ブックタイトル山梨発の地方創生に向けて 公益財団法人山梨総合研究所 創立20周年記念誌

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概要

山梨発の地方創生に向けて 公益財団法人山梨総合研究所 創立20周年記念誌

20th Anniversary25社会学者の見田宗介は「各時代の<現実>は常にその時代の<反現実>を参照する」として「歴史」を特徴づける「気分」について説いている(ⅰ。見田によれば、「時代の気分の特徴は、その時代に人々が置かれている『現実』と丁度真反対のところにある」というのである。この「法則」を戦後の70年間の歴史に適用した見田の弟子・大澤真幸は、1945 年から1970年までを「理想の時代」、1970 年から1995 年までを「虚構の時代」、そして1995 年から今日までを「不可能性の時代」と特徴づけた(ⅱ。大澤の命名の根拠は、例えば1945 年の敗戦から1970年頃までの約25 年は焼け跡から高度経済成長時代までの時代だが、この間、人々が体験していた「現実」は生きることが精一杯の苛酷な「現実」であった。それゆえに「明日こそきっと良くなる!」という「ありそうにない現実=反現実=理想」を夢見る「理想の時代」であった、というのである。このようにして臥薪嘗胆して獲得した高度経済成長が続いている次の時代(1970 年から1995 年頃まで)は怖いものなど何処にもない、まさに「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という「バブル」を、見事に「現実」と勘違いした「虚構の時代」となった。その結果としてその後は失われた20 年をただただ回顧し、世紀末から今日まで、日本人は夢よもう一度の「可能性の復活」を夢見るだけの「不可能性の時代」に入ったのだと説いているのである。山梨総合研究所の20 年は、大澤が言うまさに「不可能性の時代」と奇しくもぴったりと一致する20 年であったことが分かる。筆者は、山梨総合研究所(仮称)を、ここ山梨に創るべきか否かというそもそもの議論から検討過程に責任者の一人として参加していた。この議論に加わった人々はみな、時代はすでに大澤の言う「虚構の時代」が終わったことを承知していたし、事実、全国津々浦々に雨後の筍のようにできていた地域シンクタンクはくつわを並べて解散していたので、前車の轍を踏まない在り方があるのか否かということが検討の主題であった。逡巡した2年間を経て、それでも慎重な議論の末に、バブル崩壊の「次の時代を地域に指し示すパイロットの必要性」という一点で創設へと結論したのであった。当研究所設立にあたって恐れていた「時代」が、これを大澤が言うように「不可能性の時代」という名称でくくれるか否かはしばらく措くとしても、視界が短く、見通しの見え難い20 年であったことは間違いない。今振り返ってみれば、この視界の悪い時代ゆえにこそたとえその明視距離は短くとも航路の先を照らすパイロットが必要だったはずで、山梨総合研究所はよくその役割を果たしてきたと、設立に深く関わった一人として讃辞とお礼とを贈りたいと思う。かくて終わりに近づいた「不可能性の時代」の次にどういう時代が来るのか?、世界は文字通り五里霧中の中にある。特に我が国は、その経済成長率が限りなくゼロに近く、発行する国債の長期金利もほとんどゼロを記録している。人口減少と超高齢化に産業構造の大転換という難しい時代を迎えてもいる。足元の山梨県には、次の20 年、この暗夜においてなお地域に確かな航路を指し示す水先案内人が必要であり、山梨総合研究所がその役割を果たされることを心から期待したい。ⅰ .見田宗介:「 社会学入門(」岩波新書 新赤版1009)ⅱ.大澤真幸:「 不可能性の時代(」岩波新書 新赤版1122)「不可能」性の時代をどう生きるか?山梨大学・山梨県立大学 名誉教授 伊藤 洋