Vol.312 「心のバリアフリー」とは何か
公益財団法人 山梨総合研究所
主任研究員 山本 陽介
1.はじめに
令和6年1月に執筆したNewsLetter Vol.306-2では、「視覚障害者を取り巻く社会環境について」と題して、視覚障害者といっても、まったく見えない人(全盲、失明)だけでなく、見えにくい人(弱視・ロービジョン)も含まれているという話をさせていただいた。また、令和6年4月より施行された改正障害者差別解消法についても取り上げ、主に視覚障害者の視点から「合理的配慮とは何か」、「注意点や配慮すべき点は何か」等について述べた。その際にも少し触れているが、今回は、「心のバリアフリー」という言葉を改めてキーワードとして取り上げ、主に視覚障害者を中心とした障害者の生き方や働き方、ひいては社会全体の在り方について考えていきたい。
なお、本記事でお伝えする事例等はあくまで私個人の経験や考え方に基づいたものであるため、すべての状況に合致するものではないということを予めご了承いただきたい。
2.心のバリアフリーとは?
“バリアフリー”という言葉はもともと建築用語で、これまでも「物理的な障壁をなくす」という意味で用いられてきたため、「車いすの方が移動できるよう段差をなくす、エレベーターを設置する」といった光景をイメージされる方も多いのではないだろうか。心のバリアフリーとは、それとは異なり文字通り心理的・精神的な意味でバリア(障壁)を無くしましょうという概念であり、従来の物理的なバリアフリー(ハード)に対して、精神面(ソフト)にアプローチするものであると考えると分かりやすいかもしれない。
心のバリアフリーという概念は以前から存在するものであるが、日本においては東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会を契機として注目が高まっている。政府は、ユニバーサルデザイン化・心のバリアフリーを推進し、共生社会の実現に向けた施策を実行するための計画として「ユニバーサルデザイン2020行動計画」を策定しており、心のバリアフリーについて以下のとおり定義している。
「心のバリアフリー」とは、様々な心身の特性や考え方を持つすべての人々が、相互に理解を深めようとコミュニケーションをとり、支え合うことである。そのためには、一人一人が具体的な行動を起こし継続することが必要である。 <3つのポイント>
『ユニバーサルデザイン2020行動計画』より抜粋 |
本計画では、心のバリアフリーとは「すべての人々が、相互に理解を深めようとコミュニケーションをとり、支え合うこと」であるとされており、そのために具体的な行動を継続することが必要としている。また、下段では「『障害の社会モデル』を理解すること」、「困難や痛みを想像し、共感する力を培うこと」などがポイントとして挙げられており、単純に「仲良くしよう」、「理解しよう」というだけではなく、心のバリアフリーを理解し、実践するためには、ある程度の学びやアクションが求められているといえるだろう。
以下では、視覚障害者を例に、心のバリアフリーとはどういうことなのか、なぜ必要なのかといった点について、具体的に考察していきたい。
3.視覚障害者が困っていること
視覚障害者が困難を感じるシーンは多々あるが、今回は「移動」、「仕事・雇用」の2つに着目したい。
(1)移動
少し古いデータになるが、厚生労働省が実施した「平成18年身体障害児・者実態調査」において、「外出するうえで困ることはあるか、あるとすればどういったことか」という設問がある。
まず、「困ることがあるか、ないか」を見ると、視覚障害者は“ある”と答えた割合が53.9%となっており、全体の41.5%を大きく上回っている。困ることの内容としては、全体と視覚障害者で差が大きい項目をみると、「乗り物の利用が不便」が全体では20.7%なのに対し、視覚障害者は32.0%、「人の混雑や車に危険を感じる」が、全体では16.3%なのに対し、視覚障害者は32.0%などとなっている。視覚障害者は周囲の状況を把握することが難しいため、特に乗り物や人ごみに危険を感じる人の割合が多いことが分かる。
困難の具体的な内容としては、点字ブロックや信号、各種表示などが考えられ、各種WebサイトやSNSにおいても「点字ブロックが大通りにしかない」、「信号が赤か青か分からず渡れない」、「エレベーターやトイレのボタン・スイッチが分からない」などの声が聞かれる。
(2)仕事・雇用
障害者雇用促進法では、事業主に対して常時雇用する従業員の一定割合(法定雇用率、民間企業の場合は2.3%)以上の障害者を雇うことを義務付けている。厚生労働省が公表した「令和5年障害者雇用状況」において、民間企業では雇用障害者数が64万2,178人、実雇用率が2.33%となっており、ともに過去最高の数字となっているが、法定雇用率達成企業の割合は50.1%となっており、いまだ半数程度となっている。
視覚障害者というと、「あはき業」と言われる「あんま・鍼・灸」といった職業に就いている人が多いと思われる人もいるかもしれないが、IT技術の発展などもあり、現在ではオフィスでの事務的業務などに従事する人も増えてきている。とはいえ、視覚障害者が働くことには、いまだ様々な障壁があるのが現状である。
社会福祉法人 日本視覚障害者団体連合が平成27年に実施した「弱視に関する懇談会」の内容を取りまとめた「『見えづらい・見えにくい人のくらし』 弱視に関する懇談会 報告書」では、当事者の声として「周りの人に対して、自分の目の見え方や必要な支援をうまく伝えられない」、「社内で合理的配慮が受けられないため、結果的に働ける内容に制限がかかっている」、「職場の環境設備を整える際、視覚障害当事者の意見を聞いてもらえず、かえって仕事がしづらくなった」などの意見が挙げられている。
4.ハード面での取り組みとその課題
誰もが暮らしやすい共生社会の実現のため、現状においても前述したような問題を解決するため、様々な対策・対応が取られている。
(1)点字ブロック
点字ブロックは視覚障害者向けの設備として最もポピュラーなものの一つだが、実は日本発祥で、1965年に開発されている。慣れた人であれば、白杖と点字ブロックがあればかなりスムーズに歩行できるので、点字ブロックは視覚障害者にとって非常に重要な設備である。
しかし、設置にはコストがかかるため、大通りを中心とした整備にならざるを得ないことや、点字ブロックがあることにより車いすの方が通りづらくなるといった事例も発生している。
(2)音響式信号機
音響式信号機とは、信号が青になった際にピヨピヨやカッコーの音が鳴る信号機で、皆さんも見たことがあるのではないだろうか。信号が見えにくい視覚障害者にとって、信号の青赤の情報を音声で教えてくれる音響式信号機は非常に有効である。
ただ、こちらも点字ブロックと同じ問題を抱えており、予算的な意味でも限られた場所にしか設置できないほか、夜間に音がうるさいといった苦情につながることもある。
(3)支援機器
仕事の面では、技術の進歩により多くの支援機器が開発されてきており、拡大読書器・画面読み上げソフト・点字ディスプレイなど様々な種類がある。これらは文字を読んだり入力するうえで有効であるが、高いものでは何十万円もする機器もあるため、個人・会社いずれが用意するとしてもコストの壁が立ちふさがる。
これらの事例からも分かるとおり、ハード面での支援は非常に有効である一方で、コストがかかったり新たな弊害を生み出してしまう恐れがあり、単独では十分な効果を発揮することが難しいと言える。
5.心のバリアフリーの大切さ
そこで重要になってくるのが、心のバリアフリーの考え方である。これまで紹介した例で言えば、視覚障害者が歩いているとき、何も特別なことをしなくても、危険がないか見守ったり、点字ブロックの上で立ち話をしないといった気配りをするだけで、歩行の安全性や快適さは格段に向上する。信号についても、過度にサポートする必要はなく、困っている様子が見られる場合に「青ですよ」、「いっしょに渡りましょう」と一声掛けるだけで、信号が渡れないというバリアは無くなる。仕事においても、「どういった作業が難しいのか」、「どういったサポートがあれば業務が可能なのか」などを双方でよく話し合い、現実的な落としどころを見つけることが、win-winの関係を構築し、会社として円滑な仕事を実現していくことに繋がる。
このように、多額のお金をかけて設備や機器を整備しなくても、人と人とが配慮し合い、コミュニケーションを取ることで、多くの社会的障壁は取り除けるのである。
社会的障壁の1つの区分けとして、以下の4つが挙げられる。社会的障壁については前回記事(NewsLetter Vol.306-2)で取り上げたので詳細はそちらを参照していただきたいが、ここで言いたいことは、「障害者が不利益や困難さ、辛さを感じるのは、①の物理的な障壁だけが原因ではない」ということである。
先ほど述べた視覚障害者の移動や仕事に関する話は、「こうすればスムーズに歩ける」、「こうすれば仕事がうまく回る」といった効率性や利便性・損得だけに関わる話ではない。実際の障害者の生活においては、①の物理的な障壁と同程度かそれ以上に②~④の障壁も大きく立ちはだかっており、②の例としては「自筆で書くことが必要な書類」、③の例としては「男女の区別が分からないトイレ表示」、「昇降が分からないエレベーターのボタン」などが挙げられる。④に関しては、「スマホを操作していたら『実は見えているのではないか』と陰口を言われた」、「見えないなら外出しないほうがいいと言われた」といった事例が散見されるほか、ここまで悪質なものではなくても、「点字ブロックに自転車が停まっていて通れなかった」「交差点でまごついていたらクラクションを鳴らされた」など、視覚障害者の存在を想定していない故の大小の困難が、日常的に存在しているのである。こうした経験が積み重なると、障害者本人が「出かけたくない」、「生きづらい」といった考えになってしまうことはやむを得ないと言える。心のバリアフリーとは、まさにこういった人々が意識的・無意識的に作り上げてしまっている障壁を取り除こうという概念・考え方であり、心のバリアフリーが浸透することは、誰もが生きやすい共生社会の構築に繋がることに他ならない。
6.まとめ
心のバリアフリーとは、一言でいえば「人に優しくしましょう」、「お互いにコミュニケーションをとって、理解し合いましょう」という趣旨であるが、そう単純な話ではなく、実際に求められるハードルはもう少し高い。冒頭で挙げた3つのポイントで言えば、まず②において「差別をしないことを徹底すること」とあるが、故意に罵倒したり嫌がらせをしたりすることは論外だとしても、無意識のうちに差別したり不適切な対応をしてしまうといった可能性は誰にでもあり得ることである。③の「多様な他者とコミュニケーションを取る力を養い、すべての人が抱える困難や痛みを想像し共感する力を培う」という部分については、そもそも日本では障害のある児童・生徒は支援学校等で学ぶシステムとなっているため、幼少期や青年期に障害者と触れ合う機会があまりないという問題がある。さらに社会人になっても接点がないということになると、そもそも全く知らないことには共感のしようがないという事になってしまう。この点については、義務教育の分野において近年インクルーシブ教育などについても議論がなされており、今後の展開が期待されるところだが、そもそも関係を持つ機会が十分に得られていないという点は大きな問題のひとつと考えられる。
こうした話からも分かるとおり、自分が知らない他者について勝手な想像をしたり、その結果偏見や思い込みを持ってしまうことはやむを得ないことであり、ある意味当然と言える。ただ、だからこそ意識して他者の困難や痛みを想像して共感する力を培う意識を持つことは重要であるし、そこまでハードルを上げなくても、「あの人はどうしてあんなことをしたんだろう」、「自分のこの考えは正しいのだろうか?」などと、一歩立ち止まり考えた上で行動するだけで、他者に共感するチャンスは格段に大きくなるのではないだろうか。誰もが幸福に暮らせる社会の実現に向け、本記事が心のバリアフリー啓発の一助になれば幸いである。
7.おわりに
最後に、一般社団法人日本心のバリアフリー協会の代表理事を務める、杉本梢さんのコラムをご覧いただきたい。杉本さんは生まれつき視覚に障害があり、一般社団法人日本心のバリアフリー協会の代表理事として活動するほか、各種SNSにおいてもインフルエンサーとして活躍し、視覚障害当事者として様々な情報発信を行っている。
著者は杉本さんのフォロワーなのだが、日々精力的に、明るく楽しく一生懸命活動する杉本さんの姿にいつも励まされており、今回のコラム執筆をお願いした次第である。杉本さんの活動にかける想いや伝えたいメッセージに、ぜひ耳を傾けていただきたい。
心のバリアフリーをすすめてみませんか?
生後8カ月の頃、視覚に障害があり弱視の診断を受けました。私の人生は、家族や友だち、学校、地域、医療、同僚、福祉など様々な方たちの理解に支えられてきました。もちろん、障害のことを伝えても理解してもらえず、不自由さを和らげられなかった経験も多くあります。 |