Vol.276-1 富士山噴火への心構え~ハザードマップ改定のポイント
山梨県富士山科学研究所長 東京大学名誉教授
元火山噴火予知連絡会会長 藤井 敏嗣
1.はじめに
2021年3月末に富士山火山防災対策協議会から富士山火山ハザードマップ改定版が公表されました。富士山で最初の火山ハザードマップが作られたのは2004年のことですから、17年ぶりの改定です。私は初版のハザードマップ作成時には委員として加わり、今回はハザードマップ検討委員会の委員長として改定作業にあたりました。
2004年のハザードマップ公表以降、産業技術総合研究所(産総研)、富士山科学研究所などによって精力的に地質調査が行われ、噴火の履歴などについて多くの新しい知見が得られました。中でも防災上重要だと考えられたのは、比較的市街地に近い場所に過去の火口がいくつか認定されたことです。2004年当時の想定の外側の広い範囲に過去の火口が存在したことが分かりましたから、将来の噴火で想定される火口の範囲を考え直す必要が生じたのです。
また、富士山北麓の青木ヶ原溶岩流を作ったマグマの体積は2004年当時、宝永噴火と同程度だとみなされていましたが、調査の結果、その2倍近くの13億㎥であることが分かりました。過去にこのような大規模な噴火があった以上、今後も溶岩流噴火で流出するマグマ量はこれまでの想定よりもはるかに大きくなる可能性があるのです。溶岩流の流出量が増大すると、溶岩流が流下する距離は長くなりますし、流下速度も速くなることが考えられます。このような新しい知見が集まったことから、富士山噴火時の避難等の防災対応の基盤であるハザードマップを改定する必要が生じたのです。
富士山の噴火には、さまざまなタイプのものがあり、改定ハザードマップではそれぞれの影響範囲についても検討しましたが、紙面の都合上ここでは溶岩流ハザードマップの改定に焦点をあてることにします。
2.想定火口領域の設定
改定に当たって、次の噴火で想定される火口の範囲を決めることが最初の作業でした。富士山では山頂火口以外に、山腹にも新たな火口がつくられ、そこから噴火が始まることも普通に起こってきました。今から2300年前の噴火を最後に,山頂火口は使われていません。それ以降の噴火は全て山腹の火口からで、しかも毎回違う場所に火口がつくられたのです。
このため、現在のように活動が静かな段階では、どこに火口ができるのかを予測することは不可能です。今後、地震が増えたり、地盤変動が観測されたりするような火山活動の活発化が起こると,次の噴火で、どこに火口ができそうか見当をつけることはできるでしょうが、そうなってから噴火までにはあまり時間がないと思われます。しかし、避難計画などの基本資料となるハザードマップの作成に当たっては、将来の噴火が起こる可能性のある火口範囲を事前に特定する必要があるのです。
2004年のハザードマップ初版の作成時には過去3200年間に噴火が発生した火口を調べ、山頂を中心とした北西南東方向に延びる、ほぼ楕円形の範囲に分布すると考えました。個々の火口間の距離などを調べて、将来の噴火地点はこの範囲から大きく外れることはないと考え、その楕円形の範囲を想定火口域に設定しました。この範囲は現行の広域避難計画の第1次ゾーンに相当し、噴火警戒レベルが3に引き上げられた際には、噴火の有無にかかわらず立ち退くことが必要な領域です。
ところが、最初に述べたように、この17年間の調査で、2004年に設定された想定火口範囲の外側に、つまり居住地側にも複数の火口が存在したことが分かりました。したがって、ハザードマップの改定に当たっては、次に起こる噴火で発生する可能性のある火口の範囲を推定しなおすことから始めたわけです。このためには過去のどの噴火までさかのぼって参照するかが重要です。
短い期間しか参照しない場合、想定外の場所から噴火が生じる可能性が高くなります。この間の産総研を含むいろいろな研究機関の調査によって、初版時に参照した3200年前よりも古い時代の噴火についても詳しいデータが得られました。
富士山の噴火開始は10万年前で、今から約2万年前に現在の富士山とほぼ同じくらいの高さにまで成長した後、山頂部付近から大きく崩れ、南西側のすそ野を広げました。その後の活発な溶岩流の活動で山容を回復しましたが、今から8000年前から5600年前までの間の噴火活動は非常に低調でした。ところが、5600年前以降は再び活発に噴火を繰り返すようになりました。この5600年間の噴火は約180回に達しています。ほぼ、30年に1回の頻度ですから、前回の宝永噴火から300年間、間隔が空いているのはまさに異常事態であり、いつ噴火してもおかしくないのです。
今回の改定に当たっては、富士山が活発な火山活動を繰り返し始めた5600年前までさかのぼって噴火を参照し、この期間に使用された火口の位置を洗い出し、将来の噴火で生じる可能性のある火口の範囲を想定することにしました。初版時に漏らしていた火口位置を加えただけでなく、前回の3200年間に比べると長い期間の噴火活動を参照したことから、それだけ多くの火口位置を洗い出したことになりました。その結果、将来の噴火で想定される火口範囲は前回に比べて広くなり、初版時には北西南東方向に延びた楕円形の領域だったのに対し、それ以外に北東南西方向にも延びるX字のような領域となりました(図1)。

3.噴火規模と噴出レートの設定
さて将来の噴火が生じるかもしれない火口の領域が定まると、火口から溶岩流などがどのように流れ、どの地域に影響を及ぼすかを推定する必要がありますが、そのためには噴火の規模を設定しなければなりません。
噴火の規模は噴出物量で表しますが、通常は過去の最大噴火での噴出物量を想定します。しかし、図2を見てわかるように、富士山の噴火は規模の小さいものから巨大なものまでさまざまです。このため、富士山の噴火の規模を3区分することにしました。2000万㎥以下の小規模、2000万~2億㎥の中規模、2億~13億㎥の大規模噴火です。ただし、地震や水害など自然現象全般に共通なのですが、火山噴火でも規模の小さいものが圧倒的に多く、大きなものほど頻度が低くなります。

(出典:富士山ハザードマップ https://www.pref.yamanashi.jp/kazan/documents/015-020.pdf)
後に述べるように溶岩流シミュレーションではその3区分でのそれぞれの最大値を想定して数値計算を行うことになります。大きいものを想定しておけば、実際にはより小さいものであっても対応できるだろうという発想です。それならば最大規模一つでよいではないかと言われそうですが、噴出量の幅があまりに大きいので三段階に区分した次第です。
13億㎥は最初に述べたように、貞観噴火の際の青木ヶ原溶岩流の体積から推定されたものですが、これを超えるものは絶対に噴出しないかと言われても反論のしようがないのですが、2番目に大きい宝永噴火の約2倍に当たりますので、既往最大であるこの値にしました。
溶岩流の流れ方はマグマの噴出量以外に、マグマの噴出率、すなわち一定時間内にどれだけのマグマを噴出するかで大きく変わります。一般に規模の大きな噴火では噴出率も大きくなります。貞観噴火は864年から866年まで続きましたが、クライマックスは最初の2カ月でした。この期間に大部分の溶岩流の流出は終わり、あとは小規模な噴火がごくまれに起こったようです。それで2カ月ほどで13億㎥のマグマを出したとすると噴出量は約300㎥毎秒となります。それで、大規模噴火の場合の噴出率は300㎥毎秒としました。それに対応して中規模噴火では200㎥毎秒、小規模噴火では100㎥毎秒と決めました。この設定はハワイのキラウエア火山2018年噴火と比べても、もっともらしい値です。
4.溶岩流シミュレーションの準備
このようにして得られた想定火口域から噴火が始まった際に、溶岩流がどのように流れるかなどを数値計算によって想定する準備が整ったのですが、シミュレーションの基本となる地形データとしては、前回が200mメッシュであったのに対して、今回は20mメッシュにしました。200mメッシュというのは水平距離200mに1点の標高データで地形を表現しますが、今回は20mに1点の標高データを使用したわけです。200mメッシュでは狭い谷などの地形を十分に反映できないため、実際よりも起伏の少ないのっぺりした地形を想定することになるのですが、20mメッシュではかなり精密に地形を反映できるので、溶岩流の流れ方などがより現実的なものになるのです。一般的に言うと、200mメッシュで計算した溶岩流は広がって流れるため、20mメッシュに比べると幅広く、短いものになりがちです。
このような計算機シミュレーションが現実を反映するかどうかを確認するために、イタリア、シシリー島にあるエトナ火山で実際に流れた溶岩流の分布や速度を再現できるかどうか確かめ、ほぼ正確に再現できることを確認しました。本当は富士山の溶岩流で確かめたいところですが、富士山では300年間噴火が起こっていないので、過去の噴火でどのような速度で溶岩流が流れたかなどの情報がありません。このため、マグマの組成が比較的似ていて、最近でもしょっちゅう噴火をしていて、溶岩流の詳しい流れ方が観測され、流れる前の地形データなどが入手できるエトナ火山で確かめることにしたのです。その結果、今回のハザードマップで使用した溶岩流の数値計算モデルで、エトナ火山の溶岩流の分布域と流れる速度を十分な精度で再現できることが確認できたので、富士山の想定火口域からの溶岩流シミュレーションを行うことにしました。
5.ドリルマップと可能性マップ
次の噴火で開く火口は想定火口範囲内のどこでもあり得るわけですが、溶岩流が最も早く居住地域に達するのは、想定火口範囲の最も外側の地点に火口ができた場合だと考えられます。このため、防災対策のためのシミュレーションとしては、それぞれの規模の想定火口範囲の最も外側の地点を噴火溶岩流出の開始点とし、小規模噴火については92点、中規模噴火については91点、大規模噴火については69点を選びました。個々の流出開始点に相当する計算結果はドリルマップとして表現しました。
ドリルマップでは、それぞれの溶岩流の最終的な分布範囲のほかに、溶岩流先端の位置の時間変化を色分けで表現してありますから、富士山のどの付近に火口ができた場合に自分の居住地域や周辺の道路に影響を及ぼすような溶岩流が流れてくるのか、その到達時間は噴火発生後どのくらいなのかを予想できるはずです。規模の違う溶岩流の流れ方の例を図3に示しました。この紙面ではすべてのシミュレーション結果をお見せすることはできませんので、県庁ホームページ(https://www.pref.yamanashi.jp/kazan/hazardmap.html)を参照してください。ホームページには、このシミュレーションに基づいて作成された動画も用意されていますから(https://www.pref.yamanashi.jp/kazan/fujisanhunkadouga.html)、溶岩の流れる様子を実感できると思います。



(出典:いずれも富士山ハザードマップ https://www.pref.yamanashi.jp/kazan/documents/small2.pdf)
これらのドリルマップから分かることは、溶岩流の流れる速度は急傾斜の部分では速くても、居住地付近の緩やかな傾斜の場所では決して速くはないということです。人が歩く速度よりも遅いのです。その意味で健常者に関しては、避難が必要な場合でも慌てなくてもよいことが分かります。また、斜面全体を広がって流れるのではなく、地形的に低い場所を選びながら流れ、平らなところに来ると水平方向に広がることも分かると思います。尾根筋に火口ができた場合には2方向に分かれて流れることも生じます。
これらのすべてのドリルマップを重ね合わせた、可能性マップも作成しました(図4)。火口の位置に関わらず、溶岩流が一定時間以内に到達する範囲を同じ色で塗りつぶしたもので、地図上の任意の地点に溶岩流が流れてくるような噴火が起こった場合に、噴火後何時間で溶岩流が到達するかが一目でわかるものです。このような可能性マップは行政が避難計画を作成する際には必要なものですが、一般の人には少し分かりにくいかもしれません。富士山の全周を取り巻くように、溶岩流が2時間で到達する範囲、3時間で到達する範囲、12時間で到達する範囲などが色分けされているからです。

(出典:富士山ハザードマップ https://www.pref.yamanashi.jp/kazan/documents/yougankanousei.pdf)
この可能性マップを見て、次の噴火が起こると富士山の全域に溶岩が流れてくると誤解する人もいるようですが、実際にはそのようなことはありません。富士山のほぼ全域が溶岩流で覆われるのは、6000年ほどかけて200回近くの噴火を繰り返した場合です。一回の噴火で溶岩流に覆われる領域は非常に限定的なものです。
したがって、溶岩流を怖がり過ぎる必要はありませんが、万一自分の居住地域に溶岩流が流れてきたときには、命を守るために、ハザードマップを参照しながら、行政の指示に従って安全な地域に避難してください。
6.ハザードマップの活用にあたって
水害などでもそうですが、ハザードマップが作られるとその精度が高いかどうかに注目が集まることがあります。しかし、どのようなハザードマップも、いくつかの前提のもとに作られるので、精度が高いかどうかという議論はほぼ無意味です。
数値計算によって溶岩流のシミュレーションを行いましたが、前にも述べたように、噴火の規模を大、中、小の3段階に区分して、それぞれの区分での想定最大量での数値計算を行っています。ところが、実際の噴火ではどれだけの量のマグマが噴出するかは事前には分かりません。例えば、大規模噴火でも2億㎥から13億㎥まで幅広いのですが、シミュレーションでは13億㎥のマグマが毎秒300㎥の勢いで噴出することを想定しています。これは、大きいものを想定しておけば、それより小規模のものには対応できるが、小さいものを想定するとそれよりも大きいものが来た場合は想定外になってしまうので、シミュレーションでは安全サイドに立って、最大規模のものを想定するわけです。
実際には、次の噴火が5億㎥程度のマグマを噴出する大規模噴火となることもあり得るわけで、その場合には、溶岩流の分布や、ある地点への到達時間も13億㎥で計算したハザードマップの結果とは異なるはずです。
また、噴出率も実際の噴火では、大規模噴火で想定した毎秒300㎥よりも小さいこともあるでしょうが、その場合も到達距離などは短くなります。このように、ハザードマップはさまざまな仮定を設けて、計算機による数値シミュレーションを行って作られたものですから、実際の噴火が想定とは異なる規模や噴出率だった場合には、溶岩流の分布もハザードマップ通りにはなりません。したがって、ハザードマップの精度が高いかどうかを議論することは意味のないことです。例えば、ハザードマップを見て、自分の家の敷地にぎりぎり溶岩流が到達するかどうかで一喜一憂することは間違いです。
しかし、普段からハザードマップを眺めて、自分の居住範囲に影響のあるような噴火現象にはどのようなものがあるか、どのような場所に火口ができると自分の居住地や周辺道路に影響が及ぶのか、危険が迫った時にどのようなルートで安全な地域に逃れることができるのかなどを考えておくことは重要です。噴火が生じた場合、危険範囲も分らない中でやみくもに逃げ惑うわけにはいきませんから、避難計画を立てる上でもハザードマップは重要なのです。
7.おわりに
今回は、主に溶岩流シミュレーションを題材に、改定ハザードマップの作成過程についても述べましたが、富士山は噴火のデパートとも呼ばれるほど、溶岩流噴出以外にもさまざまな様式の噴火を行ってきた火山です。このため、ハザードマップの改定では、火砕流と融雪型火山泥流についても計算機シミュレーションを行い、その影響範囲を特定しました。また、想定火口範囲が初版とは大きく変化したことから、火口から飛来する大きな噴石の影響範囲の見直しも行っています。これらについては県庁のHPなどで、報告内容をご覧いただきたいと思います。
富士山火山防災対策協議会では、改訂されたハザードマップに基づいた避難計画を本年度から策定することになっています。避難計画が公表になるのは早くても本年度末の予定ですが、噴火は避難計画の完了を待ってくれるとは限りません。突然の噴火に備えて、普段から富士山の噴火について学習しておくことが望まれます。火山災害から身を守る最大の武器は、各人が火山噴火について正しい知識を持つことなのです。改定ハザードマップの報告書にはいろいろな噴火現象の影響範囲についての記述だけでなく、噴火現象の解説も含まれていますから、火山噴火に関する教本としても便利です。ぜひ、機会があるたびに眺めるようにしてください。