ブックタイトル山梨発の地方創生に向けて 公益財団法人山梨総合研究所 創立20周年記念誌

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概要

山梨発の地方創生に向けて 公益財団法人山梨総合研究所 創立20周年記念誌

62【 山梨・甲府は、日本における中世から近世の歴史の変遷を体感できる類い稀な場所】である。武田信玄(戦国時代/中世)~豊臣秀吉(安土桃山時代/近世)~徳川家康(江戸時代/近世)、これらの時代の史跡が同じエリアに並んで色濃く残っている事実を認識する人は、県民も含め残念ながら少ない。武田信虎により整備され、武田信玄が広域統治を通じその名を全国に轟かせる拠点となった【躑躅ヶ崎館・武田神社周辺エリア】。武田氏滅亡後、織田氏の支配下となった後、豊臣秀吉が天下統一を果たした時代に築城された【豊臣の城・甲府城の城郭エリア】。さらには江戸時代。徳川綱重から綱豊(後に第6代将軍家宣)による甲府徳川家の時代はもとより、宝永元年(1704)、五代将軍徳川綱吉の側用人であった柳沢吉保とその子吉里が、松平の氏を授かり甲府藩主となり振興した【元禄・城下町エリア】の3つのエリアだ。私たち人間は〈記憶と経験に無いことに対しては行動を起こさない〉という特性を持っている。その蓄積が【まちが持つ記憶】であり、これこそが地方創生の鍵であると考える。この地が最も栄えていたのは、決して武田氏の時代ではない。紛れること無く江戸元禄の時代。当時、甲州街道や富士川舟運をはじめとする諸街道・物流網が成立し商業は隆盛を極めた。庶民の楽しみのひとつは芝居見物。甲斐国は市川団十郎ゆかりの地ということもあって、小江戸甲府で上演される歌舞伎が賑いを見せた。当時この地を訪れた荻生徂徠をして残された「江戸と違うことの無い賑わい」という記録に集約されている。現在、小江戸として栄える川越。川越藩の17万石に対し甲府藩の規模は25万石(後に35 万石)石高からも往時の活性が偲ばれる。全国で6番目の規模と伝わる秀吉時代の甲府城・天守閣を復元し、元禄の城下町を現代に活かされる形で復興することで、日本の中世から近世の歴史を体感できるまちとしての姿は完成し、未来に向けた地域ブランド価値最大化に向かうと考える。一方で、経済回復の恩恵が大企業や都市部に集中する傾向に対する【不満解消を主な目的とする地方創生】。成長可能なまちづくりの為には、マネジメントの父と讃えられているP. F.ドラッカー唱えるところの「強みの上に全てを築け。」といった言葉に象徴されるように、磨き上げるべき地域資源を的確に見いだし、地域独自の総合戦略をビジョンとして練り上げ、市民・国・行政・企業・大学・金融などが一丸となることが肝要だ。山梨における不満の本質への考察を試みる時、炙り出される背景に気がつく。 県内の市町村内で繰り広げられる旧市町村間競争の傍らで、練り上げられ温められたビジョンが、時の人と共に葬り去られる悲哀の繰り返し……その遠因として挙げられるのが、先の平成の大合併における高い市町村数減少率。全国平均約53% に対し、山梨県は約42%に激減(64から27)。特徴として編入は少なく、ほとんどが対等合併であったことが大きい。エリア間・国家間のボーダーは取り払われる傾向にある中、もはや【地域間競争は隣まちとの競争ではなく、同じ特徴を持つ国際的なまち同士の競争へ】と本格的に移行したといえる。山梨における地方創生を成功させる為には、個々のまちが持つ記憶を大切にしながらも、少し広く長い視点から後世に伝えるべきまちの魅力を見極めるマインドと、ビジョンを実現に向け推進する民意形成が不可欠であると考える。【山梨には国際的なブランド都市として輝く為のポテンシャリティは充分にある】のだから。地方創生の鍵【まちが持つ記憶】株式会社ネオスペース 代表取締役 / 山梨大学大学院 非常勤講師(ブランド学) 樋口 光仁