コロナ禍の葬儀で感じたこと


毎日新聞No.599【令和3年9月19日発行】

 新型コロナウイルスの感染拡大により山梨県に適用されていたまん延防止等重点措置の適用が今月12日で解除された。緊急事態宣言など生活が制限された状況が日常化した都会と比べると、山梨県民は協力的に取り組んだと思われる。ほぼ灯が消えた駅前飲食店の寂しさも、弊財団でも取り組んだテレワークの不自由さも、多少は報われた気がする。

 そんな中、身内の葬儀があったが、コロナ禍で葬儀が様変わりしていた。
 最近参列することが少なくなった感があったが、葬儀社さんの話によると、都会だけでなく地方でも身内だけで済ます家族葬が増えているとのことである。かく言う私の身内も家族葬であったが、いわゆる新聞の「お悔やみ欄」を見ると、通夜、告別式の日程が書いていないケースが多くなっている。故人とは一度も会ったことがない参列者を迎える従来型の葬儀をするつもりはないが、亡くなった事実を知らせるために、事後に掲載してもらうようである。
 また、法事前の食事や初七日といったことも感染拡大の恐れがあるということで避けるようになり、食事は弁当の持ち帰りに代わり、初七日さえも豪華な紙製の重箱で渡された。
 このように、昔から貴重な集いの場である葬儀において、コミュニケーションの機会がなくなってきている。葬儀での最低限の所作が済むと、身内の列席者もそのまま解散という状況である。

 近年、密を防ぐために「オンライン」が様々な局面で広がってきたが、「オンライン葬儀」も普及するようになるのだろうか。授業も会議もそうであるが、合間の休憩や終了後のコミュニケーションが人間関係を円滑にする。葬儀も合間の「おしゃべり」がこうした効用を生み出していたと思うが、「オンライン葬儀」ではこうした機会は期待できまい。
 近年強まるコミュニケーション希薄化の傾向は止まらないだろう。しかし、故人が結んでくれた縁を確かめる最後の機会に、ぬくもりとつながりが実感できる新たなコミュニケーションの実現を望みたいものである。

(山梨総合研究所 専務理事 村田 俊也)