静かなこころの拠り所


毎日新聞No.708【令和8年2月2日発行】

 私の趣味の一つに、神社仏閣巡りがある。もっとも、きっかけは御朱印集めが好きな妻に付き合っているうちに、というのが正直なところだ。しかし、その中でも不思議と何度も足を運んでしまう神社がある。富士北麓に鎮座する新屋山神社である。私は年に数回、金運上昇と心を整えるためこの神社を訪れている。

 近年、「パワースポット」という言葉とともに、神社を訪れる人が増えている。日本には山や滝、森など自然豊かな場所が数多く存在するにもかかわらず、パワースポットとして語られる場所の多くが神社であるのは興味深い。この背景には、日本人が古来より自然そのものに神が宿ると考えてきた宗教観があるとされている。
 特に山は、恵みと災いの両面を併せ持つ存在として畏敬され、信仰の中心となってきた。富士山はその山の1つであり、江戸時代には富士講の広がりによって庶民の信仰を集め、登拝を通じて功徳を得る山として位置づけられた。新屋山神社も、こうした富士山信仰の広がりの中で、人々の暮らしと結びつきながら信仰を集めてきた神社である。富士山そのものを神格化する浅間信仰とは異なり、山の神・産業の神である大山祇命(おおやまつみのみこと)を祀り、生業を守る存在として地域に根差してきた点に特徴がある。
 日本でパワースポットが神社に集中する理由の一つは、神社が「力の源」そのものではなく、「力が現れる場所」として意識されてきた点にある。多くの神社は、山の麓や森の中、清水の湧く場所といった自然の変化点に建てられ、人々はそこで自然の圧倒的な存在感を体感し、心身を切り替えてきた。その感覚が、現代では「パワーをもらう」という言葉で表現されているのだろう。
 近代以降、貨幣経済の進展により、人々の願いは「生業の安定」から「収入」や「金運」へと言葉を変えたが、神社が果たす役割自体は大きく変わっていない。平成以降、経営コンサルタントとして知られた船井幸雄氏の言説を通じて、新屋山神社は金運神社として注目を集め、経営者や事業者の参拝地として知られるようになり、現在は参拝客が絶えない神社となっている。

 神社仏閣は、自然と人との関係を静かに調整し、心を整える場として、現代日本人の拠り所であり続けている。日々の判断や迷いを抱えながら、再び前に進むために人々はその場所を訪れるのであろう。私もその一人である。

(公益財団法人 山梨総合研究所 主任研究員 在原 巧