Vol.279-2 テレワークが拡大する「足による投票」の可能性について


公益財団法人 山梨総合研究所
元研究員 坂村 裕輔

1.「足による投票」

 「足による投票」という言葉は、1956年にアメリカの経済学者チャールズ・チボーによって提唱された。
 これは、財やサービスの購入という市場のメカニズムをとおして資源の最適な配分が決まってくるという考え方を公共サービス・税率などに応用した考え方である。人々は、受けることができる行政サービスと税金など支払う費用を比較し、もっとも好ましい地域を選んで居住する、つまり、これらに対する評価を、居住する自治体の変更、平たく言えば引っ越しによって示すというものである。
 そして、各自治体がさまざまな工夫を行い人口を最適な規模まで増やすために競争する結果、国全体で効率的な行政サービスの提供が期待されることとなる。

 

2.「足による投票」が成り立つ条件

 「足による投票」が提唱されてから、70年近く経過している。地方分権の議論などでは、よく引用される言葉であり、感覚的に納得できるのでご存じの方も多いかと思う。しかし、「足による投票」には、どこか非現実的な、フィクションのような印象が付きまとう。
 「足による投票」が行われ、期待される効果を上げられる前提条件として、チボーは、 

  1. 住民の移動と居住地の選択が可能
  2. 地方政府の歳出入の完全な情報を有する
  3. 多数の選択肢が存在する
  4. 雇用機会による選択制限がない

など、七つの条件(これらの他、最適な人口数が存在し、各自治体はその人口を目指して行動する等)を挙げている。
 さて、「足による投票」によって期待される効果をもたらすためには、そもそも「投票」がなされなければならない。
 しかし現実には、各自治体の努力にかかわらず人口移動=投票は、主に東京都及びその近県(神奈川県、埼玉県)で行われてきた。
 この原因は、4.の「雇用機会による選択制限がない」ことが、これまでの日本でもっとも成り立ちにくかったためであろう。たとえ公共サービスが優れ、税率が低くとも、収入面つまり仕事の制約がある中では移動しにくく、仕事の選択肢が多いという理由で「足による投票」が東京都およびその近県のみで行われてきた、といっても言い過ぎではないだろう。
 たとえば、2019年の12月から翌年1月にかけて三重県が行った、「全国の地方移住経験者に対する意識調査」では、移住への不安の第1位は「安定収入」(24.5%)であり、今年の8月にリクルート社が行った、地方移住および多拠点居住の考え方についてのアンケート調査においても、 移住を検討するにあたっての不安や心配事のうち、最も多かったのは仕事面(64.0%)であった。内閣府「第3回新型コロナウイルス感染症の影響下における生活意識・行動の変化に関する調査」でも同様に、「地方移住にあたっての懸念」で最も多かったのは「仕事や収入」(49.2%)である。
 このように「足による投票」をしてもらうために、地方自治体にとって最も大切なのは仕事場の確保であるが、実際、各地で企業誘致、そのための工業団地の造成、地場産業の振興、若者の起業支援などさまざまな施策が行われてきている。
 しかし、各自治体の努力にもかかわらず、東京都及び神奈川県・埼玉県への転入超過傾向は続くどころか、拡大傾向でさえあった。

 

3.新しい生活様式

 東京都等への「足による投票」の流れが変わってきたのは、新型コロナウイルス感染症の蔓延(まんえん)の影響である。住民基本台帳人口移動報告2020年の結果では、東京への転入超過数は大幅に縮小し、7月から12月まで転出超過が続いていた。今年も転入超過の月はあるものの総じて転出超過の傾向にある。これは、感染者が多い東京都から安全を求めて移住した人々が多いためであろう。
 また、新型コロナウイルス感染症は、感染予防対策の徹底を企業や個人に求めた結果、今までの常識を見直すことももたらした。たとえば、「仕事は毎日同じ時間に職場に行かなくてはできない」という常識を、仕事の内容によっては見直すことができるということが分かってきた。その一番の例が「テレワーク」であり、この見直しが「足による投票」の可能性を高めることとなっているようだ。さきに紹介した株式会社リクルートの調査結果で、移住に興味を持ったきっかけにおいて「新型コロナの影響で、テレワークなどの柔軟な働き方が可能になったため、地方や郊外への移住に興味をもった」(43.4%)ことが最も多いことが、このことを示している。
 場所を選ばない働き方が可能であれば、仕事を変えずに自分の住みたい場所に住むことができるし、もし、現在の仕事が収入面で満足のいくものであれば経済的安定も失わずに移住することができる。テレワークの推進は、これが可能な仕事がある程度限られ、また導入している企業もまだまだ限定的ではあるが、「足による投票」が可能な人を今後増加させる大きな要因の一つといえるだろう。

 

4.移住者促進のために

 では、「足による投票」をしてもらうにはどうすればよいであろうか。
 チボーの理論では、人々は、受けることのできる公共サービスと支払うべき税金等の費用を比較し得なところに移動するという、経済的合理性により判断するということが前提になっている。
 しかし実際には、人々は地方移住を経済的な合理性のみで判断しているわけではないようだ。たとえば、内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局「東京圏、地方での暮らしや移住及び地方への関心に関する意識調査」では、地方移住への関心がある人のうち「地方での暮らしのどのような点(魅力)に関心を持ったか」について、最も多かった回答は、「山・川・海などの自然にあふれた環境」(55.8%)で、「地域社会や人間関係」(20.7%)も比較的多く、必ずしも公共サービスと費用の比較のみで移住先を選んでいるわけでないことを示している。また、リクルートの調査では、都心から地方への移住に関心がある人の多くがテレワークを前提としており、一定の間隔で仕事場に出勤する必要があることからか、想定している都心までの所要時間は「都心まで1時間から2時間」が43.3%、「都心まで1時間程度以内」が31.8%である。
 このことから山梨県は投票の条件をすでに満たしていると言えるだろう。
 では、めでたく山梨に「投票」してくれたとして、その人に何をしてあげればよいだろうか。
 厚生労働省では「テレワークの適切な導入及び実施の推進のためのガイドライン」を作成(令和3年3月改定)し、テレワークの導入と実施に当たり、労務管理を中心に、労使双方にとっての留意点や望ましい取り組みを示した。このガイドラインを見ると、20ページにわたって労働時間、休憩時間、業績の評価、コミュニケーションの充実、労働強化にならないような注意、人材育成、テレワークを行う上での費用負担など、さまざまな観点から事細かに書かれている。
 また、9月28日には、厚生労働省がテレワークを検討する中小企業が1カ所でさまざまな相談ができるよう「全国センター」を設ける方針を示した。これは、今まで厚労省と総務省がそれぞれ実施しているテレワーク支援窓口を、「どこに何を相談するか分かりにくい」という企業からの指摘を受けて、一本化するものである。これらのことは、テレワークという、生まれたばかりの働き方が多くの問題をかかえていることの証しであろう。
 実際、テレワークに対する不安や、生じている問題は、報道等でよく取り上げられ、その不安を解消するサービスも出てきている。リクルート社の調査では、仕事面の不安が移住に対する不安の中で最も多いと述べたが、その調査において、仕事面の不安の中で最も多いのがテレワークに関する不安となっている。その内容は、テレワークが、新型コロナウイルスの終息とともに、もとの勤務形態に戻るのではないかという移住の前提そのものがなくなってしまう不安や、テレワークが有しているさまざまな問題により自分自身がテレワークを続けられるかという不安など多岐にわたる。投票してくれた人に、そのまま定着してもらうためには、その不安を少しでも減らすために、相談や雇用の問題などを解決する手助けをする何らかの仕組みが必要となってくるかもしれない。
 ただし、テレワークによる移住者が今後どれくらい見込まれるのか分からない中で、まずは既存の制度を利用することが合理的だろう。例えば、私が2年前まで事務局員として在職していた組織であるが、各都道府県には労働委員会が設置されている。この組織は、戦後、労働組合と使用者が良好な関係を保つために設けられたものである。弁護士、大学教授等の中立的な公益委員と、労働組合関係者等からなる労働者委員、使用者団体等の関係者からなる使用者委員の三者による組織で、労使双方にバランスがとれた解決が見つけられるような委員構成となっている。現在は、労働組合に関わる問題だけでなく、個人と使用者の労働関係の問題解決を労使の「あっせん」というかたちで、各都道府県の委員会でできることになっており、その運用も柔軟にできるようになっている。また、実際に問題が起きた時の調整だけでなく、労働相談を行っている自治体も多い。
 三重県の調査では、地方移住への不安で2番目に多いのが、「コミュニティとの人間関係」(23.0%)であり、周囲に相談者がいない不安を持ちながら移住してきた投票者に、相談先を示すことは意味があるだろう。

 

5.まとめ

 テレワークという新しい働き方は、提唱から約70年を経過した「足による投票」の可能性を広げたが、それは、働く上での新しい不安を伴った投票であることは否めない。既存の制度を拡充しつつ対応への準備をしておくことが、「足による投票」をしてくれた人々に末永く投票し続けてもらうためのポイントかもしれない。 


参考文献

浅羽隆史「足による投票の現実性」白鴎法学第15巻2号(通巻第32号)(2008)
株式会社リクルート 地方移住および多拠点居住の考え方についてのアンケート調査 2021810()18()
三重県「全国の地方移住経験者に対する意識調査」201912月~20201
内閣府「第3回新型コロナウイルス感染症の影響下における生活意識・行動の変化に関する調査」令和3年6月4日
内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局「東京圏、地方での暮らしや移住及び地方への関心に関する意識調査」令和2年9月
総務省統計局 統計Today168 新型コロナウイルス感染症の流行と東京都の国内移動者数の状況-住民基本台帳人口移動報告2020年の結果から-