守り続ける物と想い
毎日新聞No.716【令和8年5月24日発行】
皆さんには何十年にもわたり大切に使い続けている物があるだろうか。美術品のような骨董ではなく、家具や道具といった日常生活に寄り添う一品である。意外とそうした物を長年使い続けている人は少ないかもしれない。
音楽が好きで、ギター演奏を趣味としている私は、現在、エレキとアコースティックを合わせて6本所有しているが、その中に私が長年大切にしている特別な一本がある。YAMAHA FG-250Dというアコースティックギターだ。1980年(筆者16歳)の購入なので、今年で46年になる古株だが、部品交換やメンテナンスを経て、今でも現役である。見た目は古いが、経年劣化どころか木材の水分がいい具合に抜けて、以前より枯れた味わい深い音を響かせてくれる。
青春時代から還暦を過ぎた今日に至るまで常に傍にあり、半生の喜怒哀楽をすべて受け止めてくれた大切な相棒のような存在でもある。
高校1年の夏、それまで使っていた古いクラシックギターが壊れた。叔父から譲り受けたもので、無理やりスチール弦を張っていたため、ついに限界が来たのだ。
当時の私は思春期の真っ只中で、音楽活動に否定的で小言ばかり言う親とは距離を置いていた。しかし新しいギターを買う金もなく、背に腹は代えられず、思い切って父にねだった。てっきり怒られると思っていたが、意外にも父はすんなり金を出しくれた。
後から知ったのだが、父も大学生時代、ギターを少し嗜んでいたらしい。時折、私の部屋に来ては、新しいギターで古賀メロディを嬉しそうにつま弾いていた。
もしかしたら、ろくに口も利かない愚息との距離を、ギターで縮めたかったのかもしれない。当時の私にはそんな想いに気づくはずもなかったが、親になった今なら、その気持ちは痛いほどよくわかる。このギターには、そんな父との思い出が詰まっている。
今年の5月、父の13回忌法要を執り行った。久しぶりに家族で思い出を語る機会が多かったので、少し感傷的な文章を書きたくなったのかもしれない。
何十年も物を大切に使い続けることは、その物に携わった人の想いも守り続けることなのだと、父の面影を思い浮かべながら考える。
そして願わくは、このギターと私の想いをギター好きな娘が受け継ぎ、守り続けてくれたらと期待しながら、今宵も古いギターをつま弾く。
(山梨総合研究所 専務理事 降矢 結城)