街路樹から考える街の景観


山梨日日新聞No.63【令和7年4月28日発行】

 甲府駅から南に延びる平和通りのケヤキも若葉を出し、すっかり新緑の季節である。しかし、通勤途中のとある道沿いの車の中から見かける街路樹は、いまだに葉や芽を出す気配がない。冬に剪定されたあと、枝がほぼ消失し、樹木というより丸太の杭のようになっているためか。若葉がまだあまり出ていない今の時期、幹から細い枝が数本出ているだけの木は、街路樹のみならず、公園、公共施設の植木など意外とある。本来の樹木の枝の量と比較すれば、あまりに少ないが、なぜか。そのような樹木があるのは、管理者である県や市町村が、管理の回数を減らして管理費を削減するために適正量以上に剪定していることが主な原因だと考えられる。

 本来、街路樹には、日影や良好な景観の形成、生活環境や自然環境の保全、地域の活性化などの役割があり、歩道があるような大きな道路に設けられている。一方で、葉が落ちる、道路標識が見づらい、歩道が狭くなる、根が育つことによって歩道に凹凸ができる、強風の時に枝が折れる・樹木自体が倒れるなどデメリットや危険性の他にも、根元にゴミが捨てられる、見通しが悪くなるなど否定的に受け取られ、自宅の玄関先にあることが迷惑だと感じている人もいるであろう。
 様々な役割を期待された街路樹の存在が軽んじられ、さらに適切に管理されていないことで役割を十分に果たせないという悪循環が生まれている。状況を好転させるためには、樹木それぞれに適した管理と近隣住民の理解の2つが欠かせない。
 街路樹は道路ごとに異なる樹種を植えていることもあり、一律に管理することは非常に困難である。樹種により剪定に適した時期は異なり、管理のポイントも異なる。道路の附属物のため、土木的な観点だけでは管理が行き届かないこともあり、植物の知識を持った人材を必要に応じ配置することが必要となる。苗木の時は小さくても、時間が経過すれば大きく成長する。樹木の成長と街路樹の役割のバランスを取りながら管理していくことは、単純な構造物より費用もかかるし、難しいことだが、おそらく街路樹が植えられた当初は、その街の顔もしくは、住民にとっての憩いとなることを期待されていたにちがいない。今後、道路の新設に伴い、街路樹を植える場合には、成長後の樹高や樹冠の大きさ、管理の手間などを検討し、樹種を決定する必要がある。 
 近隣住民にとって、街路樹は花を咲かせて楽しませてくれる季節もあるが、葉や枝が落ちることもある。自治体は、街路樹のメリットとデメリットを整理し提示した上で、近隣住民の理解と協力を得る必要がある。
 今後ますます財政が厳しくなる中で、すべての街路樹に対し、適切な管理を行うことは困難であろう。街全体のバランスを考えながら、街の中心の道路や歩行者が多く通行する道路などを重点的に管理し、必要性が高くないところは、街路樹自体を減らすなどメリハリをつけた管理にしていくことが必要ではないか。

 実家の近くにけやきの並木道がある。大きなケヤキが駅までの道に植えられており、新・日本街路樹百景にも選ばれている。子どもの頃は何も感じなかったが、そこを歩くと家族や友人との思い出が浮かぶ、私にとって原風景の1つである。目立たないが、街の景観の要素の1つとして欠かせない街路樹を感じながら街を歩いてみるのはどうだろうか。管理と工夫次第で、街の顔として定着するポテンシャルも秘めている。

(公益財団法人 山梨総合研究所 主任研究員 清水 季実子)