Vol.294-1 山梨県人会連合会 七十余年の歩み
山梨県人会連合会
第9代会長 清水喜彦
1.はじめに
東京には日本全国の道府県人会があります。もちろん、山梨の県人会もあります。しかも山梨の場合は首都圏に数多くの県人会があるので、それをまとめていく組織として「山梨県人会連合会」が存在するのです。連合会の創立70周年を記念して刊行された『70年史ものがたり』には設立の経緯が詳しく記されていますが、連合会となった理由の一つとして、故郷山梨の風習として根強く残っている「無尽」の存在が大きかったのではないかと考えています。
出身地域、出身学校、現在の居住地、職業等、色々な人との繋がりや絆を大切に仲間と集まり、情報を交換し、助け合いを行う。そんな無尽という風習が全国で最も強く残っている山梨県ですから、上京しても各々の絆に拠って多くの県人会ができ、結果、まとめ役としての連合会組織が必然的に必要になったのではないかと考えられます。
2.山梨県人会連合会の前史
<明治期>
明治18年には、既に「山梨郷友会」が発足していたと思われます。明治23年11月には、「在京山梨人士大懇親会」が開催されたことが山梨日日新聞の記事に見られます。
<大正期>
前述の「山梨郷友会」とは別に大正8年11月に、「在京山梨県人会」が県出身の記者団、帝国大学、早稲田大学等の有志により設立されました。
<昭和期>
昭和2年、「山梨公友会」設立。地域ごとの山梨郷友会、山梨県人会の発足が相次ぎ、昭和7年に根津嘉一郎氏を会長に「山梨県人会連合会」の基礎が固められました。その後戦争により自然的に休眠となりました。
3.山梨県人会連合会のあゆみ
昭和23年11月に、戦争で自然休会となっていた「山梨県人会連合会」の復活について、山梨中央銀行東京支店取引先有志で作る当時の「十日会」を中心に話し合われました。同24年に「京浜山梨県人会連合会結成準備大会」を開催し、同25年、各地域での県人会が相次いで復活しました。同年5月6日に上野精養軒にて第1回創立総会が開催され、初代会長に小林中氏が選任されましたが辞退しました。そのため1年間、副会長11名での合議制で運営しました。同26年、広瀬久忠氏が初代会長に就任され、9代まで代を重ねてまいりました。
第1回創立総会を改めてのスタートとしますと、今年で73年目を迎えることとなります。
表1 歴代会長
4.山梨県人会連合会の現状
(1)趣旨
前述のように、数多くの先輩諸氏の長きにわたる強い思いと努力に支えられ発展してきた「山梨県人会連合会」は、その設立の経緯からも分かる通り、故郷山梨を同じくし、首都圏に出てきた者同士、親睦を深め、情報を交換し、助け合い、また故郷山梨を思い、その発展に寄与して行くことを趣旨としています。
(2)会員構成
連合会は、各単位団体である山梨の出身地ごとの県人会16団体、首都圏での居住地区ごとの県人会15団体、出身高校ごとの同窓会11団体、職業別等の県人会7団体の計49団体の連合体として構成されています。
ご多分に漏れず、会員の高齢化により解散を余儀なくされる単位団体も出てきていますが、逆に、高校の同窓会、出身地域の県人会の立ち上げ、休眠状態の団体の再出発といった新しい単位団体の加入もあります。
ベンチャーを目指す若い人達の集まりも組織化されようとしています。昔から「西の近江商人、東の甲州商人」と言われるようにアイデアとバイタリティーに溢れた山梨県人のDNAの為せるところでしょう。
連合会員総数は、令和3年7月の調査によると約2万8千人と把握していますが、連合会なるが故に複数に加入していらっしゃる方も多く、また休会者もいるため、はっきりした数はつかみ切れていないのが実状ですが、他の県人会に比べると、その活動量の多さや参加者の数からして、日本有数の県人会であることは間違いないところです。
表2 加盟団体一覧
(3)運営組織
実際の連合会の運営は、最高決議機関として年1回開催される「総会」、それを支える理事会、また単位団体代表者会議等があります。
連合会は名誉会長、会長、会長代行、副会長、常任理事、理事、会計、監査がこれを運営しています。実際の実務は事務局とそれぞれ副会長を委員長とする委員会とで運営されています。各委員会は随時開催されます。組織詳細については表3をご参照ください。
その中でも、事務局と一体となって2カ月に1回以上のペースで集まり、連合会の運営全てを支えていただいている総務委員会には頭が下がる思いです。
表3 役員会務分担表
5.山梨県人会連合会の現在の活動
大きなイベントとしては、まず例年6月上旬に行われる「総会」があります。しかしながら新型コロナ感染症の流行により令和2年、3年は、別途の「知事と語る会」との合同開催の形式を取り、秋の臨時総会として開催しました。昨年、令和4年は、3年ぶりにコロナ対策を万全とし、人数も絞っての単独開催を行いました。
当日は知事をはじめとして、地元選出の衆参両院国会議員の先生方、山梨県議会議長、山梨県内の各市町村長にもご出席いただき、また懇親会でのご出演をお願いした大月市出身の三遊亭小遊三師匠も大ハッスルで、時間を延長しての高座で出席の皆さま方を大いに楽しませていただき、盛会となりました。
QRコードを印刷したチケットを事前に送付して入場時の混雑を防ぎ、座席の間隔を大きく取る等、事務局を中心にご苦労をいただいたおかげで無事に実行できてホッといたしました。
次に毎年11月に開催する「知事とふるさとを語る会」があります。これは故郷山梨県知事を迎えて懇親を深めるとともに、現在の山梨県の様子、動向、将来への展望を知事から話していただき、時間を共有することによって一層、会員皆さまの故郷への思いを強くしていただくためのものです。令和2年、3年は新型コロナ感染症のため、知事と私の対談形式で行いました。
令和4年は知事からの現状報告の後、しっかりと知事との懇談の時間を取ることができました。また、総会と同様、県議会議長や地元選出の衆参国会議員の先生方、県内各市町村長ほか、山梨県庁の幹部の方々にも数多くご出席いただき、連合会の皆さまと懇親および意見交換も積極的に行っていただきました。
3番目は「新春賀詞交歓会」です。これもコロナ禍のため2年間、開催を見送ってまいりましたが、コロナ禍以前の令和2年は盛大に開催しておりました。今年は3年ぶりに1月27日、ホテル雅叙園東京で約120人のご参加をいただき、開催することができました。
総会や知事とふるさとを語る会、新春賀詞交歓会等のイベントに関しては、文化スポーツ委員会がアイデア出しから実行まで頑張っていただいています。
ほかにも山梨県内の各自治体トップとの意見交換会があります。隔年で県内13市の市長とは「ざっくばらん会」と名付けられた意見交換会を、県内14町村長とは「エッジ会」と名付けられた意見交換会を行っています。昨年は県内14の町村長全員ご出席の下、さまざまな意見交換がなされ、有意義なものとなりました。
連合会を構成する各単位団体の代表者との会議・懇親会も年1回以上開催しており、現状の問題点や将来の方向性に関しての意見交換を行っています。
事業委員会開催の「やまなしカミングデー」も特色ある行事の一つです。故郷山梨の良さを再確認していただくために、知恵を絞ったアイデアで毎年実施していますが、今年から新委員長の下、事業名も「Cool Yamanashi(クールやまなし)」と改称して、山梨開催と東京開催の2本立てで行うこととなりました。このように新しいアイデアをどんどん出し合って、一層の発展を目指しています。ぜひ県内在住の方もふるってご参加ください。
忘れてはならないのは、広報委員会が実施している年4回の「富士の国」の発行です。皆さまもお読みいただいたことがあるかと思いますが、広報委員が手分けして、県人会連合会の情報、山梨県出身者へのインタビュー、地元山梨の話題や情報、健康をテーマとした情報等を発信し、毎回1200部ほど発行しています。皆さまにもお読みいただければと思います。
ふるさと納税でも故郷山梨の役に立ちたいとの思いもあり、ふるさと納税推進委員会を立ち上げ、山梨県および各市町村あてへのふるさと納税のアピールのため、理事会や総会でのパンフレットの配布等も行っています。
6.山梨県人会連合会の今後と未来に向けて
前述してきました通り、当県人会連合会はその規模と活動量および質的にも日本有数の県人会となっています。しかし、他の県人会や種々の団体と同じように、構成員の高齢化、少数化には悩んでいます。この難局に対応する新たな組織委員会を作り、各委員長に委員就任をいただき、アイデアを出し合い、組織の活性化を図っています。
故郷山梨は風光明媚(めいび)の地であり、四季折々に素晴らしい景色を見せてくれます。加えて、首都圏に近いというメリットもあります。しかし、このメリットは逆にデメリットにも成り得ます。観光面でいうと、日帰りが可能なのです。観光業は宿泊と再訪を作り出すことが重要です。宿泊してかつ再度訪れて頂く環境を、地元観光業として作り出していかなければなりません。
農業にしても、最新のテクノロジー製品製造にしても、努力が重要です。これら山梨の発展のために地元の皆さまと首都圏にいる山梨県人会連合会の会員が力を合わせて山梨の発展に寄与していきたいのです。
繰り返しになりますが、「山梨県人会連合会」は、首都圏に集う山梨県出身者の懇親の場として、旧交を温め、情報を交換し、助け合う、また、故郷山梨の発展のために何かお手伝いできないかを考え、故郷の方々と共同して故郷山梨の発展を目指していくことを目的としています。どうぞ地元山梨の皆さまのご協力をよろしくお願い致します。