学術会議会員候補者の任命について


毎日新聞No.580 【令和2年12月27日発行】

 学術会議が推薦した105名の会員候補者の内6名が任命されなかったことは、憂慮すべき問題である。任命されなかった6名のうち1名は山梨大学に在籍されていたこともあり、他人事とは思えない。この問題が紛糾している原因の一端は「総合的・俯瞰的」という抽象的な言葉が使われる文脈にあると思われる。

 「総合的・俯瞰的」を国会会議録検索システムで調べると、20件がヒットし、該当箇所は86件にのぼる。平成1646日の第159回国会参議院文教科学委員会の記録では「・・・日本学術会議が真に科学者コミュニティーを代表し、総合的、俯瞰的観点から活動し、・・・」「実用化に近い研究開発プロジェクトまで、府省にまたがる広い範囲につきまして総合的、俯瞰的な観点から行う・・・」「技術会議の意見具申では、日本学術会議は、科学者コミュニティーを代表して、総合的、俯瞰的観点から活動するために、・・・」という文脈で使われている。つまり、学術会議は「総合的・俯瞰的」に活動するということである。
 そうすると「総合的・俯瞰的」に活動できる科学者か否かを判断できるのは、総理大臣ではなく科学者コミュニティーの代表である学術会議しかあり得ない。それ故に、総理大臣は学術会議から推薦された候補者を「形式的に」任命するという手続きが確立されてきたのである。「総合的・俯瞰的」に活動する結果、内閣にとって耳障りな発言もあり得よう。しかし、それをもって排除しようとするならば、「総合的・俯瞰的」な活動を制約し阻害することにつながる。

 一方で、「総合的・俯瞰的」活動を求めながら、他方でそれを阻害するようなことは矛盾する。科学者コミュニティーが反対するのも当然である。学術会議の在り方に対して「総合的・俯瞰的」という言葉が使われたのであって、推薦された会員候補者の任命にあたって「総合的・俯瞰的」に考慮することが求められたのではない。このような誤解が生まれたことは不幸だったとしか言いようがない。「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」と願うばかりである。

(山梨総合研究所 理事長 新藤 久和