合理的配慮とは


毎日新聞No.662【令和6年4月28日発行】

 令和64月より改正障害者差別解消法が施行され、事業者に対して、障害者への合理的配慮の提供が義務化された。3月には、車いすユーザーが映画館で従業員に介助を依頼し、断られた件がニュースとなったが、こういった話題が出る度に「今回の障害者の要望は“正当な要求”なのか“不当なクレーム”なのか」という論争が巻き起こる。ある人は「これは障害者を差別する対応であり、許されない」と言い、ある人は「こんな過剰な要求を事業者は対応する必要はない」と主張する。先に結論から述べると、この問題には“どちらかが正しい“といった明確な答えはない。

 「合理的配慮の提供」とは、障害者から求めがあった際に“事業者の過重な負担とならない範囲で”、建設的対話を通じて“共に対応案を検討していく”ことである。つまり、事業者は障害があるというだけで門前払いするようなことはしてはならないと同時に、障害者側もクレームと捉えられかねないような過度な要求をすることは慎むべきである。
 そういった意味で、合理的配慮の提供の「義務化」という言葉はいささか誤解を生むものであり、“障害者の要求には、事業者はすべて応じなければならない”といったイメージが独り歩きしてしまっている印象を筆者は持っている。
 ここまで読んで、「では“過重な負担”や“過度な要求”というのはどこからが該当するのか」と思った方もいると思うが、これは具体的な場面・状況、費用・負担の程度、業務への影響の度合い、個々人の受け止め方などの様々な要素により事案ごとに判断すべきであり、明確な線引きはない。これが先ほど“明確な答えはない”と書いた理由であり、論争が起きてしまう要因でもあるのだが、〇✕で明確に区分できない問題だからこそ、双方の対話を通じて解決策を見つけていくことが重要であると言える。

 問題を解決するために対話が重要であるというのは言うまでもないことであり、これは健常者でも障害者でも同様である。大切なのは相手の立場に立って考えるということであり、完全には理解できないとしても、少しでも相手の気持ちを想像することで、お互いが納得する着地点を見出すことができるのではないだろうか。対話を通じて、皆が幸せに暮らすことのできる社会が構築されることを願っている。

(公益財団法人 山梨総合研究所 主任研究員 山本 陽介