「よい仕事」とは


山梨日日新聞No.33【令和5年10月16日発行】

 「よい仕事ってなんだろう」-。このテーマでセミナーを開くことになったのは、山梨県中小企業家同友会の経営者の方々との会話からだった。

 「公務員と民間で仕事に対する意識の差はあるのか」、「官民で互いの業務を知らなすぎるのではないか」との問いから、自身にとっての「よい仕事」を見つめることを試みた。
 当日は、参加者がこれまでに感じた「よい仕事」のエピソードを語ってもらうところから開始。「人の役に立つ」と信じてやり切った話、自分が作成した資料が今でもその部署に受け継がれている話、クライアントから感謝された話等々、仕事を通して「人」が喜ぶ姿が目に浮かぶエピソードが次々と並ぶ。話している各々の目は輝き、言葉の力強さはその時の達成感を物語っていた。
 当日の登壇者にも同じ内容を聞いてみた。いずれも転職を経験したり、転職後に起業したりと複数の仕事を経験した方々だ。それぞれが語った「よい仕事」エピソードからは、仕事相手と向き合おうとする姿勢がより深くなっている印象を受けた。
 会場には、職種を問わず、人に良い影響を及ぼし、意義のある仕事が大事であり、私たちは志を持って取り組まなくてはいけない―。そんなふうに収まって終わりそうな空気が流れた。

 しかし、本当にそうなのか。
 「マック・ジョブではダメなのか?」最後にこんな問いを投げかけてみた。「マック・ジョブ」とは、誰にでもできるよう単純化・マニュアル化された労働の意味であり、世界的なハンバーガーチェーンをもじって作られたスラング(俗語)である。
 というのも私自身、仕事の意味も意義も分からなくなり、自分の仕事が人に及ぼす影響や志に背を向け、淡々と決められたとおりこなす日々を送ったことがあるからだ。それは、他者から評価されることから逃げ、仕事をする意味を問うことからも逃げていた時期だった。しかし、淡々と愚直に仕事をすることで、「仕事」に向き合う新鮮さをもう一度取り戻し、また何かに踏み出そうと思える感覚を生み出せた時期でもあった。
 登壇者からは、「周りで堅実に愚直にマニュアル化された『やらねばならないこと』をこなしてくれているおかげで、自分はやりたいことに邁進できている。マック・ジョブをする人がいなければ『仕事』は成り立たない」といった声や、「誰もができる仕事は、障害者雇用にとっての期待・希望にも通じる」などの意見が聞かれた。会場からも、「マニュアル化された仕事は、土台となる『型』であり、その型に則った仕事が基本。そこを習得したうえで、その人なりの仕事が形作られる」、「行政職は、淡々と黙々とマック・ジョブをすべきであり、それが市民の安心感へとつながる」、「専業主婦の妻が、自分が働ける環境を整えてくれるからこそ、仕事をさせてもらえている」など様々な会話が飛び交う。その一方で、「分からない。ただ一生懸命働くのみ」との声も。

 ひるがえって「よい仕事」とは何か―。マック・ジョブだと言うつもりもないし、承認欲求を満たすものでもない。分からない、が答えなのかもしれない。
 ただ、仕事に優劣をつけたり働くことの意義を考える前に、ただひたすら目の前の仕事と向き合う。真剣に愚直に対峙し続け、自分だけの光が見えた時、それが「よい仕事」の答えとなるのかもしれない。

(公益財団法 人山梨総合研究所 主任研究員 渡辺 たま緒)