「ちょっとの不便」の価値


毎日新聞No.715【令和8年5月10日発行】

 昨年度、職場が変わったのをきっかけに、長年続けてきた車通勤をやめて、電車で通うようになった。地方ではどこへ行くにも車が当たり前なので、わざわざ駅まで歩いて電車に乗るという新しい習慣は、最初は億劫であった。1日に歩くのは6,000歩くらいとはいえ、車で通っていたころの倍以上にはなっている。当初は、ただ疲れるし面倒だと思っていたが、朝の少しひんやりした空気の中をやや早足で歩く時間が、案外気持ちいいものだと気づいたのだ。慣れてきた今では、むしろ歩くことで心身のスイッチが入り、一日を清々しく始められるようになった。

 歩くことが健康にいいのはいまさら言うまでもなく、適度な有酸素運動が、高血圧や糖尿病といった生活習慣病の予防や改善に役立つことは、よく知られている。ただ、歩くことの意味は身体の健康だけではないようだ。近年では、認知機能の低下や認知症のリスクを下げるうえでも、運動が大事だと言われるようになっている。
 2024年に公表された医学誌『ランセット』の認知症に関する委員会報告でも、認知症のリスク要因が14あり、それらにうまく対処することで、発症を遅らせたり軽減する可能性があると示されている。そのリスク要因の一つが「運動不足」である。無理のない範囲で体を動かし続けることは、脳の健康を保つうえでも大切なようだ。毎日の暮らしの中で歩く。その積み重ねにも、きっと意味があるだろう。

 今日の社会は、できるだけ効率よく、快適に移動することを求めてきた。家から目的地まで、ほとんど歩かずに行ける車はやはり便利だと思う。だが、その便利すぎる暮らしの中で、知らないうちに体や脳を動かす機会まで減らしてしまっていたのかもしれない。通勤手段を変えてみて感じるのは、日常にあるちょっとの不便は、案外悪いものではないということだ。何もかもが楽に済むより、少しだけ手間がかかるくらいのほうが、生活の中に自然な運動が生まれる。だからこそ、車を使うにしてもあえて遠くの駐車場を使うなど、自らをちょっと不便な環境に置いてみるのも良いのかもしれない。歩数計の数字を見るたびに、そんなことを思う。

(山梨総合研究所 主任研究員 望月 泰介