バス停が語る歴史
毎日新聞No.679【令和6年12月22日発行】
仕事で山梨県内の駅とバス停の数を調べることになったが、およそ2600あるバス停の名前をひとつずつ見ていくと、おもしろいものがたくさんあった。
バス停の名前の由来は、そばにある施設や駅の名前などの場合もあるが、地域の歴史や微細な土地の凹凸、川の流れなど、その場所の特徴を表していることもたくさんある。
中でも特に興味をひかれた丹波山村の「お祭」、上野原市の「清〆(しめ)村入口」バス停について調べてみた。「お祭」については、小集落の名称ということしかわからなかったが、「清〆村入口」は、上野原町誌に「清〆」の記載があり、甲斐国志に記載がある「清〆(京師免)」のことのようだ。
京師免とは、労働課役のために都に行き帰郷した者が所有する、課税を免除された田のことである。そこから推測するに、そういう田がある程度集まった場所を「京師免村」と呼び、時代を経て「清〆村」になったということだろうか。現在は住宅街のようだが、その昔、都でのお勤めを終えて帰郷してきた人やねぎらう人々がいて、家や田畑があったであろう風景が想像できる。
そんな作業中、子どものころに「御囲(おかこい)(現在は廃止)」「御立場(おたつば)」というバス停が家の近所にあったことを思い出した。当時は千葉県に住んでおり、通っていた中学校の先生によれば、その辺り一帯は江戸時代、幕府の狩場であり、御立場は、将軍が立っていたところ、御囲は獲物を囲ったところだという話であった。現在は住宅街が広がる単調な景色だが、ちょっとイメージすると、広い平野を風が吹き抜け、狩りをする壮大な場面が浮かんでくる。
家の最寄りのバス停は「グランド前」だったが、そのグラウンドは分譲マンションと戸建て住宅に変わり、いつのまにかバス停もそばにある公園の名前に変わっていた。グラウンドの痕跡は消えてしまい、さまつなものは、こんなふうになかったことになるんだなと感じた。
身近なバス停も、どこにも記録されない小さな歴史を持っているかもしれない。そう考えて調べてみると、何か発見があるのではないだろうか。すぐに意味が分からないバス停の名前ほど、興味深い「歴史」を発見できる気がする。私も「お祭」と「清〆村入口」は、ぜひ現地へ赴いてみたい。
(公益財団法人 山梨総合研究所 研究員 清水 季実子)