「成長」から「成熟」へ
山梨日日新聞No.12【令和4年11月12日発行】
新型コロナウイルスの影響を受けつつも、かつての日常を取り戻しつつあると思われた中、国際情勢の変化を起因とした世界的な物価高により市民の生活や経済活動に再び大きな影響が出ている。IMF(国際通貨基金)が10月に公表した世界経済見通しによれば、世界経済の成長率は今年の3.2%から来年は2.7%へ鈍化すると見込まれており、世界金融危機と新型コロナウイルスの影響が深刻だった一時期を除いて、2001年以降で最も低い成長の推移となるそうだ。コロナ禍以前から既にG7などのいわゆる先進国では長期的な低成長の傾向にあったが、今回の状況を受け、改めて私が考えるのは、私たちの社会や経済は成長し続けられるのか、という問いである。
近代以降、私たちの社会では「経済は成長し続けなければならない」という価値観が深く根付いており、政府のマニフェストには常に成長戦略が掲げられ、メディアなどでもGDP成長率が取り沙汰されている。しかし、経済成長には労働人口の安定的な確保が必要とされる中で、日本における生産年齢人口は1995年をピークに減少し続けており、それとともにGDP成長率も停滞しているのが現状である。また、大量生産によるモノの飽和と人口減少により、市場における需要も頭打ちとなっており、このような状況にあっては、経済成長は既に限界を迎えている、言い換えれば、私たちの社会は成長過程にあるのではなく、既に成熟していると言えるのではないだろうか。加えて、環境問題やサブプライムローン問題に代表される経済のマネーゲーム化といった現代の経済システムにおける課題が明確となった今、私たちがやるべきことは、経済成長に対する延命措置ではなく、成熟した社会を受け入れ、経済が成長しない状態でも豊かに生きるための社会システムを考えることである。
世界的な経済発展の皮切りとなった大航海時代以降、世界各国は自らの市場を拡大・成長させるために、「スピード」や「経済的合理性」、「遠さ」といったものを重視してきたが、経済成長が限界を迎えた現在にあっては、既にそれらの価値は失われている。私たちが豊かに生きるために、今まで経済発展の名の下に切り捨ててきた「緩やかさ」や「人間性」、「近さ」といったものに今一度目を向けてみるべきではないだろうか。例えば、人々の顔が見えるような「地域」という単位の中で、「地産地消」により地域の中で食糧やエネルギーをできるだけ調達しつつ、ヒト・モノ・カネが地域内で適切に循環するようなローカルな経済システムが、これからの成熟した社会では必要になってくるのかもしれない。
(山梨総合研究所 主任研究員 清水 洋介)