学びは人を豊かにするのか?
山梨日日新聞No.53【令和6年10月14日発行】
デジタル技術の発達により社会や仕事を取り巻く環境が変化する中で、社会人になっても就労と学びを繰り返す「リカレント教育」や、仕事の変化に伴い、新たに必要となる技術やスキルを身に付ける「リスキリング」が注目を集めている。県内においても様々な取組みが行われているが、実際の学びへの参加状況はどうなっているのだろうか。
「令和3年社会生活基礎調査」によると、「学習・自己啓発・訓練」に取り組む山梨県民の割合は、10代をピークに減少し続け、35歳以降は大きな変化はみられず、退職後となる65歳以降に再び減少する。つまり、実際の学びへの参加は、依然として若い年代に偏っているのが現状である。
それでは、各年代で何を学んでいるのだろうか。10~25歳までの学びは、語学や人文・社会科学や自然科学など、幅広い分野であるのに対して、25~34歳では業務やビジネスの割合が最も高く、それ以降も業務やビジネスに関する内容が比較的高くなっている。つまり、学業が中心の年代では、その中で求められる学び、それ以降は、仕事において求められる技術やスキルを身に付けることが学びの中心となっているようである。
もちろん、学ぶことにより何かしらの成果が得られ、それが達成感や報酬につながることは、学びへの動機付けになるのは確かであろう。しかし、努力を通じて成果を得ることが、必ずしも個人の幸せに結びつくわけではないと指摘する専門家もいる。そう考えると、私たちが学ぶ意義とは果たして何なのだろうか。
文部科学省によると、生涯学習の意義とは、①社会・経済の変化への対応、②心の豊かさや生きがいのため、③「学歴」ではなく「学習の成果」が評価される社会の構築の3つにある。その意味では、学ぶことが経済の発展や社会の活性化につながり、その恩恵を個人が享受できる社会を構築することは、目指すべきひとつの姿であろう。しかし、成果を求め学び続ける先に、一人一人の心の豊かさや生きがいを見いだせるのかという点では疑問が残る。
先日、アート教育実践家の末永幸歩氏をお招きし、自分だけのものの見方で世界を見つめ、「自分なりの答え」を生み出すことで新たな問いを生み出す、「アート思考」についてお話し頂いた。その中で、自らの感性から新たなものの見方が生まれることで、自分自身を再発見することにつながり、そこから何かを探求していこうとする心が芽生えていく。そこにあるのは、学ぶこと自体の楽しさを実感すること、つまり、心の豊かさや生きがいの源泉としての学びではないだろうかと感じた。
教育現場や企業などの様々な現場においても、社会から求められる「正しい答え」を導き出す学びだけではなく、自らの好奇心や問題意識に基づいて「自分なりの答え」を探す内発的な学びへの試みが行われている。こうした学びを、個人にとっての豊かさの源泉としていくとともに、そこから生まれる気づきやアイデアを、社会に変革をもたらす新たな価値の種にしていくことで、個人と社会の双方にとってより良い状態、つまり、ウェルビーイングを高めていくことができるのではないだろうか。
「人生100年時代」といわれる今日、何かを得るための「苦行」としての学びではなく、生涯を通じて豊かさを育む学びの文化が創られていくことを期待したい。
図 山梨県における学習・自己啓発・訓練の行動者率
(公益財団法人 山梨総合研究所 調査研究部長 佐藤 文昭)