読書の価値


毎日新聞No.703【令和7年11月23日発行】

 食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋。秋は忙しい。うだる暑さがようやく過ぎ去り、穏やかな気候を満喫するために人々は活発になる。紫外線が天敵の筆者も、秋が一番心落ち着く季節だ。そんな秋に触発されて、今回は「読書」についてお話ししたい。

 先日、友人の誘いで隣町の文化講演会を聴講した。この日の講演は町の図書館開館35周年を記念しており、山梨県出身のアーティストを登壇者に招いて「読書」をテーマに軽快なトークが繰り広げられた。フィクションはもっぱら漫画ばかり読んでいる筆者にとって、文学を愛する彼らの語る「読書」の魅力は新鮮だった。特に印象的だった話題が、読書とは能動的行為であること。まず、ドラマやアニメなどの映像作品はボタンを押せば話が勝手に進んでいくが、本は自ら読み進めないと物語も進まない。時には見慣れない表現や読めない漢字に戸惑いながらも、文脈から言葉の意味や登場人物の想いを考察する。また、文字のみの情報は読者の想像力を無限に掻き立てる。登場人物の表情や声色、物語のなかの空気感は、すべて読み手の想像次第だ。「読書」とは能動的であり、体力の要る趣味だと熱く語っていた。たしかに、本を読んだ後はどっと疲れを感じる。自分が読書に慣れていないからだと思っていたが、活字を読むことで想像が膨らみ、脳がフル稼働しているのかと納得した。
 世界的に有名な科学学術雑誌『Science』では、過去に、フィクション小説を読むと人間の共感力が育まれる可能性についての記事を紹介している。フィクション・ノンフィクション・ポピュラーフィクションのいずれかを読んだ被験者と全く読まない被験者の4パターンを対象にToM=心の理論課題検査(他人の気持ちを理解する能力がどれだけ備わっているかを測る心理テスト)を実施したところ、最も優れた結果を示したのがフィクション小説を読んだ被験者であったという。登場人物の心情に没入することは、自分ではない他者の心を想像する力=共感力を養う。さらに、前述の彼らの言葉を思い出してみると、文字のみの限られた情報がその効果をより高めているのだろうと感じた。

 SNSが浸透し、「短さ」「わかりやすさ」が求められる昨今、読書に耽る時間の尊さを今一度思い出す必要がありそうだ。

(公益財団法人 山梨総合研究所 研究員 日原 智香