Vol.272-1 山梨の図書館に携わって70年の歩みを振り返る
NPO法人山梨子ども図書館顧問 浅川 玲子
1.県内に初めての町立図書館が誕生
1988(昭和63)年、温泉のまち石和町(現笛吹市)に、町民が気軽に利用できる町立図書館が開館しました。全国で初めて、本だけでなく、ビデオも無料で貸し出しする図書館ができたのですから、全国の図書館界に旋風を巻き起こしました。このことは、山梨県内の文化活動に大きな影響を与えました。
90(平成2)年には昭和町立図書館、白根町立図書館が開館しました。その後、2年ごとぐらいに県内の町に町立図書館が次々と新設されたので、県内の公共図書館事情は、大きく変わっていきました。
2000(平成12)年度には、当時、人口約88万人の山梨県に県立図書館をはじめ公共図書館が30館に増え、設置率では全国平均を超えるほどになりました。
1991(平成3)年10月には、石和町立図書館と昭和町立図書館の間に「広域圏図書館ネットワークシステム」が開設され、検索すれば2館の蔵書の状況が瞬時に分かり、これにより相互貸借が素早くでき、利用者に希望の本が早く届けられるようになったのです。
図書館は蔵書管理の電算化によって、自動貸出機を導入して、貸出・返却業務を行ない、画期的なサービスができるようになりました。94(平成6)年11月には、県立図書館が中心となり全県の図書館に呼び掛けて「山梨県図書館情報ネットワークシステム」が整備され、稼働し始めました。既設の図書館へのコンピューター導入や新設図書館の資料によって、毎年、貸出件数は増加しています。山梨県内で最も多い資料を所蔵している県立図書館の資料を中心に、遠隔地の図書館の資料であっても、近くの図書館で借りることができるのです。住民が図書館を一層身近に感じられるようになりました。
2.私と図書館とのかかわり
29(昭和4)年、東京都豊島区で生まれた私は、終戦1年前の44(昭和19)年、本郷区(現文京区)の東大前から、両親と3兄弟の家族5人で、父の実家のある、山梨県塩山に疎開してきました。私立桜蔭高等女学校を2年で修了して、山梨県立山梨高等女学校に転校し、46(昭和21)年3月に卒業して東京家政学院に進みました。卒業して家に帰ってきた私は、51(昭和26)年、山梨日日新聞社に勤務する方の紹介で、山梨大学学芸学部(現教育学部)附属小学校の図書室に勤めることができました。
私は次第に資格を持たないで仕事することに疑問と不安を持つようになり、県教育委員会と県立図書館へ行って相談しました。戦後の50(昭和25)年には、日本に新しい図書館法が制定され、53(昭和28)年には、学校図書館法が新しく制定されたので、日本の図書館界が大きく変わる時期でもありました。全国の図書館員は、一斉に司書資格を取らねばならない時でした。
司書講習は文部省主催で7~8月の夏休みに、全国の旧帝国大学で行なわれました。私は東京大学で講習を受け、司書課程を修了し資格を取得することができました。当時はPTA雇用で月給は3,000円でしたが、司書講習で図書館の基本的なことを学んだおかげで、私は専門職の司書として、図書室の運営に自信を持って子どもたちに本を薦めることができるようになりました。
55(昭和30)年に結婚のため仕事をやめ、その後、2人の子どもを育て、長女が幼稚園年長の時に、主人の両親と甲府で同居生活を始めました。両親が子どもの面倒を見てくれることで、私は安心して働ける家庭環境になりました。司書資格を活かして働くには公共図書館しかないと考え、64(昭和39)年に県の採用試験を受け、県立図書館に司書として採用されました。それ以来、90(平成2)年までの26年間、専門職の司書として、県立図書館で本と情報を提供するサービスと、県内全域に子どもの読書を普及する仕事に徹して働くことができました。
3.山梨県立図書館での仕事
30(昭和5)年、甲州財閥の一人である根津嘉一郎氏が山梨県教育会に図書館の建物を県庁構内に建てて寄付し、翌年、この図書館は山梨県立図書館として開館しました。戦後も県立図書館としてさまざまな事業をしてきましたが、蔵書の増加や、閲覧室が手狭なため、70(昭和45)年に甲府市丸の内2丁目に新築、移転しました。新しい図書館は地下1階、地上4階で、西側には、甲府市立春日小学校(現舞鶴小)がありました。子ども室の入り口は北側にあり、直接入ることができました。当時は学校帰りでも図書館に寄ることができたので、午後はランドセルを背負った子どもで賑わいました。
子ども室担当の私は、母親のために「子どもの本を読む会」を企画したところ、60人の入会希望者があり、3グループに分かれて会が発足しました。大人が子どもに勧めたい本を読みます。月1回の読書会に、図書館は同一の本を3冊用意して、グループごとに各家庭へ本を回覧しました。家庭で親子読書が行われたり、小さい子どもに読み聞かせをしたりする母親もいました。
年に1回、休日に行われた親子読書会には、子ども連れで参加して本を通して会員の交流を深めました。このことにより本好きの子どもが育ち、この「子どもの本を読む会」の2グループは、40年以上経過した現在でも、甲府市立図書館や山梨県立図書館で会場を借りて、読書会を続けています。
53(昭和28)年から始まった自動車文庫「みどり号」の県内全地域の巡回事業の終了に代えて、73(昭和48)年には、地域の住民の近くに、いつでも本を借りられる図書館として「一坪図書館事業」が始まりました。一坪図書館の蔵書は1セット200冊(児童書140冊・成人図書60冊)を県立図書館が購入して用意し、設置場所と運営する館長の選任は各市町村に依頼しました。県内全域に広がり、ピーク時には624館が設置されました。しかし、県立図書館として、新規の図書購入費が続かず、83(昭和58)年に各市町村に配本した図書を全部、市町村に移管して、この事業は終了しました。住民の近くに本が届けられ、これを利用した人たちは、身近に本がある楽しさや喜びを感じたと思います。その後、県内に自治体の図書館が続々設置されましたが、この原動力になったのは、「私のまちにも大きい図書館が欲しい」という住民の声だったと、私は信じています。
70(昭和45)年に建てられた県立図書館は、蔵書の増加に伴い、閉架書庫が狭くなり、年々増加する車社会に対しても、駐車場が5台では対応できなくなりましたが、横内正明知事時代の2008(平成20)年にようやく新県立図書館整備計画が作成されました。建設地は甲府駅北口に決まり、県民待望の新県立図書館が12(平成24)年11月に開館しました。地下1階、地上4階で南、西側はガラス面を多く取り入れた明るい図書館です。甲府駅に近く、利用しやすい図書館といえるでしょう。150台収容の駐車場が1時間だけ無料というのは、これまでできなかったサービスです。
4.新しいまちの図書館建設を目指して~私が関わった自治体図書館~
(1)昭和町立図書館
県立図書館で26年間、司書として働き、1990(平成2)年に60歳で定年退職した私は、4月から、昭和町立図書館の新館開館準備に関わりました。建物は既に前年の12月にできていました。新しい蔵書は、県立図書館に依頼して選定され、送られてきていました。町の公民館図書室の本の中から、新図書館に入れる本を選別しました。新規採用された職員と3人で、7月開館に向けて館内の書架への本の配架、備品の設置、町民へのPRなどを進め、限られた3カ月は夢中で働きました。
人口12,300人の小さな町で、町立図書館としては、石和町に次いで2番目に開館した図書館です。昭和町民に限らず、県内在住の方は誰でも借りられることを目標にしました。
館内の雰囲気を明るくするために、「来館者はお客さま」として、職員からあいさつをしました。
来館者の質問に対しては、本の貸し出しができない場合には、予約本として新規購入かほかの図書館から借りて提供しました。質問や相談に対してもできるだけの方法で検索して回答を出すことにしました。
(2)竜王町立図書館(現甲斐市立竜王図書館)
93(平成6)年、竜王町(現甲斐市)では住民の多数から、大ホールより図書館建設を望む声が上がり、町立図書館建設の機運が盛り上がりました。私は1年前の図書館準備室の時から関わっていて、北部公民館図書室の本の移動から始めました。竜王町立図書館は、役場の前の北部公園の敷地内に、2階建ての独立館として、95(平成8)年に新設され、開館しました。特に、蔵書の配架を利用しやすく見せることを考えました。
- 利用しやすい書架の展示:図書分類に寄らない書架サインをしました
「赤ちゃんすくすく」出産・名前の付け方・育児などを同じ棚に配架
「暮らしの知恵」法律・教育
「手づくりの楽しさ」料理、手芸・洋裁など
参考図書だけを別置きしないで、百科事典・辞書以外の参考書は、それぞれの分類の本と同じ場所に混架して配架しました。
- 無料の資料を収集:県内各市町村のパンプレット、世界各国のパンフレットを集めました。
職員が手間をかける仕事をいとわず、おすすめ本の展示・季節に合った展示など、常に新しいサービスを考えて、職員と一緒に仕事してきました。
(3)大月市立図書館
これまで、大月市民会館の1階にあった市立図書館を、大月駅南側に独立館として建設することになり、図書館蔵書の確認作業に半年間、関わりました。99(平成11)年に新図書館が開館しました。2階に子ども室を設置したのは、山梨県内で初めての図書館でした。エレベーターは設置されていますが、子どもは元気ですから、子ども室が2階にあっても大丈夫だろうと思いました。
(4)櫛形町立図書館(現南アルプス市立中央図書館)
98(平成10)年、櫛形町立図書館基本構想が出来上がった時から、関わりました。図書館建設委員と当時の石川豊町長も同行して、静岡県の富士市立図書館の見学に行きました。富士市は人口20万人の市で、櫛形町とは比較にならない大都市でしたが、何カ所か見学した図書館の中では、町長はじめ見学者の多くが参考にしたいと感じた図書館でした。櫛形生涯学習センターの中の櫛形町立図書館は2階建てで、入り口を入ると、富士市と同様に天井は吹き抜けを取り入れた、広々としていて明るい建物ができました。
住民の要望があって、あやめホール(350人収容)と複合型の建物になりました。この時、私はホールの附属図書館ではなく、それぞれ独立した運営でいくことをお願いしましたが、入り口の看板はあやめホールと、図書館と、同じ大きさのものを掲げました。
この櫛形町には、55(昭和30)年、県立図書館中巨摩分館が設置され、その後、櫛形町立図書館として、住民に利用されていましたので、新館建設については、住民の意見を聞きながら運営していくことができました。
図書館のボランティアは、すでに3グループができていました。図書館協議会委員の利用も多く、新しい利用者を連れて来てくれるのです。ホールとの複合建築で建てられた図書館には、ホールで開催した講演会や講座を聞きに来た人が、帰りに図書館にも寄って行くという相乗効果があることに気づきました。
櫛形町出身の内藤多仲さん設計の「東京タワー」の75分の1の模型が図書館の中庭に設置されています。内藤多仲さんは南アルプス市の誇る偉人の一人です。
(5)玉穂町立生涯学習館(現中央市立玉穂生涯学習館)
山梨医科大学病院が設立されたことによって、町へと大きく成長したのが玉穂町(現中央市)です。
玉穂町の図書館では、新館建設には関わらなかったのですが、開館2年目の2001(平成13)年に館長として2年間、勤務しました。既に図書館サービスは行われていましたが、01年3月に「2001年度からの館長を受けてほしい」とお話があった時に、町長に新事業の提案をしましたら、やりましょうと受けてくださいました。それは「ブック・スタート」事業で、生まれたばかりの赤ちゃんに町が絵本を贈る事業です。当時の県内では、どこの市町村でも行っていませんでした。
私が玉穂町の図書館へ赴任した01年4月に、山梨県内で最初の「ブック・スタート」事業が始まりました。それから20年経過した現在、山梨県内の各地の市町村で、この事業が行われています。司書が選んだ絵本が届けられ、子どもに読み聞かせをした母親が、子どもの喜ぶ顔をみて、次は図書館で絵本を借りて読み聞かせする親であってほしいと思います。玉穂町は、開館当初から資料費が比較的多くありましたが、06(平成8)年隣接の田富町と豊富村と合併しました。中央市が運営する3図書館は、全国の人口3万人未満の市立図書館の中で、貸出件数、蔵書数、購入冊数が2年連続で全国トップになりました。
毎年の資料費が多くなければ、購入図書数を増やすことはできません。20(令和2)年度の県内図書館の人口一人当たりの資料費をみますと、中央市は一人当たり804円で、県内でも充実した資料費となっています(『山梨県図書館白書2020』による)。
私が関わってきた町立図書館では、櫛形町立図書館が初めての複合館でした。いくつか図書館を新設、運営してみて、県立図書館にいた時代より、私の図書館に対する考えが、少しずつ変わってきたように思います。
まず図書館とホールを比べてみますと、図書館は開館中ならいつでも1日いてもよい場所です。
一人でも、親子、友達と来ることもできます。本だけでなく、雑誌や新聞を見るだけでもよいです。ホールや公民館は部屋を借りた限られた時間だけしか利用できませんが、図書館は、全部自分の書斎と考えて、開館から閉館時間まで利用できるのです。そこには司書がいて、全国の図書館から本を探してくれます。国立国会図書館の本は、個人には貸し出しはできませんが、取り寄せをお願いした図書館では借りて読めることを教えてくれます。本だけでなく、調べ物を相談すると、インターネットだけでなく、いろいろなツールを使って徹底的に調べてくれます。
5.地域で活躍する子どもの読書活動
山梨県立図書館で児童サービスの担当をしていて、県内全域に子どもの読書活動を進めるには、県立図書館の司書一人では到底できないことに気づきました。ちょうどその頃、教師の立場から、小学校や地域で活躍されている横森サチ子さんとの出会いがありました。
県立図書館の児童室に来られる人たちの中に、母親の立場で地域の子どもに絵本の読み聞かせをしたり、文庫活動をしたりするために、団体貸し出しの利用をしていく人たちとの出会いもありました。その後、優れた子どもの本を子どもに手渡したいという同じ思いの人たちと、それぞれグループを発足させました。
6.図書館司書に望むこと
立派な建物やシステムができても、県内の市町村の公共図書館では、正規職員の司書配置率は非常に低く、特に館長職については、専任館長で、司書資格のある館長は22館のうち4館のみです。多くの館長は、正規職員の課長職と、再任用職員と会計年度職員(嘱託職員)です。教育長、生涯学習課長が兼務で館長をしている図書館がまだ8館もあります。
県内の公共図書館では10年ほど前から正規の司書の採用が少なくなり、会計年度職員の割合が多くなっています。県立図書館でも、正規27(うち司書20)人対会計年度20(うち司書16)人ですが、市町村図書館の合計人数では78(うち司書57)人対296(うち司書171)人であり、年々、正規司書の採用が少なくなっているのが現状です。これでは専門職として同じ図書館で頑張っている司書が少なくなってしまいます。行政当局が図書館の位置づけをしっかり押さえて、長期に働く意欲のある司書を育成することを考えてほしいです(『山梨県図書館白書2020』による)。
現在は、図書館の資料は、国立国会図書館を筆頭に全国の図書館のデータを、どこからでも見られます。レファレンスのお客様の質問も、さまざまなデータを使いながら、いち早く検索できるのです。
図書館司書の皆さんは、図書館サービスの充実を図りながら仕事をするとともに、常に各分野の本を知ることと、情報収集には気を遣ってください。一方、図書館を取り巻く広い世界にも心と眼を向けていく努力をしてほしいです。私は子どもの本の専門家になることを心掛けましたので、絵本作家や児童文学作家の文献やデータを収集しました。講習会、講演会にも出掛けて行って本人のお話を聞いて、確認することもありました。これは50年継続していることで、何物にも代えがたい私の財産になり、宝物でもあります。
7.おわりに
子どもの読書環境は、大きく変わっていますが、幼児期に絵本の読み聞かせをすることは、今まで以上に大事なことです。両親をはじめ、子どもの身近にいる大人たちは心して、積極的にご自分の生の声で本を読んであげてください。
図書館は、高齢者が前向きに過ごすためには、お金がかからない最高の居場所です。図書館は本と人を結ぶ場所であり、すべての人の居場所としての広場でもあります。このためにどうしても図書館は身近に必要な施設であると、竹内悊先生は『生きるための図書館』(岩波新書2019年刊)で、書かれています。ぜひお近くの図書館でお読みください。
私は、本と図書館に関わって、70年がたちました。子どもたちは学校には必ず図書室がありますので毎日、本に触れることができます。しかし地域の図書館は山梨県内にも、まだ未設置の町村があります。
21(令和3)年1月発行の『山梨県図書館白書』によると山梨県内には、県立図書館を含めて49館の公共図書館が、それぞれの自治体で、住民に寄り添った図書館サービスをしています。23(令和5)年1月には、富士川町に新しい図書館ができる予定で、開館準備が始まっています。
2年後には確実に、山梨県内に、県立1館、市立38館、町立9館、村立2館の50館の公共図書館が存在し、地域の人たちと協働して、本と情報と人が繋がり、人と人が結ばれる場所になると思います。県内の図書館未設置町村は、西桂町、早川町、鳴沢村、道志村、丹波山村、小菅村の2町、4村となります。山梨県内の全市町村に、小さくても自分の地域に図書館が設置されることを願っています。