Vol.292-2 社会的包摂と文化・芸術


 公益財団法人 山梨総合研究所
主任研究員 廣瀬 友幸

1.はじめに

 社会的包摂(Social Inclusion)という言葉をご存じだろうか。ヨーロッパで、1980年代から90年代にかけて普及した概念である。第2次世界大戦後、人々の生活保障は福祉国家の拡大によって追求されてきたが、1970年代以降の低成長期において、失業と不安定雇用の拡大に伴い、若年者や移民などが福祉国家の基本的な諸制度(失業保険、健康保険等)から漏れ、さまざまな不利な条件が重なって生活の基礎的な供給支援が失われるとともに社会的な参加やつながりも絶たれるという「新たな貧困」、すなわち「社会的排除(Social Exclusion)」が拡大した。例として、「学習機会が不足」→「不安定な仕事に就職」→「発病」→「退職/失業」→「住居の不安定/喪失」→「家族離散」と想像した時、その人は家族からも会社、地域社会からも切り離されてしまっているかもしれない。これらに対応して、障害者、高齢者、子どもや子育て中の女性、経済的弱者やセクシャルマイノリティなど、社会的に困難を抱える人を含むすべての人々に社会参加を促し、生活困難を連鎖させない、いつでもどこかで支援を得ることができるなど、「社会的排除」を食い止めるために生まれた考え方が「社会的包摂」である。
 世界的な取り組みとして、2015年に国連総会で採択された持続可能な開発目標(SDGsSustainable Development Goals)は、「目標とターゲットがすべての国、すべての人々、及びすべての部分で満たされるよう、誰一人取り残さない(Leave No One Behind)」としているが、この誓いは、まさに「社会的包摂」という捉え方ができる。
 本寄稿は、「文化・芸術」の視点から社会的包摂について言及する。芸術はモノ的な側面(作品)とコト的な側面(プロセス)の性質を持ち合わせている。その芸術には、正解も不正解なく、人それぞれの社会的背景や生きてきた歴史、何を大事にしているかといった文化を表出化したものである。多様な人々が芸術活動を通じて、芸術のコト的な側面を共有し、それらを尊重、受け入れ合い、そこから生まれる規範・信頼関係など社会的基盤を構築することにより、誰一人取り残さない社会の形成につながることを期待し、「文化・芸術」の社会的・公共的役割について寄稿する。

 

2.社会的包摂に対する日本の動向

 EUでは、1980年代から社会的包摂に対する動きは活発であり、社会的排除を解決し、社会的包摂を進めていくため、所得、雇用、住居、健康、教育などの「社会的包摂関連指標(2015)」も掲げており、雇用を中心に、社会的排除への多面的な政策により取り組みがなされている。
 一方、日本での社会的包摂に対する動きはそれよりも遅れてはいるものの、20112月に閣議決定された、文化芸術に関する国の方針「文化芸術の振興に関する基本的な方針(第3次基本方針)」において、次のとおり記載された(抜粋)。

 文化芸術は、子ども・若者や、高齢者、障害者、失業者、在留外国人等にも社会参加の機会をひらく社会的基盤となり得るものであり、昨今、そのような社会包摂の機能も注目されつつある。このような認識の下、従来、社会的費用として捉える向きもあった文化芸術への公的支援に関する考え方を転換し、社会的必要性に基づく戦略的な投資と捉え直す。そして、成熟社会における新たな成長分野として潜在力を喚起するとともに、社会関係資本の増大を図る観点から、公共政策としての位置付けを明確化する。

 ここに記載された「社会関係資本(Social Capital、類語:社会資本、社会的資本)」とは、アメリカの政治学者ロバート・パットナムによれば「社会的な繋がり(ネットワーク)とそこから生まれる規範・信頼」とされ、人間関係が希薄になってきた現代において、チーム運営・地域社会・人間関係などにおいて、人々が活発に協調行動をすることによって、社会の効率性を高めることができるといった概念である。それまで、「文化・芸術」は、平和や心の豊さを表現する私的領域の活動に留まり、公共的役割での視点で見られることは少なく、行政にとっては、文化は個々人の活動への支援という色合いが強かったが、社会的基盤を築くために必要な成長分野の一つとして位置づけられたのである。
 20115月には、文化芸術を含めた日本全体の社会的包摂に対する考え方として、新たな社会的リスクとしての「孤立化」、「無縁社会」、「孤族」などの問題について、セーフティネットの強化を含めた社会的包摂を推進するための戦略策定を目的に設置された「一人ひとりを包摂する社会」特命チーム(内閣総理大臣指示)により「社会的包摂政策を進めるための基本的考え方」が示され、必要な取り組みとして、リスクの連鎖・累積を止めるための包括的・予防的な対応(アウトリーチ手法、居場所作り機能、関係者の真の連携体制確保、人材育成等)などが記載された。
 2017年には、「文化芸術基本法(2001年法律第148号)」が改正され、文化芸術と、福祉や教育等との連携について、次のとおり追記された(抜粋)。

 文化芸術の固有の意義と価値を尊重しつつ、観光、まちづくり、国際交流、福祉、教育、産業その他の各関連分野における施策との有機的な連携が図られるよう配慮されなければならない。

 この改正に基づき、文化芸術の「多様な価値」を活かして、「文化芸術立国」の実現を目指す「文化芸術推進基本計画(2018年、閣議決定)」の戦略4には次のとおり、地域の包摂的環境の推進について記載された(抜粋)。

 文化芸術活動に触れられる機会を、子供から高齢者まで、障害者や在留外国人などが生涯を通じて、あらゆる地域で容易に享受できる環境を整えるよう促すとともに、地域における多様な文化芸術を振興するなど、文化による多様な価値観の形成と地域の包摂的環境の推進による文化芸術の社会的価値の醸成を図る。

 このように、国により、文化芸術分野における社会的包摂への根拠が示されたことにより、各地方公共団体においても、注目が集まり、「文化・芸術」による社会的包摂への取り組みが強く意識されるようになってきている。

 

3.社会的包摂のための文化・芸術の役割・活動

(1)文化活動の役割

 まず、文化活動の役割を整理する。「公立文化会館運営ハンドブック(2007年、社団法人全国公立文化施設協会)」によると、公立文化会館の活動は、「対象」と「目的」の二つの軸から以下の四つのタイプに分類されるとしている。

出典:公立文化会館運営ハンドブック(2007年、社団法人全国公立文化施設協会)

1 公共文化会館の分類

 

 公立文化会館活動の役割を文化活動の役割と同様なものとすると、社会的包摂のための文化・芸術活動の役割は、地域の文化芸術の発展・振興自体でなく、それを通じた地域づくりに活かしていくことである。文化・芸術をツール(道具)として地域活性化や地域コミュニティの形成を目指す、④地域活性化タイプに分類されるだろう。
 また、「はじめての“社会包摂×文化芸術”ハンドブック(2019年、文化庁×九州大学共同研究チーム編)」では、文化活動の役割は、「人々や社会にとって大切なものとは何かを問う芸術活動を支援することで、多様で持続可能な社会に必要な文化の土壌を醸成していくこと」だとしている。文化は地域における共通の価値観に基づいて営まれる生活様式(コト)であり、その表現活動が芸術(モノ)である。そして、どのような芸術を目指すのかは、その土壌となる文化によって生み出されると同時に、自分にとって大切なことを表現することで新たな文化を形成する。すなわち、「文化と芸術は循環しあうもの」としている。

 

出典:公立文化会館運営ハンドブック(2007年、社団法人全国公立文化施設協会)

2 文化政策の役割

 

(2)社会的包摂のための文化・芸術の役割

 「社会的包摂」について、「はじめての“社会包摂×文化芸術”ハンドブック」を参考に改めて記載する。社会的包摂とは、社会的に弱い立場に置かれている人たちを排除するのではなく、包摂する社会を築いていこうという考え方である。その対象は、障害者、高齢者、子どもや子育て中の女性、経済的弱者やセクシャルマイノリティなど、社会的に困難を抱える人など、さまざまなマイノリティ(社会的少数派)の人びとが含まれる。そのマイノリティをマジョリティ(社会的多数派)の基準にただ当てはめる、加われるようにするのではなく、違いのある人たちを、違いを尊重したまま受け入れ、共に支え合う社会を作ることが目標である。
 芸術は、その制作過程で、心を開放したり、常識的な枠組みを破壊したりして、新しい視点を持つ・広げることや、人と人のコミュニケーションを深める力がある。これまで排除されていたマイノリティの人たちが芸術表現などの活動を通して、自信を獲得し、能力を発揮できるようになり、マジョリティの人たちの意識変化を促すことや、多様な人たちがともに創造活動を行うことで相互の違いを認め合う関係を築くことができると考えられている。

出典:はじめての“社会包摂×文化芸術”ハンドブック(2019年、文化庁×九州大学共同研究チーム編)

3 社会的包摂の目標

 

(3)社会的包摂のための文化・芸術の活動

 社会的包摂のための文化・芸術の活動としては、文化享受や創造、相互交流機会の拡大を図るために、多種多様な人への芸術の鑑賞機会の提供、多種多様な人でのワークショップ・発表、普段文化・芸術に触れ合う機会が少ない対象者のもとへ積極的に出向いて働きかけるアウトリーチ活動などがある。特に行政においては、文化・芸術活動を通した地域における公共圏の形成のために、地域の人々が公立文化施設などを拠点とした活動を通して、積極的なコミュニケーションができる文化交流の場としての環境づくりが期待される。
 これらの活動において、大切なのは、市民が芸術を評価や鑑賞の対象(モノ)とするだけでなく、プロセスとして捉えなおし、一人ひとりの日常生活において、芸術活動が浸透していき、マイノリティ・マジョリティのどちらか一方を優位にせず、多様な人々が違いを認めあう生活様式としての「文化」の創出に繋げることである。その結果が、「社会的弱い立場にいる人が社会から排除されたり、孤立したりするのではなく、共に支え合う社会を作る」のである。目標を達成するには長期的な活動となるため、活動運営側は、このビジョンやロードマップを明文化し、広く共有することも重要である。
 共に創作活動をするのであれば、「見栄えのいい作品」を仕上げることを優先せず、創作者同士が直接的に対話できる機会を設け、いかに関係性の変化やお互いの気づきを得られるかが求められる。また、参加する人それぞれの社会的背景や生きてきた歴史が異なると、自分では想像できない、突飛な発想が出てくるかもしれない、そういったものを柔軟に受け入れることも大切である。その結果として、ふだん出会わない多様な人々との新たなつながりにより、いままでに存在しなかった新しい価値の存在を訴えかけることにも繋がる。また、そのような場は、安心して集える地域コミュニティの新たな居場所ともなりえる。
 例として、ワークショップにおいては、感じたことを言葉や身体で表現することや、上演においては、聴覚障害者や外国人などであっても字幕により鑑賞できるようにすること、創作プロセスの見せ方により芸術をコトとしてみてもらうこと、鑑賞した後には作品の見え方・捉え方に対するトークセッションなどを通じて、自分とは異なる解釈を知ることも多様な視点を学ぶ機会になる。
 そして、これらに携わる芸術家たちにとっては、自らの創造性を深める契機ともなるだろう。

 

4.各地域での実際の取組事例

1)可児市文化創造センターala

 alaを拠点に、文化芸術を愛好する人たちだけでなく、あらゆる層の市民が生きがいをもち、安心して集うことができるもう一つの我が家のような存在として、文化芸術で生きる活力とコミュニティを創出し、<誰ひとり孤立させない社会>を目指している。また、この目標に向けて、多様な人々が芸術活動に参加し、それを通じて相互理解を深めるという「文化」を築いている。
 具体的には、企業と連携した青少年や貧困家庭への演劇鑑賞機会の提供、家庭環境等の理由でピアノが弾きたくても弾けない、創作活動をしたくてもできない子供たち・障害者等への機会の提供、多種多様な市民による参加型公演、異なる言葉や文化を持った人々が舞台作品を創り上げる多文化共生プロジェクト、不登校の子ども達など学生が身体表現を通してお互いの気持ちを伝えあうワークショップ、子どもたちの非認知能力を開発するワークショップ、創作活動を通して親子の仲間づくりを行うワークショップなどを行っている。また、alaでは、文化・芸術活動が気軽に行えるよう開かれた空間設計となっており、分散的に椅子やテーブルが設置されたり、子どもたちが安心して遊べる芝生と施設を自由に行き来できたりする造りとしている。

 

出典:アーラ・多文化共生プロジェクトFacebook

4  alaでの多文化共生プロジェクトでの演劇

 

2)長久手市文化の家

 市民全体の家となってほしい、我が家と感じるような親しみの深い施設になってほしいという願いも込められた総合文化施設である文化の家を拠点に、地域で活動する若いアーティストを中心に企画を行い、プロの演奏家が学校や保育園、特別養護老人ホーム、障害者施設などへ出向き、目の前での即興演奏や語りかけ、小中学生向け表現ワークショップ、また、シェフや演奏家がコラボしたイベント、マルシェとともに人と人を結ぶ創作活動の提供などを実施している。

 

出典:長久手市文化の家Twitter

5 保育園へのアウトリーチ

 

出典:長久手市文化の家Twitter

6 小中学生向けワークショップ

 

3)京都国立近代美術館

 感覚をひらく、新たな美術鑑賞プログラムとして、視覚障害がある人とない人が一緒に触れて感じる芸術鑑賞など、障害の有無を超えて、誰もが美術館を訪れ、体験できるような取り組みを行っている。鑑賞に併せて、さまざまな人々との交流により、身体感覚という共通言語を通じて、相互理解を深める、新たな魅力の発見ができるという「文化」を築いている。

 

5.社会的包摂のための活動をする上での課題

 社会的包摂のための活動は、その公共性から行政が担うべき役割が大きいが、活動を行う上での大きな課題として、昨今の自治体の厳しい財政状況から費用を新たに捻出することは容易ではない。前述したとおり、文化・芸術活動は社会的基盤を築くものであり、社会資本の増加による将来の地域の経済活性化にも期待ができる。しかし、社会的基盤を築く活動は文化・芸術活動に限らない。行政において、社会的基盤を築くために必要な公共サービスの役割・あり方について明確な方針が必要である。また、資金調達方法としては、クラウドファンディングにより社会的包摂の理念に共感した方からの支援や、そのファンを対象とした参加型のプログラムづくりに繋げることも有効であろう。
 次に挙げる課題は、人材である。文化・芸術の制作主体は大都市圏に集中し、創造環境に地域格差が生じている。コンテンツ実施の都度、大都市圏から流入するばかりでは、地域特性が活かされず、持続性もない。社会的包摂のビジョンを達成するためには、地域住民が主役であることが重要である。実際に、潜在的な力として、すでに文化・芸術各種団体が多種多様な活動を行っている。これらは地域の貴重な財産である。各団体の活動が開かれることで、団体同士や多様な住民のつながりが生まれ、それ自体が創造的な場や機会となるだろう。そのためには、行政において、社会的包摂のための明確な方針の策定や舵取りも必要である。また、コトとして捉えての創造力向上のためには、アーティストを一時的にある場所に招集し、滞在しながら作品制作を行うアーティストインレジデンスにより、アーティストが住民の創造力向上支援や社会的包摂を目的とする住民芸術活動組織の構築支援、その組織への自走化支援を行うといった方法もありうる。
 他には、公立文化施設が貸館としての役割が強いことも課題として挙げられる。公立文化施設は、文化・芸術の拠点であるが、貸館事業だけでは、地域の文化・芸術サービスに対応しきれない。地方自治法において、公共施設は、住民が利用することを拒んではならない、利用することについて不当な差別的取扱いをしてはならないとされつつも、貸館による厳密な縦割り管理により、自由な活動への参加、交流機能を阻害する方向に働きやすい。単に貸室を利用する住民のみならず、当てもなく施設を訪れる人でも気軽に触れ合えるようなコンテンツの提供が求められる。また、文化芸術推進基本計画には、地域の文化芸術団体、文化施設、芸術家、学校等の連携・協働を推進するプラットフォームの形成の必要性が謳われ、近年では、公立文化施設にて利用者相互の交流機能を重視するところも増えてきている。アートで地域を紡ぐ・まちづくりを行うアートセンターとしての役割など、公立文化施設における公共性も見直す必要がある。

  

6.おわりに

 社会的包摂のビジョンを達成するための一つの方法は、芸術を評価や鑑賞をするモノでなく、人それぞれの社会的背景や生きてきた歴史、何を大事にしているかといったコトとして捉え、それに対して、多様な人々が違いを認めあえる「文化」を創造することである。
 そのためには、住民一人ひとりが社会的排除の問題を自分事として考える必要がある。また、既に多様な文化がある中、その手段は、芸術活動でなく、スポーツであるかもしれない。住民のプレイヤー発掘も兼ね、まずはコミュニケーションから始めることはできるはずである。
 そして、多様な主体による芸術活動を通じて、新たな社会規範や信頼関係という社会的基盤が構築される文化が醸成していくとともに、活動を通じて個人の創造性が育まれ、それが受け入れられる環境が整うことで、個の自立(自律)につながり、それにより、まちが豊かになっていくことを期待する。