Vol.309-2 キャリアアップ・ユニバーシティ:リスキリングによる豊かさ共創
公益財団法人 山梨総合研究所
理事長 今井 久
1.はじめに
「豊かさ」という概念が注目される今日において、山梨県は2022年5月「豊かさ共創会議」を立ち上げた。企業収益と労働環境の向上の持続的な循環関係の構築に向けて、労働団体、経済団体、教育機関、行政などの代表が一堂に会し、課題解決に向けた具体策について議論を交わし、コンセンサスの形成を目指していくことが目的である。
第1回目の会議では、多摩大学大学院名誉教授である田坂広志氏による基調講演が行われた。演題は「山梨キャリアアップ・ユニバーシティ構想の推進を」であり、リスキリングを通じて働く人の能力開発を行い、企業の収益向上と労働者の賃金向上の好循環を生み出すことが提言された。
この提言から生まれた取り組みが「キャリアアップ・ユニバーシティ」である。本格的に動き始めるのは2024年度からであるが、2023年度には3講座が開講された。ここでは、2023年度に開講された3講座を振り返りながら、今後の課題や方向性を議論する。
2.キャリアアップ・ユニバーシティとは
キャリアアップ・ユニバーシティ(以下、「CUU」という。)は一般的な大学ではなく、地域で働く社会人を対象に、時代の変化に対応した「新たな知識やスキル」を身に付けることを目的とした学びの場である。
山梨県が目指す姿は、働き手のスキルアップが企業に生産性向上と収益をもたらし、その成果を賃上げにより働き手に還元するという好循環サイクルの実現である。(1)スキル、(2)収益、(3)賃金の3つのアップを目指す取り組みであることから、このサイクルを「スリーアップ」と名付けた。そして、「スリーアップ宣言」をした企業に対して、CUUという学びの場を提供するという仕組みである。
このCUU実現に向けて、2023年9月「豊かさ共創フォーラム」が立ち上がった。このフォーラムは、CUUの運営方針決定という重要な役割を担うものであり、(1)リスキリングはその企業の経営戦略として行うべきである、(2)スリーアップ宣言は、経営者だけでなく労使の合意で行われるべきである、(3)CUUの価値や必要性を十分理解し、積極的に利用しようとする経営者の意識が重要である、(4)そのような意識が高くない経営者には、そのための講座、もしくは伴走支援が必要である、(5)労働者側の参加動機も重要である、などの議論が行われた。
2024年2月には、第2回目の「豊かさ共創フォーラム」が開催され、今後の運営方針等が議論された。確認されたことの一つは、働き手のスキルアップ(リスキリング)はその企業の経営戦略として行うべきという点であった。
また、このフォーラムの下部組織として、基盤構築検証ワーキンググループ(WG)、講座認定WG、広報戦略WGが設置され、具体的な方向性が議論されている。
3.リスキリングとは
リスキリングの語源は、英語のreskillingであり、労働者による新しい、またはより良いスキル(技能)の習得という意味である。簡単に言うと、学び直しである。
日本では、2021年頃から注目されてきたが、岸田首相が2022年10月3日の所信表明演説で、リスキリング支援として「人への投資」に5年間で1兆円を投じると表明したことを期に、広がりを見せている。更には、2023年6月の閣議決定で発表された「新しい資本主義のグランドデザインおよび実行計画2023改訂版」では、働く人のスキルアップを通じて、日本の企業や経済を活性化する方向性が打ち出された。
リスキリングとよく似た取り組みとして挙げられるのが、「リカレント教育」である。両方とも従業員が新しいスキルや知識を習得することであり、日本語で「学び直し」を意味する点は同じであるが、その目的や手段は異なる。
リカレント教育とは、学校教育を終えた社会人が、その後も生涯にわたって学び続け、就労と学習のサイクルを繰り返していくことである。生涯にわたって学び続け、自分磨きやスキルアップを行うという個人の目的で行われるのが一般的であり、企業においては、従業員が定期的にスキルアップを行い、キャリアの持続的な成長をサポートするものである。よって、従業員は一度だけではなく、定期的に教育やトレーニングを受けることが多い。
リカレント教育の目的は、変化する職場や技術環境に対応し続けるために、従業員が自ら必要なスキルを維持し、更新することであり、組織全体の生産性や競争力を高めるのに役立つと言われている。
一方、リスキリングは、経営者が戦略的に従業員に、現在または将来必要とされるであろう新しいスキルや能力を習得させることである。例えば、DXに対応するために必要な知識とスキルの獲得を促すといったことが挙げられる。技術の進化や組織の変化が激しい今日でおいて、従業員の既存のスキルが不十分な場合や、新しい仕事に必要なスキルが求められる場合に有効である。
リスキリングの目的は、従業員が現在の職場での能力を向上させ、組織のニーズに適応するために必要なスキルを獲得することであり、リカレント教育同様、組織全体の生産性や競争力を高めるのに役立つ。
リカレント教育が、従業員自ら定期的な教育やトレーニングを通じて自分たちのスキルを維持し、成長させるための取り組みであるのに対して、リスキリングは経営戦略の一環として、経営者の指示のもと、従業員が新しいスキルを習得し、特定の変化に適応していくための取り組みである。
4.昨年度開講された講座の振り返り
昨年度は、(1)経営マネジメント講座、(2)DX実践講座、(3)ホスピタリティ・共感力講座の3講座が開講された。それぞれ全5回の講座で、毎回の時間は、経営マネジメント講座とDX実践講座は150分、ホスピタリティ・共感力講座は120分であった。また、経営マネジメント講座とDX実践講座は平日の午後6時から、そしてホスピタリティ・共感力講座は平日の午後1時からの開講であった。ここでは、それぞれの講座の狙い、成果、課題などを考えてみる。
4.1 経営マネジメント講座
株式会社NTT DXパートナー 代表取締役の長谷部豊氏が講師を務め、受講生は20人(定員20人)であった。この講座は、経営者や現場のマネジメント力を向上させたいリーダー層を対象にしたものであり、経営者の視点で企業のビジョンに沿った経営方針や経営戦略を立案するための手法やプロセス、そして基本的な理論や考え方の習得を目指した。そのことにより、経営者やリーダー層の意思決定能力の向上が期待できる。
筆者も第2回目の講座に特別講師として関わり、「企業の成長と地域貢献の関係性」について講義した。第4回目の講座では、受講生は県内企業である株式会社ササキを訪問し工場見学を行った。その際、佐々木社長と活発な意見交換が行われ、受講生は経営における意思決定や戦略を実践的に学んだ。
毎回の講座の後にはアンケート調査が行われた。「本講座の受講を通じて学んだことを実際に職場で実践してみたか」という質問に対して、半数以上の受講生から「実践した」という回答が得られ、「今後実践する」を含めると8割以上であった。このことから、多くの受講生が実践に向けて動き始めることができたことがうかがえる。また、経営計画や事業計画を策定中といった経営に直接関わっている受講生ほど、この講座での学びを実際に会社で活かせたという傾向がみられた。
一方で、現在経営に関係する立場ではない人も何人か受講していたが、この場合、この講座での学びを会社に持ち帰って実践に結びつけるには、何か仕組みが必要である。また、受講生の職種や、受講生の所属する会社の業種が多岐にわたるため、事例の伝え方一つにおいても、幅広い職種や業種に対応できるものを準備しておくといった工夫が必要である。
この講座では、企業の稼ぐ力を向上させ、高い収益性を実現するために必要な知識の獲得や実践に向けた計画づくりを支援してきた。今後は、実践の際につまずきやすいポイントの克服方法や、受講生ひとり一人の職種や業種、更には置かれた状況に応じた実践支援ができるように、講座内容をアップデートしていくことが必要であろう。講師の長谷部氏は、「今後、受講生が講座での学びを自社に持ち帰り実践することで、成果が出たとか、会社の収益性が高まったといった実際の成果が出てくることを期待している。」と話している。
4.2 DX実践講座
株式会社NTT DXパートナー 加藤総氏が講師を務め、受講生は22人(定員20人)であった。講座名がDX実践講座ということで、実践と、更には学び合いを重視した講座であった。対象者は経営者、DXに関する実務の責任者や担当者で、座学とワークショップを組み合わせた講義と、次回の講義までに行う実践課題で構成された。第1回目の講座では、株式会社ラッキーアンドカンパニー代表取締役の望月直樹氏が特別講師として、自社のDX推進戦略について講義した。講義内容に関して、受講生と望月社長との間で活発な意見交換が行われ、受講生はDXへの理解を深めることができたと感じた。
この講座では、DXの基礎やDX推進に役立つ思考法、業務改善手法が講義された。受講生は、講座で学んだことを自社の事例に適用し、業種や立場が異なる他の受講生の視点を取り入れ、実践に繋げていった。最終日には、自社のサービスや業務の改善案をDX実践計画として発表した。
成果としては、受講中に具体的な提案を自社で行い、実践を始めた受講生が複数いたことが挙げられる。また、受講後のアンケートにおける「実際に社内で実践するか」の質問に対して、「実践する」との回答者は回を重ねるごとに高くなり、最終日には9割以上の受講生が「実践する」と回答した。難易度に関しては、「講義が難しい」と回答する受講者が回を重ねるごとに増え、4日目では7割に達していた。ただ、難しいと回答した内の9割以上が講義内容を理解できたと回答しており、受講者による学び合いによる効果であると考えられる。また、企業ごとにデジタル化やDX化への取組み状況に違いがあり、デジタルツールの選定に関するアドバイスを求める声などがあった。
講師の加藤氏は、「熱意をもって学び合い、教え合う受講生の姿をみて、山梨において学び合いの文化が根付くことを実感した。そして、この文化がコミュニティとして広がり、最初の一歩のための企画や上級者向け講座と組み合わせることで、県内企業のDX化が進展し、所得や総生産高の向上につながることに貢献できれば何よりである。」と話している。
4.3 ホスピタリティ・共感力講座
中小企業診断士で経営ジャーナリストの瀬戸川礼子氏が講師を務め、受講生は20人(定員20人)であった。この講座では、論理、事例、トレーニングをバランスよく取り入れ、個々の現場でのホスピタリティや共感力の向上を目指した。
ホスピタリティや共感力は、仕事をする上で重要なものであるにもかかわらず、考え方や具体的な手法を学ぶ機会は案外少ない。講座などで学ぶことにより、自分から進んで行動しやすくなる。そして、自ら行動することによって、より良い人間関係が築け、意思疎通しやすくなり、のびのびと能力を発揮しやすくなる。更には、イノベーションが起きやすくなり、離職率が下がるなどの成果も期待できる。
一方、ホスピタリティや共感力が大事なものであるという共通意識はあるものの、このような講座の存在や、具体的なメリットを認識できていない個人や企業は多い。今後、この講座の存在をどのようにして県内の企業に周知し、その企業の従業員の受講に繋げていくかが鍵である。また、CUUのサポート体制を利用することにより、受講して終わりではなく、受講後も継続的な学びや実践に繋げていくことが必要である。
講師の瀬戸川氏は、「受講された方々から好評をいただいたことで、様々な方がホスピタリティや共感力を必要としていることを改めて感じた。これは、仕事でもプライベートでも生涯を通じて大切な能力であるので、今後は、講座の内容がより伝わりやすく、そして実践に繋げやすくしていきたいと思っている。」と話している。
5.CUU全体としての課題
前段では、2023年度に開講された3つの講座の課題や今後について述べてきた。ここでは、CUU全体としての課題を考えてみる。
5.1 経営者のマインドセット
一つ目は経営者のマインドセット(意識改革)の必要性である。「3.リスキリングとは」で述べたように、リスキリングとは、経営者が戦略的に従業員に特定のスキルを身に付けるように学ばせることである。そのためには、先ずは経営者自身が、リスキリングの必要性や、現在そして今後社内でどんなスキルが必要かを考えなければならない。勿論、意識の高い経営者は、日々このようなことを考えているであろうが、そうでもない経営者も存在する。
CUUの場合、受講にはスリーアップ宣言をすることが条件になっているが、リスキリングの意味を理解しないで、スリーアップ宣言をする経営者も存在するのではないだろうか。経営者にとって、リスキリングとは何かをしっかり理解し、いかにリスキリングが必要かを理解することが重要であり、そのための講座の開講も必要である。更には、新たな価値創造のために、どのようにしたらイノベーションが起こせるかといった経営戦略的な講座も必要となってくるであろう。
5.2 受講のミスマッチ
2023年度に開講された「経営マネジメント講座」に関しては、「4.昨年度開講された講座の振り返り」で詳しく説明したが、狙いの一つは経営者を対象として、上記した戦略的なリスキリングの必要性を醸成することであった。しかし、実際は経営者以外の方も受講していた。勿論、すべての受講生にとって有意義な学びの場になっているが、経営者向けの講座の場合、いかにより多くの経営者に受講してもらうかが今後の課題でもある。
また、経営者のマインドセットが必要であると述べたが、マインドセットが必要であろう経営者ほど、このような講座を受講しない傾向もみられる。このような経営者に対して、いかに興味を持ってもらい、受講に結びつけるかも今後の課題である。
5.3 成果目標の設定
これまでに2回開催された「豊かさ共創フォーラム」で議論が集中したのが、スリーアップ宣言をする企業が増えるためにも、またCUUが成功するためにも、結果を出すことの重要性であった。そのためには、学びの成果として、売上高や利益等の経営指標を設けることが望ましいという意見もあった。
経営者が戦略的にリスキリングを推進する場合、短期的な目標のために行う場合と、中長期的な目標のために行う場合がある。短期的な例としては、現時点における人手不足の解消や、デジタル化の推進などのために必要とされる人材の育成が挙げられる。中長期的な例としては、新しい価値を生み出すことができる人材の育成が考えられる。
前者の場合、売上高や利益などの結果につながる可能性は高いが、後者の場合は、結果が出るのに時間がかかってしまう。リスキリングの成果として、何をどのように評価していくかは今後の課題である。
5.4 サポート体制の充実
2023年度に開講された3つの講座は、委託された事業者によって運営された。内容は、各講座の取りまとめや各講座におけるグループワークのファシリテーション等多岐にわたっている。その他にも、個々の受講生のサポートがある。個々の受講生に対して、メールでの対応や専門家によるキャリア支援など、手厚いサポートが行われた。これは引き続き継続していってほしいと思っているが、加えて、企業まるごとの伴走支援も必要であると考える。CUUの成果を考える際、経営者も含めた複数の社員の受講をまるごと支援することで、その企業の成果目標も明確になり、達成されやすくなるのではないだろうか。このような事例が出てくることで、CUUが県内の企業にさらに普及すると考えられる。
5.5 推進体制の充実
CUUの運営方針決定という重要な役割を担うのが豊かさ共創フォーラムであり、この下部組織として、基盤構築検証WG、講座認定WG、広報戦略WGが設置されている。豊かさ共創フォーラムには、外部の事業者が事務局を担当し、しっかり運営されていると感じる。ただ、下部組織である、3つのワーキンググループにおいては、まだ有効に機能しているとは言い難い。これらのWGが機能するような仕組みづくり、または、WGの見直しが必要であるように感じる。
6.むすびにかえて
日本における人手不足は深刻な問題となってきている。一般的な要因としては、高齢化と少子化や、人材供給の地域間格差などが挙げられる。高齢化と少子化による労働人口の減少により、労働力供給が低下し、人手不足が生じていることは周知の事実であるが、人手不足は地域によっても異なっている。特に地方では、若者の流出や高齢化による労働力の減少が問題となっている。
山梨県においても同様な傾向はみられ、主要な産業である観光業や製造業においては顕著である。観光業においては、観光シーズンになるとホテルや飲食店などでの人手不足が深刻になり、製造業においては、必要な技能や専門知識を持った人材の不足が問題となっている。特に高度な技術を要する製造業やIT業界での人材確保が課題となっている。
これらの問題を解消する方法の一つとして、リスキリングが注目されている。人材の確保が困難であれば、現在の人材でなんとかしなければならない。これまで述べてきたように、課題はあるものの、キャリアアップ・ユニバーシティが県内の企業、特に中小企業にとって重要な存在になりうることは間違いない。そのためにも、課題を解決しつつ、更に発展、充実していくことを期待している。山梨総合研究所としても、そして筆者自身としても、CUUには積極的に関わっていく所存である。