神で勉強とお寺の仕事を実践するというシステムがあり、若い僧侶の育成をしてまいりました。
 私も身延に嫁いでから、多くの沙弥達と共に暮らし、時には母親のように衣食住の世話を焼いたり、学校からの呼び出しに飛んで行ったり、学校行事に参加したり、こんなことが日常的にありましたが、近年身延山に学ぶ沙弥も少なくなり、身延では若い人が激減…。そんな時に私の所を訪れてくれた移住者や二拠点居住者、ワーキングホリデーにホームステイの人たちを、私が気さくに迎え入れ、受け入れることで、それが仕事の面でもアイデアや効率の面でも好作用し、働くムードまで変わり、私にとっても心強く、仕事の仕方や考え方が変わってきました。

 

 そして、私のアナログな仕事がデジタルに、働き方がシステマチックに代わり、若い人の持ち込むムードが当坊を変えたように、いつかは町を変えてくれると確信できました。
 さらには、私は潤沢な資金があって事業をしているわけではないので、細々と一人で助成金の申請をしていました。これが若いたちが来てくれたことで、大きな力となって、観光庁の寺泊や、農政局の農泊などの大きなご支援をいただけることになりました。本当に人は石垣ですね。

 

4.おわりに

 この6~7年で行ってきた小さな活動ですが、毎日、薄紙を重ねるかのように一つ一つ、トライ&エラー、3歩進んで2歩下がる(古い)、これを亀の歩みで進めてきました。
 30年たってもよそ者の私が、なかなか全体をボトムアップするのは難しい地域ですが、まず自分の施設のことから積み重ねた結果を、地域に汎用できる日が来ればと、成功した事例から少しずつ紹介し、活気を呼び起こせるのではないかと期待しています。
 何かが動きだせば、移住者が増え、2拠点居住者も増え、地域の若者が帰って来て、仕事がある➡エリアが活気づけば、人々が注目し、集まる➡人が集まればお金が落ちる➡楽しければ、滞在時間が延び、もっと多くの人々が経営チャンスをつかむ➡町は自ずと動きだし、人々の心は溶けて、自然にホスピタリティーが溢れる町になる➡そこを訪れた人々はこの町を自慢したくなる➡自然にコマーシャルされる➡それがいつか、世界中のガイドブックに必ず掲載されている町になる。
 そんな夢を見て、今日もお一組お一組を迎え入れ、お見送りをしています。これは地味ですし、大変労力のいる仕事です。人を相手にした仕事は、良いことも悪いことも神経を使います。
 でも、夢があります、人がつながります。
 私たちにとっては毎日同じ作業でも、お客さまにとっては一生に一度、身延を旅の目的地にしてくださった絶好のチャンスです。これをがっかりさせない、人に自慢したくなる旅にしてもらう。これが私の毎日の目標です。
 その結果、講演依頼をいただき、お客さまからのうれしいお誘いや、メール、リクエスト、メディア取材、口コミ、リピーターやファンが増える…など、これらが私の活動源になっています。
 ただ、お寺ではなしえないことが色々あることもたくさん知りました。
 法人が宗教法人であることでのメリットが、もう私どもの経済活動の中ではほとんどないこと。コロナの助成金も受け取れない現実。また地域のための活動をするとなると別法人が必要になることが分かり、さまざまな方々のアドバイスをいただき、昨年小さな小さな株式会社「鶴林精舎」を設立し、「自我寺参」をポリシーに掲げ、動きだしました。

 

 そこでは、町全体のボトムアップを目標に、身延山の入り口から歩きたくなる街づくりと題して、まずは築90年のお屋敷を改修、エリア唯一の温泉を復活したい、賑わいを呼び戻したい。さらには宿坊ドットコム(エリアステイ)と題して、地域資源の宿坊の有効活用と連携で未来へつなげたい。また、町に何かやりたい移住者を促進したい、アフターコロナにインバウンドに戻ってきてもらいたい…など、最終の夢にたどり着くまでの、やりたいことがいっぱい(笑)詰まっています。
 私の持てる時間ではやりきれないかもしれませんが、夢に向かってスタッフみんなと手を取り合って、これからも精進し続けていきたいと思っています。