Vol.290-2 「ウェルビーイング」:幸せを測る指標について
公益財団法人 山梨総合研究所
主任研究員 前田 将司
1.はじめに
公益財団法人山梨総合研究所は今年で創立25年目を迎えた。節目となる年に新たに作成したパンフレットの中で、山梨総合研究所のパーパス(目指すべき社会の実現に向けた組織の存在意義)について「多様な人材の集合知により、さまざまな調査手法などを活用しながら豊かさを超えた『幸福な地域社会の実現』を目指す」と定めている。
このパーパスについて改めて考えるときに、気になるフレーズは「幸福な地域社会の実現」だと思う。幸福という言葉一つだけでも、人によってそれぞれ考え方が違うだろう。幸福論については、アラン、ショーペンハウアー、ラッセル、老子、椎名林檎など古今東西を問わず語られてきたが、幸福な地域社会を実現するうえで、幸せの基準がそれぞれ違うと、みんながどこに向かえばいいのか、何を目指せばいいのかが決まらない。世の中がこれだけ不確実で複雑になってくると、そもそも地域の幸せはどのように創ればいいのか、誰かが明確に示すことも難しいだろう。
では、地域でより多くの人が幸せになるにはどうすればいいのだろうか?このような疑問に対して、昨今聞かれるようになった「ウェルビーイング」に着目して考えてみたい。
2.ウェルビーイングの概要と取り組み状況
ウェルビーイングとは心身と社会的な健康を意味する概念のことをいう。ウェルビーイングは直訳すると良い(Well)状態(being)となり、広義には、幸福、健康、福利、福祉を意味する。1947年に採択されたWHO憲章の前文で、「健康は、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてがウェルビーイングな状態にあること」という表現がなされたが、それが今日まで使われるようになっている。
ウェルビーイングは、一時的に感じる幸福ではなく、肉体的・精神的・社会的に良好な状態として持続する幸福を意味する言葉として使われ、幸福についての目安として考えられている。これまでは国際的な目安として、GDPのような客観的な統計指標を用いていたが、人々の生活の質がどれくらい向上しているかといった豊かさを計測するには十分ではないという議論が欧米などで高まってきたことにより、人々の幸福を図るのによりふさわしい指標が求められるようになった。このため、何らかの方法で幸福を測るための指標を採用する取り組みが世界中で始まっている。
日本では経済財政運営と改革の基本方針2021(2021年6月閣議決定)において「政府の各種の基本計画等について、Well-being に関するKPIを設定する」とされたことを受けて、内閣府を主導に内閣官房、消費者庁、デジタル庁、総務省、外務省、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、国土交通省、環境省からなる「Well-being に関する関係府省庁連絡会議」が設置された。ウェルビーイングに関する動きとして、文部科学省の教育振興基本計画や内閣府の子供・若者育成支援推進大綱などに人の役に立つ人間になりたいと思う気持ちや子供の自己肯定感などが盛り込まれるようになってきている。また今後行われる調査において、ウェルビーイングに関する課題が分析できるような改善が検討されたり、個別に行われる事業の評価においてもウェルビーイングに関する指標を盛り込むことなどが検討されている。今後もさまざまな施策の中にウェルビーイングの考え方は盛り込まれるようになるだろう。
3.ウェルビーイングに関する指標
では、ウェルビーイングに関する指標とはどのようなものがあるだろうか。ここではウェルビーイングに関して、すでに世界的に活用されている指標から、これから活用が期待される指標まで主な指標をいくつかご紹介する。
1 世界幸福度報告
世界で良く知られている指標として、国連が2012年から発行している「World Happiness Report(世界幸福度報告)」という幸福度調査で算出される指標がある。この調査では、「キャントリルの梯子(ハシゴ)」 と呼ばれる質問で測定される主観的幸福度を国ごとに公表している。日本の主観的幸福度は当初は低下傾向にあったが、2022年のレポートでは若干だが改善している。
またこの調査では各国の主観的幸福度に対して、
- 一人当たりGDP
- 社会的支援(ソーシャルサポート、困ったときに頼ることができる親戚や友人がいるか)
- 健康寿命
- 人生選択の自由度(人生で何をするかの選択の自由に満足しているか)
- 寛容さ(過去1か月の間にチャリティなどに寄付をしたことがあるか)
- 腐敗認知度(不満・悲しみ・怒りの少なさ、社会・政府に腐敗が蔓延していないか)
の六つの要素がどの程度寄与しているかが分析されていて、その国の人々の主観的な幸せに対して、どの要素が因果関係を持っているか、どの要素が高い人ほど主観的な幸福度が高いかを示している。例えば日本でそれぞれの要素について見てみると、健康寿命の寄与度が世界で最も高くなっているが、寄付行為があまり一般的でないこともあってか、寄付の有無を基準とする寛容さの寄与度が他の国よりもかなり低くなっている。
ただ何をすれば健康寿命が延びるのか、何をすれば寛容さの基準となる寄付行為が増えるのかについては、その国ごとの特性を知ったうえで改めて分析していく必要がある。○○をすれば世界幸福度報告で日本の主観的な幸福度が高くなる、と言えるわけではないため、各国の取り組みの結果を図るための指標として活用されるものと言えるだろう。
2 統合指標
次に紹介するのが日本経済新聞社と公益財団法人Well-being for Planet Earthが中心となり創設した「日本版Well-being Initiative」が取り組む新たな企業指標、『統合指標』だ。「日本版Well-being Initiative」は、「より良い社会をデザインしていくためにWell-beingの概念と新しい指標を、これからの社会のアジェンダ(取り組むべき課題)にすること」を目的にしており、ホームページでは日本のWell-being実感調査の結果を公表したり、有識者のインタビューなどを掲載したりしているが、その中で統合指標を企業にとって財務指標に代わる新たな指標として提案している。
世界の潮流が短期成長から持続的発展へと変わる中で、企業にも短期成長だけでない持続的発展が求められるようになってきている。統合指標は、短期的な業績(「事業」)だけでなく持続的発展に欠かせない「社員」「環境」「社会」への貢献までを含めた4象限で企業の価値を見える化しており、財務諸表だけでは伝えられなかった価値を伝えるフォーマットとなっている。このフォーマットを使うことで、そもそもその会社のパーパスや、それを起点にどんな戦略を策定しているのか、そのために具体的にどんな活動を行い、何をKPIにしているのかをまとめて整理することができる。
図1:統合指標Ver1.0(日本版Well-being Initiative HPより)
現在HPに掲載されている統合指標はVer1.0(図1)となっており、事業以外の部分を裏付ける非財務諸表については今後整理がされることになると思われる。現在のバージョンでもパーパスとそれに基づく取り組みが見える化されるため、投資家や取引先だけでなく、社員や消費者、就職希望者にとっても情報共有しやすくなり、その企業がどのような会社であるかをさまざまな側面から見ることができるようになる。今後公開されることになる非財務諸表がどのようなものになるか、引き続き注目してみたい。
なお、日本版 Well-being InitiativeのHPでは四半期毎に GDW(Gross Domestic Well-being:国内総充実)を公開し、GDP を補う重要な経済社会の概念として推進していくとしている。GDWはまだ具体的な指標として表されていないが、今後どのような指標とすべきかの議論が深まっていくことになるだろう。
3 Liveable Well-Being City 指標
最後に紹介するLiveable Well-Being City指標(以下、「LWC指標」)は、全国47都道府県の市町村の「市民の幸福感を高めるまちづくりの指標」として一般社団法人スマートシティ・インスティテュート(SCI-Japan)が公表したものである。この指標は岸田内閣が推進する「デジタル田園都市国家構想」の実現に向けて活用することを目的にしており、LWC指標利用のガイドブックはデジタル庁とSCI-Japanが共同で作成している。
LWC指標は市民の視点から「暮らしやすさ」と「幸福感(Well-being)」を数値化・可視化するために作られたもので、心(主観的幸福感)、行動(活動実績)、環境(生活環境)の三つに分類される56の指標を用いることで自治体ごとの特徴を把握することができる。SCI-Japanのホームページでは、心と行動に該当する主観的幸福感を計測する四つの調査と主観的な暮らしやすさを計測する追加調査の結果が令和4年9月に公表された(この先行調査は全国34,000人を対象としており、山梨県内では141人が回答している)。また環境の指標は、「暮らしやすさ客観指標」として身体・社会・精神の健康に関わる全国の市町村データが同年7月に公表されている。
これらの指標は、それぞれのデータの関係を分析することで、自治体において何が自分たちの幸福の向上につながる要因なのかを洗い出すことができるようになる。分析方法については、今後LWC指標の利活用ガイドブックに追加掲載される予定だが、本格的に活用すれば、自治体にとってこれまで行ってきた施策がどのように住民のウェルビーイングに貢献しているかを把握することができる有力なツールとなるだろう。
それぞれの指標の内容については以下の通りだ。
心と行動の指標は、主観的幸福感についてはマズローの欲求階層説を元にした精神、社会、身体を含むウェルビーイングを測るため、ヘドニア(感覚的快楽・心地の良い幸せ)、ユーダイモ二ア(自己実現や生きがいを感じることで得られる幸せ)、メディカル(医療体制など医学的に得られる幸せ)の視点に基づいて測定されている。先行調査を踏まえて、自治体がこれらの指標に関する実地調査を行う方法については、今後デジタル庁が公表する予定となっている。
また環境の指標についてはオープンデータを基に作成されており、身体的健康に関するKPIは一人あたり国民健康保険医療費(厚生労働省「医療費の地域差分析」より)や駅またはバス停留所徒歩圏人口カバー率(国土交通省「国土数値情報」より)などの個人が快適に暮らすことに関する45項目、社会的健康に関するKPIは可住地面積あたり幼稚園数(文部科学省「学校基本統計」より)や10万人あたり娯楽業事業所数(総務省「経済センサス‐活動調査」より)などの人々が社会的な生活を送るうえで重要となる60項目、精神的健康に関するKPIは10万人あたり劇場・音楽堂の数(文部科学省「社会教育統計」より)や自治体における管理職の女性割合(内閣府より)など地域のクリエイティブさや多様性につながる20項目から構成され、それらのデータを基にする計22の指標が設定されている。山梨県内の27市町村についても環境指標のデータとレーダーチャートが公表されており、それぞれのデータから各市町村の環境的な特徴が分かってくる。[1]
図2:県内自治体のLWC指標における環境指標レーダーチャートとKPI折れ線グラフ
LWC指標の利活用ガイドブックには指標そのものの説明だけでなく、指標をもちいた住民同士の対話により住民目線からの幸福度向上のための仮説やそれに基づくストーリー作りなど、実際に活用する際に推奨される使い方が掲載されている。全国の市町村をカバーする統一的な指標となりうるものなので、指標自体が今後も活用できるようになっていくことを期待している。
4.ウェルビーイング指標を自治体において用いる場合の考察
ウェルビーイングの指標を三つ紹介したが、世界ではウェルビーイングに関する指標が意思決定や政策決定に活用されはじめている。スコットランドやニュージーランド、フィンランドなど国々は、ウェルビーイング・エコノミー・ガバメンツ(WEGo)のネットワークを設立しており、特にニュージーランドでは国民の幸福度を高めるために使用する予算が確保されるなど積極的な取り組みが始まっている。国内ではウェルビーイングに関する指標は、まだ開発途中の段階であり、指標活用の成果は現時点では明確になっていない。ただ将来的な活用を見越して、自治体は積極的に関わっていくべきだと筆者は考えており、そのうえで活用の重要性について以下の考察を行った。
(1)住民側から見たメリット
自治体にはそれぞれ特徴がある。自然豊かな地域もあれば、快適な都市生活ができる地域もあるだろう。それらの自治体の特徴がどのような属性(子育て中の男性、リタイアした老夫婦、起業を志す若者など)を幸せにしやすいか、ウェルビーイングの指標を用いることで測ることができるようになりつつある。先に紹介したLWC指標であれば住民のウェルビーイングにつながる施策の進捗とそれによるウェルビーイングの向上を定量的に把握して改善につなげていくことができるようになるが、その結果についても客観的にわかるようになる。住民にとって自治体の施策がどのように自分たちの生活に影響しているかわかるため、地域行政に対して提案や要望をするきっかけになり、より主体的な住民自治の実現につながると考えられる。
また引っ越しや移住の際に自分が幸せになれる自治体を選ぶことは、今でもある程度行われているが、それがデータに基づいて行われることになれば、車や保険のように自治体についても複数の選択肢を比較することができるようになるかもしれない。どの自治体が自分に合っているのかを考えることは、自分自身の幸せについてより深く考えるきっかけになり、地域に住む一人ひとりのウェルビーイングな生活の実現につながるだろう。
(2)自治体運営上のメリット
今後の自治体運営は日本の人口減少に伴って、今まで以上に予算上・人員上の制限を受けることになることが予想され、そのうえでさまざまな施策を行わなければならないため、非常に困難なものになっていく。ただ今後ウェルビーイングにまつわる指標を活用することによって、地域社会の幸せにつながる因果関係を見いだすことができれば、取り組むべきことに優先順位をつけてリソースを集中させることができる。また行政の仕事に関わる人にとっても、施策が地域の幸せにつながることがわかるので、やりがいや納得感が増し主観的幸福度も高まっていくのではないだろうか。
さらに因果関係が明確になるということは、そこに民間事業者が事業利益を見いだすことができる可能性がある。これまで行政が担ってきた役割を、民間が事業として実施することができれば更なる行政のスリム化を図ることにもつながるだろう。
(3)ウェルビーイングを導入するうえで留意すべきこと
行政が政策決定にウェルビーイングに関する指標を導入する場合、アンケート調査や統計等の各種データがすべての議論の前提になってくる。ICTの発達により多くのデータが整うようになってきたとはいえ、情報の不開示は議論につながる道を閉ざしてしまうし、統計の改ざんに至ってはすべての議論を台無しにしてしまうものである。行政に関わる職員は、これまで以上に厳正にデータを取り扱わなければならない。
また指標の中身についても住民と積極的に議論をしていく必要があるだろう。指標は幸福を測る目安の一つであって、行政がすべての幸福の定義を決めてしまうのは全体主義のような社会につながってしまうため、絶対に避けなければならない。行政で作成する計画などに基づいて、住民との意見交換の場を定期的に設定するなどして幸福の多様性の確保に努めるべきだろう。
5.最後に
日本が一億総中流社会といわれた頃には、三種の神器がそろった生活のような幸せのモデルケースが描かれていることが多かったように思う。しかしそのころから社会は大きく変わり、現在は幸せのモデルケースをほかの誰かが示すことはできなくなってきているように思う。皆が産まれてから死ぬまで、それぞれが多様なライフイベントを経て日々の生活を送ることになるだろう。しかし、どのような状況になっても、自分に合った幸せを享受することができるような社会がウェルビーイングな社会と言えるだろう。
地域社会も、地域ごとのさまざまな個性を前提にしてそれを伸ばしていくことができれば、多様な幸せ観を持った人々にとっての多様な受け皿ができあがるだろう。これからはさまざまなバラエティーに富んだ受け皿が一人ひとりの人生を彩ってくれるような、そんな社会の実現を目指していきたいと筆者は考えており、ウェルビーイングに関する指標がその一助となることを期待している。
[1] 県内では文化芸術の数値が際立って高い市町村があるが、これは「人口当たりの図書館の数(文部科学省「社会教育統計」より)」がKPIに設定されているため、町村合併で複数の図書館がある場合や人口規模の小さい自治体で図書館がある場合に際立って高くなることが原因と考えられる。
なお、これらのデータは各自治体の特徴を表すために用いるもので、自治体間の優劣やランキング付けなどにもちいるものではない。