入力に対する二つの出力
毎日新聞No.616【令和4年5月29日発行】
私事で恐縮だが、第1子が生後7カ月になって人見知りが始まるようになった。最近は知らない人が顔をのぞき込むと火が付いたように泣いてしまうことがあるが、そんな時はヨシヨシ大丈夫だよとあやしながら慣れていってもらうことにしている。
情緒の発達に関して1932年に提唱されたブリッジスの分化図式によれば、人の感情的反応は、産まれてすぐは“興奮”しかなく、3カ月頃からそこに“快”と“不快”が加わり、6カ月頃から不快の感情の中に“恐れ”などの反応が見られるようになるそうだ。外部からの刺激という入力に対して、感情的反応が出力されると考えると、我が子の例で言えば、「知らない人の顔」という入力に対して、「恐い」という出力がなされて泣きだす、ということになる。これは子どもだけでなく大人にも言えることで、成長の過程で経験による違いはあれど、外部からの入力に対しては何かしらの感情的な出力をしている。
ただ、大人になる過程で、我々は正解のある事柄、学業ならテスト問題に対する正答、仕事ならオーダーに対しての成果品のように、求められる“正しい出力”をすることを身に付けていく。その中で“面白い”や“つまらない”といった自分の気持ちとは別に、求められる正しい出力を作り出す機会が増えていくことになる。さらにそのような機会が増えると自分の感情的な出力を意識せずに正しい出力をすることに注力してしまう。果たしてそれでいいのだろうか。
今後はコンピューターやAIの進歩によって正しい出力は一般化し、ある程度外部化することができる世の中になっていくだろう。そうなったときに我々は、入力に対しての正しい出力だけでなく、AIなどにはない感情的な出力を大切すべきではないだろうか。
そのためには、まずは自分自身の感情的な出力を認識することから始めていくべきだと思う。自分が何に快・不快を出力するのかを知ることは、“正しさ”だけに留まらない自分自身の基準の確立につながるだろう。そして新しい基準は新しい未来を生み出していく。
これからはそんな基準を持った大人が増えてほしいと思うし、我が子にもそんな大人に成長してもらいたいと思う。
(山梨総合研究所 主任研究員 前田 将司)