人々の思いを紡ぐ
毎日新聞No.614【令和4年5月1日発行】
今冬に、ふとしたことから親と全く話さなくなった。自分でもいい年して何をやっているのかと嫌になる。話さない日々の分だけ余計に話しにくくなり、無言の日々が続く毎日。
そんな中で3月24日に行われたサッカー・ワールドカップ(W杯)の最終予選日本対オーストラリア。日本が勝てばW杯出場の大一番である。仕事を早々に切り上げ、自宅にてサッカー大好き一家でのテレビ観戦。そして、ホイッスルの笛とともに、家庭の沈黙が破られる。「いけ!」「前へ!」「シュート!」。勝って欲しいという〝思い〟が思わず言葉としてこぼれ出てしまう。いつの間にか、わだかまりなどはどうでもよくなり、一丸となって応援していた。
日常においても、年齢も育ってきた環境も異なる人と「サッカー」という言葉をきっかけに会話が弾むことがよくある。ヴァンフォーレ甲府のファンでもある筆者は、以前、小瀬陸上競技場にて行われた松本山雅FCとの試合、いわゆる甲信ダービーを観戦した際、勝敗は記憶にないが、見知らぬ老夫婦にふと声をかけられ、選手のプレーについて会話し、気がつけば一緒に応援していた。そして、ヴァンフォーレ甲府がゴールを決めた瞬間、老若男女問わず見ず知らずの人たちとハイタッチを交わしていた。すると松本山雅FCの青年ファンからも「悔しいけどいいゴールでしたね」と声をかけてもらった。そこから、敵味方の隔てなく一緒にサッカーを盛り上げていきたいという思いの共有や、「ほうとう食べましたか?」などといった山梨と長野の紹介へと広がっていった。
「スポーツは言語の壁を超える」と言われている。それ以上に、サッカーを通じた経験として、スポーツは、敵も味方も関係なく、プレーしている人も観戦、応援している人も、それぞれの〝思いと時を紡ぐ〟共通言語だと信じてやまない。
私も、幸いなことに、サッカーを通じて、これまで多様な人々とつながりを持てている。シンクタンクの研究員として、数値的根拠も重要なことと認識しているが、人々の根本にある「思い」あっての社会である。こうした人々の思いをくみ取り、思いを紡ぎ、人々をつなげることが「幸福な地域社会の実現」の第一歩であると感じている。
(山梨総合研究所 主任研究員 廣瀬 友幸)