Vol.313-1 現代において考える「寺子屋」


乾徳山恵林寺 住職 古川周賢

 

甲州市塩山の臨済宗妙心寺派、乾徳山恵林寺の住職 古川周賢と申します。
恵林寺は、武田信玄公の菩提寺としてその名を知られています。

 

【一】 「学びの人」としての武田信玄公

 「甲斐の虎」と恐れられ、かつ尊崇された武田信玄公は、同時にまた、第一級の教養人でもありました。漢詩、和歌に優れ、絵を描き、書を得意とし、時代を代表する禅僧たちと対等に交わり、京都から公家を招いて頻繁に歌の会を催していました。信玄公の漢詩は、十七首が『甲陽軍鑑』に収められていますが、どれも優れたものです。信玄公の和歌の実力は、特に並外れたもので、その七回忌に当たっては、禅の師であり、信長による恵林寺の焼き討ちに際して、燃えさかる山門の上で「心頭滅却すれば、火も自ずから涼し」と偈を唱えながら壮絶な最期を遂げた快川国師が、「その歌は今もなお、耳に残っている」と讃えるほどのものでした。
 戦国最強と讃えられた信玄公はまた、家臣たちに向かって、常に学ぶことを求めた武将でした。それは、『甲陽軍鑑』品第二に収められている「信繁家訓九九ヵ条」を読むとわかります。家訓として十一番目と十二番目には、

一、学文油断す可(べ)からざる事。
一、歌道嗜(たしな)む可き事。

 とあります。つまり、古典、歴史などを油断なく学ぶこと、歌の道に嗜みを持つことが記されています。信玄公は、武勇を尊ぶこと、弓馬の嗜みを怠らないこととともに、油断なく学んで教養を養い、歌の道にも通じておけ、と家臣たちに求める武将だったのです。
 ただ、戦に強いだけの人間は、人の棟梁(とうりょう)たることはできません。力がすべてのように思われる戦国の世であっても、力尽くで人を押さえ続けることはできません。深い教養と高い倫理観を持ち、指導者として誰もが納得する見識をそなえていなければ、人を信服させることはできず、力に頼る支配は、いずれ儚(はかな)く潰(つい)えてしまうほかありません。
 武人は力の世界に生きる存在です。だからこそ、教養が必要になるのではないでしょうか。油断なく学文の学びに努め、歌の道に心を寄せることは、血で血を洗うような、殺伐とした修羅の道に生きる人間にとって、独善的で、無慈悲、酷薄な魔道に堕ちていかないために、どうしても必要なことではないかとわたしは思うのです。
 「歌道嗜むべき事」と言う信玄公はまた、「一、風流過ごす可からざるの事」と注意することを忘れてはいません。しかしながらそれは、軽佻浮薄のものであろうはずはありません。「風流」は、肉身相食む下剋上の戦国時代、猜疑に満ち、張り詰めた命懸けの日常に生きる者が、狂気の世界に足をすくわれることなく、人間らしい心をかろうじて保つためのものではなかったでしょうか。ここで言う「風流」は、命懸けの風流ではなかったかと思うのです。張り詰めた時代においては、「風流」が度を過ぎると「狂気」に堕ちていきます。「過ごすべからず」とは、そうしたことに対する注意ではないかと思われるのです。
 わたしにとっての信玄公は、ただ強いだけではない、最高の教養と、芸術に対する深い理解を持ち合わせた、鋭く深く、繊細な魂の芸術家です。信玄公の姿が、わたしにとってそのようなものとして見えるのには理由があります。それは、現代の日本が、世界でも有数の、安全・安心・安定・便利で豊かな社会を実現しているにもかかわらず、インターネット上には無慈悲で殺伐とした、過激な扇動の言葉が飛び交い、若者たちは将来に対する希望を失い、孤独と絶望がじわじわとわたしたちの日常を蝕(むしば)んできているように思えてならないからです。

 

【二】 現代社会から「教育」を考えると

 二十一世紀に入り、わたしたちは、人類の歴史がこれまで経験したことのない程の、テクノロジーの飛躍的な発展を目撃しています。特に、人工知能を中心とした情報工学の進化発展には、目を瞠(みは)るものがあります。
 
それでは、わたしたちの日常生活は、それにふさわしい形で「良くなった」と言えるでしょうか? たとえば、インターネットが世界を結び、誰もがスマートフォンを手にして、あたりまえのように世界と繋がっている今日、人間どうしの結びつきはどうなったでしょうか? 誰もがSNSを使って発信をするようになって、人と人との結びつきは、果たして強固なものになったでしょうか? わたしたち一人一人が互いにしっかりと結びつき、扶け合い、精神的に支え合うような社会へと前進することができたでしょうか?
 こうした自問自答を重ねるならば、答えは決して芳しいものとはならないことでしょう。いや、それどころか、むしろ反対に、孤立化や社会的な分断がますます進んでしまっているのではないか...そう感じているのはわたし一人ではないはずです。
 テクノロジーの発展が、わたしたちをバラ色の未来に導いてくれるはずだ、という夢は、これまで何度も何度も裏切られてきました。しかしながら、今、わたしたちが直面している問題は、これまでのものとは大きく違います。
 情報工学の飛躍的な進化発展は、わたしたちが生きる社会を大きく変えつつあります。こうした事態の先に見えてくるものは何か? わたしが懸念していることは、人間そのものの価値が見失われてしまうのではないか? ということです。

 AIやロボットの開発には、わたしたちが、自分たちの理想を托してきた側面があります。限りなくわたしたち人間に近く振る舞うだけではなく、わたしたち人間が抱える欠陥や能力の限界を克服した、理想的な存在を目指して開発が進められてきました。そして今まさに、AIはその夢を実現しつつあり、言葉をごく自然に駆使し、音楽を作り、絵を描き、動画を作り、わたしたち以上に優れた存在になりつつあります。これは素晴らしいことだと、その成果に拍手喝采しているうちに、ふと気が付くと、わたしたち人間に、一体どんな価値があるのか? と愕然とさせられることになってはいないでしょうか。AIのほうが、わたしたち人間よりも、論理的に正確であるのみならず、状況によって的確な言葉を駆使できるのであるならば、人間の役割として、一体何が残されるのでしょうか? それどころか、絵を描き、作曲をするといった、人間にしか許されてこなかった創造的な領域においても、人間の役割は失われつつあります。
 「AI技術の発展によって無くなる仕事」という話題が良く論じられますが、これは単に仕事が無くなる無くならないという問題だけではなく、その先に、そもそも人間の存在に何の価値があるのか? という問題に行き着きます。
 若い人たちと話をしている時に、「コスパ」「タイパ」という言葉を耳にしますが、「コスパ」「タイパ」という考え方を価値観として導入するならば、人間ほど「コスパ」「タイパ」が悪いものはない、となりかねません。「コスパ」「タイパ」という考え方をあたりまえのように振り回しているうちに、自分自身がその「コスパ」「タイパ」によって測られてしまう時が来る怖ろしさを忘れてはいないか? そんなことを思うのです。
 自分自身も含めた「人間」と向き合う時、能力や業績、いわゆる「パフォーマンス」でしか相手を見ることができないならば、遅かれ早かれ人間の価値などなくなってしまうのではないでしょうか。
 十八世紀の博物学者カール・フォン・リンネ以来、わたしたちは自分自身の存在を「ホモ・サピエンス(Homo sapiens)」つまり「知恵のある人」だと定義しています。人間が人間である所以は、優れた知恵にあるというのです。それが正しいというならば、計算やデータ処理の領域どころか、チェスや将棋で人間を打ち負かし、クイズでも人間を圧倒し、大学受験や司法試験など、今まさに、あらゆる面で人間の能力を超えつつあるAIの存在は、わたしたち人間のアイデンティティを脅かしています。「知恵」は今や、人間のものではなく、テクノロジーの世界のものになってしまいました。そして、恐ろしいことに、テクノロジーがこのまま進化を続け、わたしたちが深く考えることなく、AIにさまざまな物事の判断を任せるようになっていくならば、わたしたちはどんどん自分の頭では考えなくなっていき、人間からはますます「考える力」が失われて行くであろうことは容易に想像がつきます。何をするにもAIに訊ねて「正しい答え」を得て、ただそれを実行する、というだけの生き方を選ぶならば、そのような一生は、「その人の人生」と呼ぶことができるでしょうか?

 

【三】 「寺子屋」の活動を通じて

 このような状況の中で、わたしたちは一体、どうすればよいでしょうか?
 考えられることの第一は、まず「教育」です。それも、これまで「教育」という言葉のもとに考えられてきたような、生きるための「スキル」にとどまらないものである必要があるでしょう。
 「教育」にはもともと、「スキルの修得」と同時に「人格の陶冶(とうや)」という側面があります。「人格の陶冶」と言うと、直ぐさま「倫理・道徳教育」ということが考えられがちですが、必ずしもそうではありません。人格的な成長・成熟を促すには、豊かな情感と共感の能力が不可欠です。ともに生きる人や社会に対するだけではなく、天地自然の移り変わり、生きとし生けるものの生命の営みに対する強い関心と、鋭い観察、深い共感がなければ、ものごとを広く、深く、鋭く考える力は養われません。はじめに、教養人としての武田信玄公について述べましたが、過酷な時代を生き抜いていかねばならない時、最後に頼りになるのは、「人間力」です。学び、芸術(歌の道)に嗜みを持てというのは、まさしく人間の力が問われるただ中において発せられる言葉ではないかとわたしは思うのです。
 豊かな情感と共感をもってものごとを見つめ、感じ、考える。「人格の陶冶」とはそのような形でなされるものです。そして、これこそが、AIテクノロジーを通じては代替できない、わたしたち人間固有の世界であり、人間の存在の素晴らしさではないかとわたしは考えます。だからこそわたしは、豊かな情感と共感の能力を養い、「人格の陶冶」に繋がるような「学び」としての「教育」を模索していくべきであると考えています。そのために、お寺において「寺子屋」を開催しながら、試行錯誤を続けている毎日です。

 恵林寺の住職を拝命して以来、「学びの場」としてのお寺の在り方を模索する中で、わたしは「茶の湯」を通じた学びに行き当たりました。
 最初は「恵林寺親子お茶教室」として、毎月二回、一年をかけて、日常の中でお茶を点てて楽しむ「盆点前」を修得する講座を開催していました。第一期は、平成二十八年の十二月に開講。以後、毎年講座を継続し、途中「恵林寺親子茶の湯教室」と改名して、毎年改良を重ねながら、現在は第七期生の皆さんが学んでいます。卒業生は、大人子供合わせて百人を超えました。
 この教室の特徴は、「本物に触れる」ということです。
 「本物」というのは、まず、恵林寺周辺の豊かな自然があります。春夏秋冬の景色の変化があり、絶えず鳥の声、虫の声、潺(せせらぎ)の音が聞こえます。七〇〇年近く前に、夢窓国師によって作られた見事な庭園があります。禅宗庭園は、風を感じ瀧と潺を感じ、天地を感じながら坐禅修行をする場所です。
 教室の会場となっているお茶室には、恵林寺伝来の寺宝を選りすぐって掛け物として掛け、茶道具も、できる限り寺宝の良いものに触れていただくように心懸けています。茶花も、毎回時間をかけて、念入りに自然の中から集めてきたもので、湯を沸かすのにも炭を用いています。
 お話しをする時には、言葉遣いだけはできる限り平易になるように注意していますが、内容については、本格的なものになるように心懸けています。子供たちは、真剣に語りかけるならば、内容が難しくとも真剣に聴き入ってくれますし、驚くほどの鋭い理解を示してくれます。たとえその時には理解できなくとも、真摯な語りかけは、何らかの形で必ず子供たちの心の奥底に残り、その「何か」は将来の気付きと発見を生み出す手助けとなるはずです。
 茶の湯の世界には、鋭い観察力が必要です。
 掛け物であれば、誰の字であり、誰のどのような言葉が選ばれているのか、というところから始まり、書かれている文字の筆の入り方、運び方を慎重に観察するのはもちろんのこと、表具にどのような裂(きれ)が用いられ、どのような紋が用いられているかということなどからも、驚くほど多くの情報を得ることができます。
 道具の一つ一つも、誰の作なのか、材質は何なのか、どのような装飾が施されているのか、本体はもちろん、つまみや耳などの隅々まで細やかに観察することによって、たくさんのメッセージを読み取ることが可能となります。
 一年をかけて和室における作法や、礼儀、そしてお点前の動作を習いながら、親子がともに学び、そして学んだことを言葉にして交わし合う中から、さらに多くの気付きや発見があるということを、受講者の皆さんから聞くことができるのは、とても嬉しいことです。一人で学ぶことも大切ですが、ともに学ぶ中で、互いに影響を与え合い、学び合う姿勢は、さらに大切です。
 学びにおいては、親も子も対等です。
 お稽古の現場においてのみならず、行き帰りの道中の中での会話が、親子の話題となり、その会話を通じて、子が親から学ぶだけではなく、親が子から学ぶということがあたりまえのように起きてきます。実は、子供たちの振る舞いからは、教室を開催しているわたしたちもまた、多くを学ぶことができるのです。これまでにも、子供たちからの質問や、コメントにハッとさせられ、深く考えさせられる経験を、何度したことでしょうか...子供たちの何気ない所作に、新鮮な驚きと喜びを感じる経験を、何度したことでしょうか...
 恵林寺の「親子茶の湯教室」では、一年の学びの最後に「卒業茶会」を主催していただきます。誰をお客さんとしてお呼びして、どのようにおもてなしをするか考え、綿密に計画を立て、招待状をお送りし、場所を定めて実際に茶会を行っていただきます。この時には、恵林寺の中の、どの場所を使っても構いません。そして、毎年、この卒業茶会は素晴らしい経験となります。自分で画を描き、賛を入れ、自分で表具した掛け物を作って持参する子、花入れや茶器を自作してくる子、手料理を準備して臨む子、篠笛を吹いておもてなしをする子...根本をしっかりと学ぶことができたならば、僅か一年の間に、子供たちがどれほど多くのことを吸収し、成長するのか。親子がともに学ぶ中から、どれほど多くのものを学びとして共有し、互いに尊重しあうことができるようになるのか、驚くような姿を毎年目のあたりにすることができるのです。

   

【四】 最後に

 今日わたしたちが直面している問題の多くに対して、有効な答えを用意することは容易ではありません。マクロ的な観点から世界の情勢を分析するならば、状況はきわめて厳しく、難問山積と言うほかありません。そのような時には、まず足元に立ち返って、自分たちができることをしっかりとやる以外に道はありません。
 しかしながら、「教育」というのは、迂遠に見えて、実は最短の道ではないかとわたしは考えています。反対に、人間教育が行き届かない状態で、どれほど社会を統御しようと試みても、うまく行くはずがないのではないか、と思うのです。
 かつて、わたしたちの父祖たちが、日本全体の社会システムを一気に切りかえる必要に迫られて、「明治維新」という大業を力業で成し遂げた時、その力業を可能にしたのは、寺子屋などの学びの場を通じて全国に行き渡っていた教育の力であったということはよく指摘されることです。
 観察し、考え、感じ、共感する...
 子供たちにそのような学びの場を与えていくことが、今、一番必要なことではないか、とわたしは思うのです。わたし自身は、寺子屋活動を通じて、今後も努力を積み重ねていこうと考えておりますが、これまでの経験から、まずは一人一人、一家族一家族、ともに学ぶ、という姿勢の大切さと可能性に思いを寄せてほしいと思うのです。
 「学ぶこと=スキルの修得」と割り切ってしまうことは、「教育」というものの力をあまりにも過小評価していることになってしまいます。そして、「教育」の力を過小に見積もるということは、人間というものに対する信頼を失った態度ではないかとわたしは思います。「信頼」が失われたところでは、わたしたちは実力を発揮することはできません。
 もう一度、人間そのものの価値に思いを寄せる時がきているのではないか、そう考えているのです。