Vol.289-2 地方が注目される時代
公益財団法人 山梨総合研究所
理事長 今井 久
1.はじめに
2018年6月、東京の岩波ホールで「マルクス・エンゲルス」という映画を観た。カール・マルクス生誕200年を記念して作られた映画である。私自身、特別マルクスを崇拝しているわけではないが、資本論に書かれている「労働の搾取」と、それが原因ともされる「格差」には関心があった。そんな思想がどのようにして育まれたのか、若き日のマルクスには興味があった。
映画の冒頭は、官吏たちが馬に乗って森を駆け巡り、森に落ちている枝を拾っている人々を追い回し、さらには暴力を加えるシーンであった。それ以前は、森の恵みはみんなのものであったが、その当時に制定された「木材窃盗取締法」によって、森の所有者は落ちている枝を拾う人々を窃盗罪で捕えようとしていた。
そんな時代背景の中、1840年代のヨーロッパでは産業革命が進行していた。プラスの面は経済成長であるが、マイナスの面は、産業革命が生んだ社会のひずみにより広がった格差である。貧しい人の割合が増え、人々は不当ともとれる労働を強いられていた。20代半ばのカール・マルクスは、搾取と不平等な世界に対して政治批判を展開していたが、それによってドイツを追われてしまう。フランスへ移り住んだマルクスは、パリでフリードリヒ・エンゲルスと再会し、深い友情をはぐくんでいった。そして生まれたのが「共産党宣言」である。これはその後の「資本論」へとつながっていく。
2.資本主義の行き詰まり
「資本論」が世に出て150年余りが過ぎているが、世界中で経済格差は次第に大きくなり、そして深刻になってきている。過去50年の先進主要国の、社会における所得の不平等さを測る指標である「ジニ係数」を見てみると、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスといった先進国では増加傾向にある。日本も例外ではない。どの国も所得格差が増加してきている。
2013年にトマ・ピケティによって書かれた「21世紀の資本」では、過去300年に遡り、資本の収益率と経済成長率を比較している。[1]その研究では、資本の収益率が経済成長率を上回っていることが検証された。要するに、資本を持っている人の場合、その資本は経済成長より高い割合で増加するので、資本を持っている人と持っていない人の経済格差は広がることになる。資本の有無による経済格差が広がってきたことを歴史的に証明したのである。
2014年8月の朝日新聞には、「偏る富と雇用:所得上位1割の収入、全国民の5割」の記事が掲載された。[2]アメリカでの話である。また、2018年1月、国際NGO「オックスファム」は、世界で1年間に生み出された富(保有資産の増加分)のうち82%を、世界で最も豊かな上位1%が独占し、経済的に恵まれない下から半分(37億人)は財産が増えなかったとする報告書を発表した。[3]
2021年には、「世界不平等レポート2022」が発表された。[4]このレポートは、前述したトマ・ピケティが設立した「世界不平等研究所」がまとめたものである。このレポートでは、世界の上位1%の富裕層が、世界の富の37.8%を所有し、さらには、上位10%は世界の富の76%を保有していることが報告された。
経済格差以外の点においても、最近では資本主義の行き詰まりが指摘されている。例えば、2021年に新書大賞の大賞を受賞した「人新世の資本論」を例に挙げよう。[5]人新世とは、オゾンホールの研究でノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェンらが提唱した概念である。具体的には、人類が地球の地質や生態系に与えた影響に注目して提案された、地質時代における現代を含む区分である。ただし、地質学の国際組織である「国際地質科学連合」に公式に認められた時代区分ではない。簡単に言うと「人間の新たな時代」を意味している。恐竜が生きていた時代区分は「中生代」そして「白亜紀」である。その後、「新生代」「第四紀」と続き、「完新世」から私たち人類の活動は始まり現代まで続いている。しかし、産業革命以後の約200年間に人類がもたらした戦争や森林破壊における環境への影響や気候変動はあまりに大きく、「完新世」はもはや人類中心の「人新世」となっているというのが、パウル・クルッツェンらの主張である。
豊かさを求めて世界中が追い求めてきた資本主義であるが、「人新世の資本論」では、経済成長を支えるため、多くの資源を求めて地球を開発してきた結果、人類はこれまで経験したことのない気候変動の危機に直面していると主張している。
資本主義がグローバル化していく中、人は豊かになるために地球を開発し、その先にある自然資源などを商品化して経済成長を遂げてきたが、「人新世」では資本主義が膨張を繰り返したことで、地球に限界がきていると分析している。
3.時代の流れ
そんな中、世界中が脱炭素社会に向けて動き始めている。SDGsである。2015年9月25日の国連総会において、持続可能な開発のために必要不可欠な、向こう15年間の新たな行動計画として「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」が可決された。2030年までに達成すべき持続可能な開発目標(SDGs)として17の世界的目標と169の達成基準が示された。
日本においても、そして山梨においても、日常の経済活動にSDGsは浸透してきている。私としては、SDGsに関する取り組みは、例えば企業の活動においては、「SDGsのために何かをしている」ということではなく、SDGsにそぐわない活動を排除するようなベンチマークとして使うことが望ましいと考えている。我々の活動すべてがSDGsに即していないと、持続可能な社会は達成されないのではないだろうか。
SDGsの中でも、特に環境問題は注目されている。スウェーデンの環境家として知られているグレタ・トゥーンベリは、主に地球温暖化の弊害を訴え続けている。彼女の活動は、環境問題に関心のある若者を中心に、世界中から支持を得ている。
彼女の活動は、カナダの環境問題活動家であるセヴァン・スズキを彷彿させる。今から30年前の1992年、当時まだ12歳の彼女は、リオデジャネイロで開催された環境サミットにおいて、子どもの視点からの環境問題についての講演を行い、満場の拍手喝采を博した。この講演は「伝説のスピーチ」として今も語り継がれている。「大人のみなさん、どうやって直すのかわからないものを、壊し続けるのはもうやめてください。」と環境破壊を止めることを訴えた。
注目を集めたスピーチであったが、世の中を変えるまでには至らなかった。時代である。同じような活動をしているグレタは今や時の人である。時代がそうさせているし、地球環境に関しては待ったなしの時代が訪れていることも後押ししている。
4.新しい価値観
環境問題、地球温暖化、脱炭素化を考えるとき、一つのキーワードがある。「エコロジカル・フットプリント」である。エコロジカル・フットプリントとは、人間の活動において、地球環境にかけている負荷の大きさを表す指標である。人間が使用する資源を再生産するための土地の面積と、廃棄物の浄化に必要な土地の面積の合計を表している。環境に負荷をかける要因の例としては、二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガスの排出や、森林伐採などによる資源の利用、魚を過剰に捕獲することなどがある。

2021年3月、総合地球環境学研究所は、都道府県別のエコロジカル・フットプリントを発表した。[6]結果は、47都道府県の中で、山梨県のエコロジカル・フットプリントが最低で、東京都が最高であった。換言すると、人口一人当たりにおいて、山梨県の環境負荷が日本で一番低く、東京都が一番高かった。
地球環境を考えるとき、これからは山梨県のような地方が注目され、重要な役割を担うようになってくるのではないだろうか。「人新世の資本論」では、グローバル資本主義の限界も指摘されている。我々は、より早く、より遠く、より多くモノを運べるようになり、人やモノの移動こそが今日における世界の豊かさの根源とも考えられる。一方、化石燃料を含めた膨大な資源が消費され、地球環境がますます破壊されてきてしまった。私たちの根本的な生存条件を脅かす事態が、まさに行き過ぎてしまったグローバル資本主義がもたらしたマイナスの結果であり、それがいかに破壊的であったのかを示している。
山梨総合研究所でも同じような問題意識を持って、地域の企業の研究を始めた。2020年度から自主研究として、山梨県中小企業家同友会との共同により、「地域において持続可能な経営を行うためには何が必要なのか」を明らかにすることを目指した調査研究を開始した。この研究では、地域に根差した中小企業が、その経済活動を将来にわたり持続可能なものとしていくため、企業と地域社会との「つながり」を核とした経営に着目し、今後の中小企業経営の指針を示すことを目的としている。グルーバル経済に対抗する概念として、地域への貢献を測る新たな「ものさし」を模索している。

5.コロナ禍の影響
このような流れに、新型コロナウイルスのまん延が拍車をかけたと言っても過言ではない。新型コロナ感染症の最初の患者が中国の武漢で確認されたのが、2019年12月1日 であった。 その後、武漢において新型コロナ感染症患者は増え続け、12月31日には世界保健機関(WHO)に正式に報告された。
この感染症は世界中に拡がり、日本では、2020年1月16日に武漢への渡航歴のある男性が最初の患者として確認された。その約1カ月後、横浜に停泊したクルーズ船における集団感染事例で検出されたのは記憶に新しい。その後、コロナ患者が急速に増加し、今になっても収束には至っていない。
2020年と2021年は、コロナに振り回された2年間だった。筆者は大学で教えているが、コロナ前には、遠隔授業などというものは実際に行ったことがなかったし、ましてや考えたこともなかった。それが、2020年4月の新学期から、授業は原則遠隔対応になった。LINEなどのSNSも学生との情報交換に必要なツールとなった。今となれば、多くの教員は遠隔授業のプロとなった。というより、遠隔授業ができないと仕事にならないのである。
企業においても、リモートワークが当たり前になり、会議に関しても、遠隔で行われるケースが多くなった。会議に関しては遠隔で行うメリットも確認され、アフターコロナにおいても、遠隔での会議はなくならないと思われる。
また、このような就労形態の変化は、我々のライフスタイルにも変化をもたらしてきた。どこにいても仕事ができるのであれば、家賃や生活費の高い都会を敬遠し、自然豊かで暮らしやすい地方を選ぶ人も増えてきた。
6.地方が注目される時代
本県は、訪れる人口を増やすために「週末は山梨にいます。」をキャッチフレーズに、キャンペーンを行ってきた。このキャッチフレーズは、平日は都心へ向かう(仕事へ向かう)大人が、週末は「いやし日本一の県・山梨」でリフレッシュする時間を過ごすイメージを表現している。

21世紀は水と空気の時代であり、山梨県は都会の人々があこがれる「美しい山の都、森の都」とも考えられる。そこで、首都圏に位置する地理的優位性などにより、首都圏を重点エリアとし、時間的経済的にゆとりのあるシニア層を主たるターゲットにした「身近なオトナの田舎」としてのイメージ定着を図った。換言すると、首都圏のシニア層をメインターゲットとした「滞在型の観光地づくり」である。これは山梨にとって重要な戦略であり、今後も進めていくべきであると考えている。
一方、新しい価値観のもとでは、違った戦略も考えられる。筆者が、2021年12月12日の毎日新聞に寄稿したコラムのタイトルは「週末は東京にいます」である。[7]以下がその内容である。
『総務省が先日公表した国勢調査の確定値によると、2020年10月1日時点の山梨県の人口は81万人を下回った。5年ごとの調査であるので5年前との比較となるが、約2万5千人減少した。全国的に見ても、前回の41番目から42番目に後退した。
しかし、ここ1年を見てみると違った傾向も見えてくる。今年の10月1日までの1年間における山梨県の人口の社会増減は306人の増加であった。わずかではあるが、年間で社会増になったのは2001年以来、月別でも、10月1日まで6か月連続で増加している。
過去20年を振り返ってみると、毎年平均で約2000人の社会減があり、最も多い年では3377人の社会減を記録している。そう考えると、ここ1年の社会増は画期的なことであり、コロナ禍における人々の価値観の変化が要因であることは間違いない。
東京圏にアクセスが良く、自然が豊かで、経済的にも暮らしやすい山梨を移住先として選ぶ人が増えてきているのではないだろうか。県内でデジタル関連の仕事をされている方によると、都内から山梨に移住してきたデジタルクリエーターは少なくないという。遠隔で仕事をするケースが多いため、生活環境を考えて山梨に移住してきている。
若者にとっても、山梨は居住地として魅力的な存在になりつつある。ただ、重要なのはそこでの仕事である。更に言うと、仕事や生活における自己実現感が重要になってくる。
遠隔で仕事ができる環境があり、東京圏での会社で仕事ができる場合、山梨にいながら自己実現が達成できる。課題は、県内の企業が若者が自己実現できるような環境を提供できるかどうかであり、そのためには企業側の意識改革も必要となる。
一方、遊びも含めていろいろな意味で東京圏が魅力的に感じる人も少なくない。そこで、山梨に居住しながら、週末は東京に出かけていくといったライフスタイルは今後増えてくるのではないだろうか。これも、東京圏にアクセスがいい山梨ならではの魅力である。私も、ここ1-2年はコロナ禍の影響で出かけてはいないが、東京に行って刺激をもらうことも多々ある。
山梨にいながら東京も、そんなライフスタイルが定着してきたら山梨県の人口減にも歯止めがかかるのではないだろうか。』
このコラムでは、山梨県の魅力を取り上げているが、本稿では山梨県が他の県と比べて優れているということを言いたい訳では決してない。日本の地方にはそれぞれ特徴ある資源があり、魅力があり、それらがその地域の豊かさと大きく結びついている。
持続可能な社会を目指していくためには、資本主義に関して、そして環境問題に関して大きな価値観の変化が起こっているのは前述した通りである。そんな中でのコロナ禍であるが、労働も含めたライフスタイルに関する価値観にも大きな影響を与えている。日本においては、地方がより注目される時代になってきていると実感している。
References
[1] トマ・ピケティ(2013)「21世紀の資本」, みすず書房
[2] 「偏る富と雇用:所得上位1割の収入、全国民の5割」 朝日新聞, 2014年8月21日, 朝刊
[3] 報告書「Reward Work, Not Wealth」, 国際NGO「オックスファム」, 2018年1月22日
[4] World Inequality Report 2022, World Inequality Lab, 2021年12月7日
[6] Kazuaki Tsuchiya, Katsunori Iha, Adeline Murthy, David Lin, Selen Altiok, Christoph D.D. Rupprecht, Hisako Kiyono, Steven R. McGreevy(2021)”Decentralization & local food: Japan’s regional Ecological Footprints indicate localized sustainability strategies” Journal of Cleaner Production
[7] 行動するシンクタンク 21世紀 do tank 発「週末は東京にいます」, 毎日新聞山梨版, 2021年12月12日, 朝刊